2005年11月30日

10年前,坂本龍一のライヴがインターネット中継された日

♪今日は何の日,フッフ~ン

1995年,今からちょうど10年前の今日11月30日は,ミュージシャンの坂本龍一さんのライヴが初めてインターネットで中継された日です…….

……『お○いッきりテレビ』(笑).

こないだ『アートスケープ・クロニクル 1995-2005 :アート,ネット,ミュージアム』のにゅーすで,1996年に初めてインターネットに触ったって話を書きながら,「ほな,インターネットって言葉を最初に知ったのはいつだったっけ?」って思い出してたノダ.

1995年のたぶん5月か6月,ETV『土曜ソリトン SIDE-B』に出演した“教授”が,たしか「最近はインターネットにハマってる」って話してたんじゃなかったっけ.いずれにしても,このころ教授発言を通して,世の中にインターネットなるものがあることを憶えたのは間違いないノダ.

そのあと11月23日にゃ,Windows 95とInternet Explorer 1.0の日本語版が同時にリリースされて,日本も本格的なインターネット・ブームに入ってくワケナノダけど,そんなこんなで深夜の秋葉原がにぎわってから1週間後,教授のライヴ「D & L」日本武道館公演が,インターネットで生中継されてったワケ.

ライヴのインターネット中継の例は,まだ世界中で数えるほどしかなかった時代.一般家庭にゃブロードバンドなんてほとんど入ってなかったから,回線の向こうのオーディエンスの多くは,きっとパラパラマンガみたいな画像と,とりあえず聞こえる程度の質の音声を受け取ってたんじゃなかろか.だけど,インターネットはTVと違って,受信地域は全世界に拡がりつつあったワケだから,こりゃドエリャア技術が出てきたニャってことくらいは,ハッキリわかったノダ.

当時の様子は,今も残ってる公式web「The Internet Live Multicasting of D&L」,DVD『D&Lライブ・アット武道館11・30・95 坂本龍一ツアー95 D&L WITH 原田大三郎』が参考になるノダ.

ちなみに武道館ライヴに先立つ11月13日にゃ,島根県民会館で「D &L」松江公演.ワタクシ行きました,ハイ.そのへんの話と,教授経由のインターネット体験談の続篇は,また別の機会に.

(「坂本龍一 with 原田大三郎『D & L』松江公演」「岩井俊雄+坂本龍一+江渡浩一郎『RemotePiano Installation』」につづく)

D&Lライブ・アット武道館11・30・95 坂本龍一ツアー95 D&L WITH 原田大三郎
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四代目坂田藤十郎襲名披露

ついにこの日が来たんかっちゅーか.

京都南座で,中村鴈治郎改め四代目坂田藤十郎,襲名披露の顔見世でんがな(asahi.com).

何しろ上方歌舞伎の大名跡,231年ぶりの復活ナノダ.しかも初代藤十郎と言やぁ,初代市川團十郎と並んで,高校の日本史の教科書にも出てくる名前だから,今回の襲名は文字通り,教科書からピョコッと飛び出してきたよーな感じがするノダ.

團十郎は代を重ねて十二代目.今は療養中の当代も,江戸歌舞伎の荒事の薫りを感じさせる舞台を見せてくれてるニャ.

一方藤十郎は四代目で絶えて久しいし,大きな名前だから,今日の上方歌舞伎の顔と言うべき三代目鴈治郎をもってしても,そー簡単にゃ復活せんじゃろと見てたノダ.それだけにね,エリャアことが実現したモンだニャ,松竹の永山会長よく許したニャ(笑)って,しみじみ思うノダ.

今回の襲名で.江戸の團十郎に匹敵する,上方歌舞伎の大きな看板が立ったよーな気がするニャ.歌舞伎の舞台ってもう何年もナマで見てないけど,それでもこーゆーめでたい話題にゃ,相変わらずワクワクするノダ.

2005年11月29日

「絵図の世界:出雲国・隠岐国・桑原文庫の絵図」に行く[1]

(展示会の紹介と感想を,あるメイリング・リストに投稿しました.文面の一部を改変して下記に掲載します)

会期が残り少なくなってしまいましたが,先日「光の道」上映会の前に,島根大学附属図書館の所蔵資料による「絵図の世界」展(タヌキにゅーす)を見てきましたから御紹介します.

絵図というのは,平たく言えば古地図のことです.作成年代や用途によって,作図の表現や記載される情報はさまざま.また,出展資料の多くは松江はじめ出雲国内を扱ったものですから,当地の地形や街並み,人々の暮らしの変遷を知るという意味でも,見どころはたくさんあるのではないでしょうか.昨年春,県立博物館,県立図書館,松江郷土館で開催された「絵図でたどる島根の歴史」展の展示品も多数含まれています.

私が普段お世話になっている方のうちに,松江に在住/お勤めの方が多いですが,そうしたみなさんに鑑賞のポイントをおすすめをするならば,やはり城下町松江の絵図かと思います.城下町全体を取り上げた「松江城下町絵図」は,堀尾氏が治めていた17世紀前半のものと,松平氏が治めていた19世紀前半のものの2点.いずれも武家や寺社の名称が1軒1軒書き込まれ.さながらゼンリンの地図のようです.中でも堀尾期の絵図に関しては,原図では毛筆で記入された文字情報を活字に起こしたトレイスの図面もあわせて展示されていますから,「昔の人が書いた字なんて読めないよ~」という方には鑑賞の助けとなるでしょう.

そのほか,「松江雑賀町絵図」(1824年以前),「松江末次本町絵図」(元禄年間[1688-1704]に作成された絵図を1856年に書き写したもの)といった町ごとの絵図,松江大橋以東の水路や開発された新田を描いた「川下辺絵図」(1786?)も展示されています.

今日県庁所在地となっている江戸時代の城下町の中には,災害や空襲,再開発などを期に大幅な都市改造の手が加えられた都市も少なくないのですが,その点松江は江戸時代以来の道路や水路が比較的多く残っています.しかし一方で武士の時代が終わった明治期以降,土地の用途は大幅に変わりましたし,拡幅された道路,埋め立てにより失われた水路,用いられなくなった通りの名前もあります.現在の松江と変わらない点,変わった点,それぞれに多くの発見ができることと思います.

ところで,大学図書館主催の展示会だけに,精細画像化した絵図を活用したデジタル・コンテンツという気合いの入った成果物もいくつか公開されています.パネル・タッチ式の大型ディスプレイに絵図を映し,画面を手で触れることで見たい絵図の選択から細部の拡大までできる,といったものなどです.

今年の春のお披露目以来,松江市内のあちこちに出没している「松江歴史マップ(マルチメディアテーブル)」も,ヴァージョン・アップして登場.堀尾期,松平期,明治期,現代の4枚を同時に見ることができたり,松平期の絵図から「白潟天神町絵図」(1841)にジャンプして,その細部をトレイスと対照させながら見ることができるのは,新しいコンテンツではなかったかと思います(「白潟天神町絵図」は,家ごとに所有者や借家人,間口に奥行,さらには土蔵やかまどの所在まで記された,大変詳細なものです).

展示会場の様子(島根大学附属図書館).

2005年11月28日

サイト構築の視点で見る『新選組!!』blog(などとモッタイぶってみる)

来年の話すると,鬼に「来年フォーッ!!」とか言われそーでアレナノダけど,去年のNHK大河ドラマ『新選組!』の続篇が,年明けに放送されるノダ.その名も『新選組!! 土方歳三最期の一日』.「!」が1つ増えてまんがな.

で,ニャンとその番組連動blogができてたノダ.

とーとーNHKも番組のblog持つ御時世でっか,とか言いながらよく見ると,ココログのバナー出してはるわ.ってこたぁ,NHK的にゃこのバナー,出す必然性ないんでないかい? って思ってみたけど,各頁を一番下までスクロールすると,出てきましたわ.

このサイトは、大河ドラマ「新選組!」の続編・2006年正月時代劇「新選組!!土方歳三最期の一日」を共同制作するNHKエンタープライズによる番組ナビゲーションサイトです。

にゃるほどね,今度の続篇にゃNHKエンタープライズもかかわってんのね.あー,ビックラしたノダ.ん? いつの間に社名を「NHKエンタープライズ21」から旧名に戻したんじゃろ.

んなこたぁまあエエとして,このblog,こないだタヌぼーも「光の道」島根上映会のwebでやったのと同じで,CMS的にblogを導入してるニャ.画像で「メニュー」のナヴィゲイションを作ってるあたり,一般的なサイト風に見せてくれてはりますな.リンク先はカテゴリー別のインデックスや,個別エントリーを割り当ててるノダ.ちなみに「光の道」じゃ,同じことを画像じゃなくてテキストでやったノダ.

「光の道」との大きな違いは,エントリーのフッターに,カテゴリー名,固定リンク,トラックバックのリンクを残して,blogらしさを保ってる点.「光の道」じゃ,blogでどこまで一般的なサイトに見せかけられるかって実験台にしちゃったんでね,そこはちょっとした方向性の違いってことで.

名前に英数字を含まないカテゴリーのディレクトリー名,エントリーのファイル名が,cat0000000/post_nnnn.htmlみたいに通し番号になっちゃってるのは,ココログの元になってるblogサーヴィスのTypePadの仕様ゆえの限界ナノダ(シクシク).そのせいで,URLを見ただけじゃエントリーの内容が類推できんのがチト惜しい.カテゴリー名やエントリー名とは別に,ディレクトリー名やファイル名を指定できるよーになると,TypePad/ココログも,CMSとして鬼に金棒フォーッ!!ナノダけどニャ(フォーッ!!はもうええって?).

2005年11月27日

道路拡幅中

《島根県立古代出雲歴史博物館》(2007年3月開館予定.設計:槇総合計画事務所)の現場見学会に行ってきたノダ.その報告は近いうちに出すんで,ちょいと待ってておくれやす.

博物館は国道431号線沿い,出雲大社神苑の東隣にできるノダけど,開館に備えて国道の歩道を拡幅工事中だったノダ.拡幅のため,大社の勢溜(せいだまり)をはさんで南東の位置にあった門前の店1軒が取り壊されて,今まで隣の建物で隠れてた,古代出雲大社模型展示館「雲太」の北側があらわになってたノダ.

道路拡幅工事現場から見た古代出雲大社模型展示館「雲太」の写真

みやげ物屋さんだった数年前も,ファサードや内装がキレイだったんで気づかなかったけど,こーして見ると瓦屋根が一部崩れてるし,土壁と竹で編んだその下地も見えるし,築後7-80年は経ってるカモ.

北側壁面に隠されていた文字の写真

何より大書された店の名前.右から左に読んで「おみやげなら/大社物産館」が昔なつかし.こんなとこに昔の店の名前が大書してあったなんて.もしかして,今回取り壊された建物ができる以前って,物産館が勢溜に面してたのかニャ?

2005年11月26日

「絵図の世界」展の図録に講演記録が

「光の道」島根上映会の前に,島根大学附属図書館の「絵図の世界」展(タヌキにゅーす)に行きました.詳しい報告は日を改めて書きますが,どうしてもひと言だけ.

上映会の時間帯に,展示会関聯行事として大学で講演会があるということで,さきのタヌキにゅーすに,

あ,できれば図書館か研究室か『歴史学通信』で,講演会を活字化してくれたらニャ~なんて(ボソッ).いやあの,こりゃ半ば本気で思うナノダ.のちのちのための記録も大事だからニャ.

と書きましたら,図書館のカウンターに置いてあった展示会のチラシに,

絵図展の図録および講演会の記録を合わせた本を来春出版する予定です。

の1行を発見.

いや~,思いが通じたのか,考えていることが一緒だったのか,ただの偶然なのか(笑)知れませんが,ともかくうれしいです.このテーマではこれ以上ないと思われる講師陣が勢ぞろいしていますから,大いに期待しましょう.

「光の道」島根上映会,終了

私が広告デザインを担当しました「光の道」島根上映会に行き,無事終了を見届けました.関係のみなさん,おつかれさまでした.何でも今ごろは「24時間耐久慰労会」だそーで(笑).

2005年11月25日

『鶴瓶の家族に乾杯』に登場した香川県中西部の古民家に見られる「青い模様」って?

長いエントリー名フォーッ!!

……えー,言ってみただけ(笑).レイザーラモンHGは流行語大賞もらえるんでしょか?

こちら本日バカ忙しい1日になってますけど,世間じゃ,

  • ココログに無料の新コース「フリー」登場
  • 京都南座に「鴈治郎改め坂田藤十郎」のまねき看板お目見え
  • 歌舞伎が世界無形遺産に
  • 山下毅雄さん(作曲家)死去
  • 「稲■メンバー」「旧■本派の滝■元会計責任者」「姉■建築士」に続いて報道各社が用いた「■泉狂言師」なるギコチない呼称

と,にゅーすのネタが多くて困るノダ(別に困らんでもええねん).そんな中,今日のネタは…….

番組予告で見かけたあるモノが気になってたNHK『鶴瓶の家族に乾杯』.香川県綾南町を,鶴瓶師匠とゲストの麻木久仁子さんが二手に分かれて旅する後篇ナノダけど,そのうち麻木さんが,町のいくつもの古民家の中二階に「青い模様」が入ってるのをフシギに思って,地元の人に訊ねてたノダ.

たぶん土壁を黒く塗ったんじゃないかって思われる,外観上は中二階を持つ(実際の内部は1階建てかも)農家.中二階部分の四隅に群青色の板状の装飾物が取りつけてあったり,窓の周りを青で囲ってたり,桁の部分を青く帯状に塗ってたり…….ところどころには,何やら白く描いてたり,紋様を浮き立たせたりもしてるノダ.

こーした「青い模様」のある古民家,タヌぼーも5年前に初めて四国行ったとき,香川県の丸亀から高松へ移動する列車の車窓からたくさん見かけたノダ.あの青いのはほかじゃ見たことないノダ,ナンの意味があるんだろ? ってずっ~と気になってたノダ.それで今夜の『家族に乾杯』に注目したワケでござい.

麻木さん,地元の人たち(ニャンと明治期に活躍した反骨のジャーナリスト・宮武外骨の子孫まで登場)に訊いてたけど,地元じゃあまりに当たり前のモノらしくて,これといった収穫なし.スタジオ収録部分になって,香川県立歴史博物館からの回答として,

  • 「青い模様」は香川県中西部の民家に見られる
  • 火事よけのまじないではないか
  • 波の模様が入ったものが多い

って解説が入ったノダ.てなワケで今夜もメモメモ.

でも,もーちょいと詳しいこと知りたいノダ.「青い模様」の形態や素材は一様じゃないみたいだから,それぞれどーゆー由来があるんだろ? そもそも「青い模様」を指す,決まった名称ってないのかニャ? それがわかりゃ調べようもあるノダけど.

2005年11月24日

曽根麻矢子さんの……

タヌキぼーやがチェンバロ奏者・曽根麻矢子さんのCDをほとんど持ってるちゅー話を,その昔チラッとしたことあるノダけど(第3期タヌキにゅーす),実は.

先月新譜が出ていたのを,今日初めて知りました(白状).

いやはや,このところ新譜情報全般,ゼンッゼン把握してまへんでしたわ.3月に出た『バッハ:イギリス組曲(全曲)』(AVCL-25033)は,すぐチェックしたのにニャ~.

先月発売だったとゆーのは,浜離宮朝日ホールでのバッハ連続演奏会のライヴ録音第2集『バッハ:フランス組曲(全曲)』(AVCL-25510).

曽根さんの『フランス組曲』全曲録音は2000年にも出てるんで(WPCS-10600~1),ひとつ聴き比べてみたいノダ.2000年版はゆったりした演奏,特に第1番と第4番がお気に入りで,手持ちのCDの中でも5本の指に入りそーなくらい,繰り返し聴いてきたノダ.ちょいと年重ねて,今度はどんな演奏になってんじゃろ.忘れないよーにメモメモ.

バッハ:フランス組曲(全曲)
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2005年11月23日

豆腐連歌

最近刊行された松岡心平編『ZEAMI:中世の芸術と文化』第3号(森話社,2005)に,詩人の高橋睦郎さんが茂山千五郎家のために書き下ろした新作狂言「豆腐連歌(とうふれんが)」の詞章が掲載されています.

近年とみに知られるようになりましたが,茂山千五郎家には「お豆腐主義」「お豆腐狂言」と呼ばれる“家訓”があります.これは,狂言は能舞台でのみ演じるものとされた時代に,会合の余興にも出向いて狂言を演じた二世茂山千作(1864-1950.四世千作,二世千之丞さんの祖父)が示した,

〔お豆腐〕それ自体高価でも上等でもないが、味つけによって高級な味にもなれば、庶民の味にもなる。お豆腐のようにどんな所でも喜んでいただける狂言を演じればよい。
茂山千五郎家のweb

という考え方に由来するそうです.目指すは万人に愛される狂言,といったところでしょうか.

あとがきによると,もともと高橋さんに対する茂山千之丞さんからの依頼は,「お豆腐狂言」をテーマにした狂言小謡(「豆腐連歌」に併載)を書いて欲しい,というものだったそうです.ところが高橋さんの脳裏には,木綿豆腐と絹豆腐が言い争う姿が思い浮かび(笑),ついに新作狂言も併せて誕生となったとのこと.

人間も動物も植物も出ず,登場するのは食品だけ.互いを邪道の豆腐と批判し合う木綿豆腐と絹豆腐が,問答の末に和解し,その印として連歌を詠み始める……というのが「豆腐連歌」のあらすじですが,最後の最後にアッと驚く結末が待っています.こんな終わり方する狂言,私は見聞きしたことがありません.是非とも掲載誌で確認しましょう.

2005年11月22日

集団登校の列に自動車突っ込む

全国の放送のニュースや新聞社サイトでも報道されましたので,島根県外にお住まいでも御存知の方がいらっしゃると思いますが,今朝,出雲市枝大津町の市道で,集団登校の小学生の列に軽乗用車が突っ込み,児童1人が意識不明の重体となり,1人が軽傷を負うという交通事故が発生しました(山陰中央新報朝日新聞).また,軽乗用車の運転手は,業務上過失傷害の容疑で現行犯逮捕されたとのことです.

事故現場は,私の自宅から少々離れたところですが,月に2,3回は所用で通行しますので,今回の事故は他人事とは思えない次第です.被害に遭われたおふたりの御恢復をお祈り申し上げます.

2005年11月21日

『アートスケープ・クロニクル 1995-2005 :アート,ネット,ミュージアム』

美術情報の老舗サイトartscapeが,前身の時代を含めて開設10周年ってことで,この10年のアート・シーンをまとめた本『アートスケープ・クロニクル 1995-2005 :アート,ネット,ミュージアム』(大日本印刷株式会社ICC本部)が出るノダ.

紙媒体は25日発売だそーだけど,ひと足先に「web版」なるものが公開されてて,ニャンと全文が読めるとか.

web版の説明にゃ,

ネットでの閲覧は、本感覚のビューワを使ったDNPの「デジタルページメディア」ソリューションを採用しています。

とあるノダけど,実際に見たところ,Flash Paper(頁の概念を持ち,独自のヴューワーを内蔵したFlashコンテンツ)をブラッシュ・アップした感じの画面.右頁をクリックすると次頁を,左頁をクリックすると前頁をめくる(左綴じの本書の場合)よーな直感的な操作ができる上,附箋やペン書き込みの機能までついて,まさにモニター上の本ナノダ.文字列の選択はできんこと除けば,ファイルも操作も軽いし,使いやすいノダ.

とは言え,ナニしろ約200pp.もあるんで,読むのはこれからボチボチってことで.それにしても,これだけの大部の書籍を体裁ごとインターネット上で再現して,しかもファイル容量や通信速度,動作の軽快感,可読性って点でもラクチンなのには,10年間のインターネット環境の変化をヒシヒシと感じさせてくれるノダ.

本で取り上げてる期間は,タヌぼーにとっても意識的に美術を見てきたり,インターネットに触れてきた期間とほぼ重なるし,今じゃそれらと全く無縁ってワケにゃいかんよーな仕事やってるから,こりゃ必読の書じゃなかろーかって思うトコでござい.

タヌぼーが初めてインターネットに触ったのは1996年だったけど,当時nmpって言ったartscapeは,その最初期から見てたノダ.あのころは,サーチ・エンジンで美術館サイトがなかなか見つけられんかったんで,美術館サイトリンク集を活用してたニャ.artscapeになってからは,展覧会情報にチェックにず~っと使ってるノダ.長いつきあいになったモノだニャ.

アートスケープ・クロニクル1995-2005―アート、ネット、ミュージアム
森 司 村田 真 暮沢 剛巳 「artscape」編集部
大日本印刷株式会社ICC本部 (2005/11)

2005年11月20日

DOOR BOOKSTORE

しもたー.今日は別のネタ出すつもりだったんで,写真撮ってへんノダわ.

いやあのね,松江で用事したあと,DOOR BOOKSTORE(松江市上乃木)に寄ったんですわ.で,そこのマダムやお客さん相手にタヌキにゅーすの宣伝したモノだから,DOOR話をせんで寝るワケにゃいかん展開になってもーて.それなら店の様子を写真に撮らせてもらえばよかったニャ,なんて今さらながら.ま,そりゃエエとして.

DOORってな,石ちゃん語で「山の手」って呼んでる上乃木の住宅地に,個人宅の一部を使って去年の秋に開店した小さな本屋さんナノダ.コンクリート・ブロックの建物でさ,2階まで吹き抜けになってるアトリエに,後藤繁雄とか白洲正子とか美術方面の洋書とか,店のマダムが選んだ本が並んでるノダ.とりあえず週刊誌ってつもりで行っても,んなモンはまるでないノダ.マダムの本棚みたいな感じナノダ.満月の夜にゃディナーがあったり,雑貨だとかコーヒーの入れ方だとかの講座も時々やったりしてるみたい.

そーゆー感じのトコだから,不特定多数の人が入れ替わり立ち替わり覗いてっては消えてくよーなお店じゃなくて,お茶でもいただきながら,マダムやほかのお客さん,とりわけマダムとゆかりのある人と,心ゆくまで店頭の本の話題や藝術談義から世間話まで,あれやこれやおしゃべりしてくつろぐ場所ナノダ.

あたしゃDOORに集まってくる人たちを指して,「上乃木方面の人々」とか「上乃木文化圏」とか呼ぶことがあるノダけど,いろ~んな分野の音楽や美術の関係者や愛好者がたくさん顔出してて,ちょっとした文化サロンになってるノダ.今日は,ゆんべライヴをしたミュージシャンが来て,ライヴに出かけたマダムと先客さんおふたりともども,大いに話に花を咲かせたノダ.タヌぼーもまた,タヌキにゅーす未公開のデザイン談義を,ここじゃ存分にやってるカモ.

2005年11月19日

塩冶判官

外出の支度をしながら見ていた,ETV『日本の伝統芸能 文楽入門』再放送で,赤穂事件を扱った名作『假名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』を取り上げていました.歌舞伎の演目としても名高い『假名手本忠臣蔵』ですが,もとは人形浄瑠璃(文楽)のために書かれた作品です.

徳川幕府の治世にあっては,この事件を実在の人名を用いて劇化することがはばかられたため,例えば大石内蔵助は大星由良助(おおぼし・ゆらのすけ),萱野三平は早野勘平といった具合に,役名が置き換えられ,時代設定も元禄年間から南北朝時代に移されています.

さて,赤穂事件の発端となった,いわゆる松の廊下の刃傷事件の当事者である吉良上野介と浅野内匠頭.『假名手本忠臣蔵』ではそれぞれ高師直(こうのもろなお)と塩冶判官高貞(えんや・はんがん・たかさだ)の名で登場します.師直も判官も実在した人物で,師直は足利幕府初期の執事,塩冶判官は婆娑羅大名として知られる佐々木道誉と同族にして,出雲国の守護です.

『假名手本忠臣蔵』は刃傷事件の原因を,師直が判官の妻・顔世御前に横恋慕したことに求めていますが,この設定は,鎌倉時代末期から南北朝時代の動乱を描いた軍記物『太平記』から借用されたものです.『太平記』には,塩冶判官の妻は絶世の美女であると聞かされた師直が,判官の妻に横恋慕したことで判官との関係がこじれ,ついには判官に謀叛の罪を着せて自害に追い込む……というエピソードが盛られています.

その塩冶判官と塩冶一族のものとされる墓が,私が住む島根県出雲市の,その名もズバリ塩冶町にある古刹・神門寺(かんどじ)に現存しています.実は私の家が神門寺の檀家で,『假名手本忠臣蔵』も『太平記』も知らなかった幼少のころ,親に連れられ墓参りに行くと,明らかに昨今のものとは異なる様式の墓石を見ながら,「昔は塩冶って苗字があったノダニャ」などとつぶやいたものでした.

あいにく私は見る機会を逃してしまいましたが,先日,神門寺にほど近い塩冶コミュニティセンター(公民館)で,出雲市出身の漫画家・平野勲さんの筆になる,塩冶判官の生涯を描いた絵巻『出雲塩冶太平記』の披露と一般公開があったそうです(山陰中央新報).塩冶判官は著名な古典文学・藝能の登場人物としては名高い一方,実像が今ひとつよくわからない人物であり,ゆかりの地である塩冶地区でもその名をあまり知られていないのではないかと思います.そのような中で塩冶判官が,ほのぼのとした筆致で賑やかな祭の絵を多く手がける平野さんの手で,どのように描かれているものなのか興味あるところです.

かく言う私も,中学時代に在籍した美術部での最終作として,出雲市内に来演した松竹の歌舞伎が上演した『假名手本忠臣蔵』「判官切腹」の段までを,登場人物に南北朝時代の装束を着せて描いたことを,このにゅーすを書くうち思い出しました.今となってみなくても正視に堪えない仕上がりのため,世間さまには決してお目にかけられたものではありません(笑).当時の私を知る人ならば,私が今デザイナーとして振る舞っているなどと,にわかには信じられないはず.自身でさえ,こうなるとは予想もしなかったのですよ…….

2005年11月18日

『SOVIET STYLE』

『SOVIET STYLE』の写真

みなさま,御機嫌いかがお過ごしですか? 『たぬき家小春の懸賞生活』の時間がやって参りました.

先日,さるメイル・マガジンの読者プレゼントに応募いたしましたところ,一昨日当選者の発表がございまして,そして早くも本日,我がタヌキ小屋に郵送されて参りました.

その迅速さに驚き入りつつ,本日御紹介いたします商品は,1917年の革命をはさむ時期のロシアで巻き起こった藝術運動「ロシア構成主義」のデザイン・パターンを収めた本とCD-ROMのセット『SOVIET STYLE』(BNN,2005)でございます…….

……あー,ワレながら気持ち悪いノダ(笑).そろそろ石ちゃん語に戻すノダ.

1910年代ってのは,イタリア未来派,デ・ステイル(オランダ),バウハウス(ドイツ)といった構成主義に立った藝術運動がヨーロッパのあちこちで起きたノダ.それも,絵画,建築,彫刻,デザイン……といった,いろ~んな分野にまたがった形で.点,線,面,多角形や円といった幾何学的なかたちが,どのよーに構成されてモノをかたちづくってるのか,それをあぶり出したノダ.今につながるモダン・デザインの源流ナノダ.

中でもロシア構成主義ってのは,ソヴィエト連邦という社会主義国家の建設運動に結びついて,労働者とか,重工業を中心とする産業,軍事といったモノが,作品の主なテーマになってるノダ.

『SOVIET STYLE』にゃ,ロシア構成主義を再現した100点のパターン見本とそのJPEGファイルが収録されてて,デザイン素材として使うことができるノダ.半分くらいは,上に挙げたよーな,いかにもCCCPって感じのパターン.ねじや歯車,工場やの建物,蒸気機関車に軍用飛行機や軍艦,鎌とハンマー持った労働者……今となっちゃ,ナンデまたそんなモノばかりが大量にデザイン化されてったんじゃろ?? って気にもなるワケだけど,そーいったフシギさを味わうのも『SOVIET STYLE』の読み方なんだろニャ.

SOVIET STYLE
SOVIET STYLE
posted with amazlet on 05.11.18
Tomi Oladipo William Orr Sweeney
ビー・エヌ・エヌ新社 (2005/09/28)

絵図の世界:出雲国・隠岐国・桑原文庫の絵図

今でこそタヌキぼーやはデザイナーだけど,実は島根大学法文学部/人文社会科学研究科(修士課程)の歴史学の出でござい.

その島根大学で,附属図書館所蔵の絵図の展示があるってんで,紹介しとくノダ.日韓間で領有権問題がある竹島の記載があるってゆー,19世紀半ばに英国海軍が作成した地図が出展されるとかで,地元じゃあちこちで報道されてる(山陰中央新報),あの展示会でござい..

絵図ってのは,平たく言やぁ古地図のことナノダ.今の測量技術でできるよーな,地形を寸分狂わず表した地図を期待しちゃいかんノダけど,地図の性格によって作図の表現はさまざまあるし,記載される情報もいろいろ.ナニより,その土地土地の時代ごとの様子を知る手がかりにもなるノダ.

島根県内や城下町松江の絵図も出るだろーから,なじみある土地の昔の姿を思い浮かべながら見るのも,愉しみ方のひとつじゃなかろか.

江戸時代以前の絵図が多いはずなんで,字ィ読めへんガナってこともあるかも知れんけど,わかりやすい解説が用意してありゃエエですニャ.

会期中の26日(土)にゃ,学生が展示解説してくれるそーな.絵図見物初心者は,このときに行くのも手でしょな.それにしても,学外の人を受け容れる行事で学生が前面に出て働く.エエこっちゃ,エエこっちゃ.ワテはよーせんノダけど(自滅).

その日の午後にゃ講演会も.うわー,行きたいわあ~.でも「光の道」の上映会と重なってるノダ.どないしよ~?? おとといのチラシ配りにゃ,歴史の学生部屋にも顔出したけど,こりゃ学生諸君にゃ「上映会いらっしゃ~い」なんてよー言えませんわ(笑).

歴史部屋の掲示板に「光の道」のチラシ貼ってくれた なおねーさん,ありがとさんナノダ(また私信始まったぞよ).でも,時間帯が完全に重なっちゃったんで,学生諸君にゃ,展示会と講演会をしっかりお手伝いして,お話を聴いて,質問もするよーにススメてやっておくんなせぇ.あ,できれば図書館か研究室か『歴史学通信』で,講演会を活字化してくれたらニャ~なんて(ボソッ).いやあの,こりゃ半ば本気で思うナノダ.のちのちのための記録も大事だからニャ.

ま,少なくとも展示会だけは見に行かにゃいけまへんな.

主催
島根大学附属図書館
後援
島根地理学会
島根史学会
入場料
無料

展示会

期間
11月21日(月)―12月2日(金) 9:00-17:00
会場
島根大学附属図書館本館(松江市西川津町)

学生による展示説明会

日時
11月26日(土) 10:00-11:00

講演会

日時
11月26日(土) 13:30-16:30
会場
島根大学教養講義棟 1号館 302号室
講師・演題
松尾寿(島根大学名誉教授)「堀尾期の松江城下町」
林正久(島根大学教育学部教授)「松江平野の地形とその形成過程」
池橋達雄(島根史学会会長)「出雲の近代絵図について」
藤原茂(島根地理学会会員)「絵図にみる近世の隠岐」
舩杉力修(島根大学法文学部助教授)「絵図のデジタルコンテンツ化の取組み」
司会
竹永三男(島根大学法文学部教授)
詳細
http://lisa.shimane-u.ac.jp/new/new.asp?disp=2&id=62

2005年11月17日

「アイルランド音楽の夕べ」に行く

会場ホワイエでの物産市の写真

昨日の午後は松江市内を数箇所回って,「光の道」上映会のチラシを配ってきたノダ.その締めくくりに行ったのが,100回目のオルガン定演があったばかりのプラバホール.「アイルランド音楽の夕べ:幽霊城の主殿」(主催:財団法人松江市国際交流協会ほか)だったノダ.

スタッフからお誘いがあって行ってみたらまー,スタッフにもお客にも,オルガン関係のおなじみさんが,(こないだのオルガンみたいに)予想以上に多いこと.しかもそのほとんどが「春の夜の夢:薩摩琵琶と朗読の夕べ」(石川陽春デザインワークス)の関係者と来たモンだ.ホワイエのアイルランド・フェアにゃ,8月に山陰日本アイルランド協会がアイルランド行ったときの写真も展示してあったけど,ロビーやホワイエでせっせと働いてる,見覚えのある顔多数(笑).ニャンだニャンだ? ちょっとしたオルガン/アイルランド関係者のサロンができてんのかニャ? 日ごろ団体行動に関しちゃ戦力外通告ならぬ“戦力外申告”してるワタクシにゃ(自滅),近ごろ知らんことだらけでビックリが続くノダ.

そんなこんなで,タヌキなのに一匹オオカミなぼーやは,コンサートや能・狂言もひとりで客席に座ることが多いノダけど,今夜はホワイエで“おとなりさん”を発掘.しかも,このホールじゃいつも舞台上のお姿を拝んでるお人ナノダから,客席で御一緒するなんて,これまた珍しいこってすわ.今までじっくりお話したことはなかったノダけど,休憩時間も客席座ったまんまで,さっきの演奏やら,こないだのオルガン定演やら,タヌぼーの作品よく見て下さってるってんでその辺のこととか,話題は豊富でござんした.

さてさて.本日の出演者は“幽霊城の主”(本当らしい)ことショーン・ライアン(ホイッスル)と,松江じゃすっかりおなじみ守安功(フルート,ホイッスル),守安雅子(アイリッシュ・ハープ,コンサーティーナ,スプーンズ)夫妻のトリオ.1,2本の管楽器使って,単音の楽器たぁ思えんほど複雑で,しかも軽快な音を出してくるノダ.タンギングとか運指とか,エラい技術や表現力が要るんだろーけど,聴いてる方はそーゆーことを忘れてノリノリになっちゃうノダ.踊れる音楽ナノダ.ホールの椅子に腰落ち着けて聴いてるのが,モッタイナイくらいだったニャ.

終演後.愉しげなことやってるホワイエをウロチョロ.食料,雑貨,衣類,アクセサリーやらの物産市(販売:HERO)じゃ,オルガン/アイルランドなサロンの面々の手で,ナンダカ帽子のモデルにさせられてましたわ.ニットの長~い帽子で,長~い余ったトコを首に巻いてマフラーになるよーな,あったかくてかわいいのがあったノダ.フトコロ具合があったかけりゃ,間違いなく買ってたぞよ.

アイルランド名物のビールGUINESSの生樽まで登場してたノダ.アイルランド協会の旅行帰り組が,GUINESS本社仕込みの腕前で振る舞ってたノダ.しまいにゃ,カプチーノみたいに絵まで描き出して(笑).これがまたウケてたノダ.写真撮ったノダけど,わかるかニャ?

Guinessの写真

そんなこんなで,いろいろと愉しい思いして帰ってきたワケでござい.

そーそー.帰り際に聞いたところによると,第100回オルガン定演の出演者に,高校時代のタヌぼーを知ってる御仁があるとか.言われてみりゃ,お名前とプロフィールに書かれた出身地にゃ覚えが……間違いないわ,クラス一緒だったことあるノダ.こーゆーところでお目にかかってたなんて,世の中ビックリすることだらけナノダ~.

2005年11月16日

薔薇が咲いた

オルガン演奏会でいただいた薔薇の写真

帰る際には,よねやまさんに贈られた100本の薔薇の花束から,1人1本ずつのおみやげをいただきました.やがて,我がタヌキ小屋で花開くことでしょう.
(11月12日付タヌキにゅーす「プラバ話」)

その花の写真です.このところ日中も薄暗い日々が続いていますが,晴れ間が覗いたわずかな時間をつかまえて,自然光で撮影しました.

今朝から「清子さん」

今のところ,まだ「紀宮さま」」だったのが,一夜明けて,さてどーなったやら.

ただ今16日のお昼でござい.皇統譜の手続きはまだみたいだけど,今朝のお礼言上のための参内から,「清子さん」になったニャ(朝日新聞毎日新聞読売新聞).式とか皇統譜とかを境に劇的に変わるかと見てたけど,わりと静かな切り替えでしたニャ.かくしてタヌぼーの予想,ことごとく外れぬ.

何はともあれ,おめっとさんでござい.

2005年11月15日

今のところ,まだ「紀宮さま」

朝から内親王の結婚式報道でんな.

で,いつから報道各社は「紀宮さま」から「黒田清子さん」に呼称を切り替えるのかニャ?

……なんてとこに目ェつけて,時々報道をチェックしてるノダ(笑).

タヌぼーは,午前中の結婚式終了時点が切り替えのタイミングと踏んでたノダ.秋篠宮妃と皇太子妃の結婚式報道の場合,式後,宮中三殿の賢所(かしこどころ)から退出した時点で,呼称が「~さん」から「~さま」に替わったノダ.それに匹敵するタイミングってことでの予想だったけど,披露宴やってるらしい夕方時点じゃ,まだ「紀宮さま」ナノダ.

披露宴主賓の東京都知事は,挨拶の中でさっそく「清子さん」って言ってたけどね.

ってこたぁ,明日やるっちゅー,皇統譜(皇室の戸籍)上の手続きしか,境目は残されてないんじゃなかろか.もーちょい,注目してみましょ.

2005年11月14日

TVで能楽鑑賞

昨日のラジオに続いて,今日はTVでの能楽鑑賞の話です.

おとといの午後は,ETVで,観世流の能「定家(ていか)」(シテ:浅見真州)を見ていました.放送時間は2時間.能楽研究者による10分余の解説に続いて,時間までたっぷり演能が放送されました.

近年ETVでは,2か月に1回程度,土曜日の午後に1時間半から2時間,能楽の舞台の模様を見ることができますが,私が小・中学生の時分,1980年代から1990年代初めにかけては,祝日の午前中に1時間程度放送されるのが常でした.放送の日数は明らかに今の方が少ないわけですが,1回あたりの放送時間が延びたことで,「定家」のように上演時間が2時間近くに達する曲も,ノー・カットで愉しめるようになったのではないかと思います.しかも,時間に余裕があれば演者のインタヴューや,一調・一管といった短いプログラムも入ることがありますから,ちょっとしたお得感も得られます.

正月3が日には,やはりETVで『新春能狂言』の放送が毎日あります.これは今でも1時間の番組で,放送時間の都合上,前シテが中入して,後シテが出るまでをつなぐ間狂言(あいきょうげん)が,しばしば尊い犠牲となります(爆).そうは言いながら,私にとってはNHK-FMの『新春謡曲狂言』とともに,三が日の大きな愉しみです.

さて,家族に謡曲を習う者がいるわけでもなく,能楽とはまるで縁のない家庭に育った私にとって,TVは能楽との数少ない接点でした.

かつて能楽番組を放送した祝日の午前中という時間帯は,(今でもそうですが)平日であれば学校教育番組の時間です.しかし,学校ではチャンネル権を先生に独占されているため,“ノッポさん”とか“クラさん”とか“チョーさん”が出てくる番組を,自由に見ることはかないません.その点休日は,朝から好きな番組を見られるチャンスということで,9時ごろETVにチャンネルを合わせるわけです.

ところが,画面に映るのは“ノッポさん”でも“クラさん”でも“チョーさん”でもなく,大きな松が描かれた板をバックに,仮面をつけた着物の人たちが現れて何かしています.仮面の人たちの後ろでは,ヨーとかホーとか言いながら,丸い板のようなものを叩く人が約2名.舞台の脇には黒い服を着た何人ものオッサンたちが,低い声で耳慣れないメロディーを歌っています.歌っている文句が字幕に映し出されているものの,意味がサッパリわからない.

「ニャ~ンダ,ノッポさんも休みなのか」

能の映像を初めて見たときの印象は,実はこんな程度のものでした.この世に能というものがあることは,小学校に入るか入らないかといった時期に早くも,我が家にある日本語辞典の口絵で見て知っていましたが,“ノッポさん”たちを見られなかった怨みが相当強かったのか(笑),能に興味を持つまでには至りませんでした.

そんな私も,やがては祝日の能楽番組を心待ちにする風変わりな小学生へと化けていくことになるのですが,それは本との出会いを抜きに語ることはできせん.後日改めての話題としましょう.

(「本から始める能楽鑑賞[仮題]」につづく)

2005年11月13日

ラジオで能楽鑑賞

日曜日の朝は,NHK-FMの『能楽鑑賞』(7:15-8:00)で眼を醒まします.

現在,地上波の全国放送で定時に視聴できる能楽関係の番組は,おそらく『能楽鑑賞』だけかと思います.能楽公演の少ない地に住む者にとっては,日ごろ能楽に親しむ貴重な機会です.

主にシテ方五流の素謡(すうたい),すなわち能の謡曲部分を毎回1,2番,放送のために収録して聞かせてくれます.囃子もなく,勿論映像もない代わりに,謡の節回しや言葉にじっくり耳を傾けることができます.謡を習う素人のお弟子さんのうちには,お手本として聴く人も多いかも知れません.寝ぼけ眼でウツラウツラしながら聴くのもいいでしょう(笑).かく言う私もそれを実践するひとりなのですが(笑),時には手もとの謡本『観世流謡曲百番集』(能楽書林,1951)に書かれた詞章を目で追いつつ愉しみます.

また2か月に1回程度の割合で,狂言も聴くことができます.時には,ワキ方の謡や舞台の録音,亡くなった名人たちの藝が放送されることもあります.

今朝は観世流の謡曲「紅葉狩(もみじがり)」(シテ:山本順之)を聴きました.能・狂言には季節の定まった曲が多くありますから,それを反映して,放送でも折々にふさわしい選曲がなされています.

正月3が日には,同じくNHK-FMで『新春謡曲狂言』と題する特別番組が毎日放送されます.主に取り上げられるのは,脇能,脇狂言と呼ばれる祝言性の高い曲.この番組での謡曲は,基本的に素謡ではなく,囃子を伴う番囃子ですから,新春らしい晴れがましさが高まります.

(「TVで能楽鑑賞」につづく)

2005年11月12日

プラバ話

プラバホールの第100回記念パイプオルガン定期演奏会の話を続けます.

改めまして.米山麻美さん,オルガンサポーターのみなさん,プラバホールのみなさん,おつかれさまでした.

会場大入りでしたね.開演直前,客席後方に補助席が出たような気がしました.

2時間を優に超えて,さまざまな切り口からオルガンに迫った演奏会でした.中でも,オルガンとマリンバの音の重なったときにおぼえた,不思議な感覚と言ったら…….全く新しい音色が生まれましたね.

終演後,パーティーにもおじゃましましたら,おなじみのお顔が予想以上に多くてビックリ.演奏会を支えてきたみなさんの,普段は見ることのないお姿の一端までも垣間見た気がしました.帰る際には,よねやまさんに贈られた100本の薔薇の花束から,1人1本ずつのおみやげをいただきました.やがて,我がタヌキ小屋で花開くことでしょう.

エントランスとホワイエには,1986年の第1回からのパイプオルガン定期演奏会のプログラムや写真の一部が展示されていました.一部とは言いながら19年分ですから,それなりの量があります.私は松江の大学に通い始めた1995年から,たびたび定期演奏会を聴きに行っていますが,中でも第75回「心が静かになりたい時」(1996年3月9日)が最も思い出深いものがあります.アロマのただようホール.舞台上のリード・オルガン.よねやまさんが弾くフランク作曲「前奏曲,フーガと変奏曲 作品18」.そしてプログラムの半ば,まつもとたかひろさん自身の手で舞台上にひとつひとつ置かれた,木のオブジェ.展示された写真を見るうち,ファンタジックなひとときの記憶が,これまで以上に鮮明に,懐かしさとともによみがえりました.

ところで,展示写真中のうちに私が一聴衆として不覚にも写っているものを発見し,何とも恥ずかしい次第(汗),関係者のみなさん,片づけにかこつけて探さないで下さい(笑).

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2005年11月11日

プラバ帰り

終演後のパーティーの写真

チェコのプラハから帰ったワケじゃござーません.プラバホールの第100回記念パイプオルガン定期演奏会(タヌキにゅーす)から帰ってきたばかりナノダ.あと数分で日付が変わりそーナノダ.

終演後の記念パーティーにも,関係者のふりして(笑)顔出したぞよ.念のため言っとくと,赤の他人がズーズーしく紛れ込んだワケじゃなくて,関係者からお誘いがあったノダ.

それにしてもまあ,オルガニストの米山さんはじめ,プラバホールのスタッフ,オルガンサポーター.2割くらい知り合いだったよーな.それだけに,定期演奏会を支えてきた人たちの,普段は見ることのないお姿までもちょこっと拝んだよーな気がしたニャ.

2005年11月10日

「光の道」島根上映会のチラシ

昨日御紹介しました映画「光の道」島根上映会(タヌキにゅーす)のwebで,上映会のチラシのPDFファイルを公開しました.

下記よりダウンロードして御覧下さい.
http://shimane.topophiria.com/info/

2005年11月 9日

石倉慎吾監督作品「光の道」島根上映会

チラシの画像

石川陽春デザインワークス」には未掲載ですが,松江市出身の映画監督・石倉慎吾さんの作品上映会のための広告作品(チラシ,チケット,web)を手がけました.

上映会の詳細は,http://shimane.topophiria.com/で御確認下さい.

日時
2005年11月26日(土)
開場14:00
上映14:30
場所
島根県立美術館ホール(松江市袖師町1-5)
鑑賞料
前売券800円
当日券1,000円
チケット取扱
今井書店グループセンター店 STUDIO WONDER
NU RECORDS
島根県民会館 しまね文化情報コーナー
島根県立美術館 ミュージアムショップ
今井書店出雲店
ブックセンターコスモ出雲店
ビッグハート出雲
主催
映画「光の道」島根上映会実行委員会
後援
有限会社向村電気
松江サッシ建材株式会社
wato design
お問い合わせ
e-mail: phonicnova@ybb.ne.jp
tel: 090-2291-7432(itagaki)

2005年11月 8日

第100回記念パイプオルガン定期演奏会(プラバホール)

11月11日(金)は,松江市総合文化センター・プラバホールの「第100回記念パイプオルガン定期演奏会」.専属オルガニストの米山麻美さん,おめっとさんでございます.

私もともとはバッハと鍵盤楽器が好きで,松江の大学に入学した10年前から幾度となく定期演奏会に出かけては,バッハに限らずさまざまなオルガン曲を愉しませてもらっていますが,第1回は1986年だったそうですから,もう19年にもなりますか.19年前は……ワタクシまだ小学生,ほんまもんの“ぼーや”でしたから,活動の息の長さが身にしみて(笑)わかります.

ある時期から,休憩時間のホワイエには,お茶とワインが出るようになりました.初登場のときは,ホワイエの雰囲気がガラリと変わって驚いたものです.こうしたおたのしみを支える縁の下の力持ちのみなさんのはたらきにも,頭が下がる思いがします.

いよいよ今度の金曜日ですね.わくわく.というわけで米山さん,当日おじゃましますので,よろしくお願いします(私信?).

2005年11月 7日

「親子で楽しむ能の世界:能楽ワークショップ in 一風亭」に行く

会場外観の写真

写真:会場のやすぎ懐古館一風亭は,古い商家を改装した建物.安来の商業の中心地であった安来市安来町大市場地区には,このような伝統的な商家が多く残っています.

昨日のことになりますが,先日御紹介しました「親子で楽しむ能の世界:能楽ワークショップ in 一風亭」に行ってきました.

講師は,私が広告デザインを担当している「松江・能を知る集い」と同じく,槻宅聡さん(能楽森田流笛方/安来市出身)と安田登さん(能楽下掛宝生流ワキ方).テーマもこのおふたりならではの“能の身体感覚”体験ということで,さながら安来版「能を知る集い」といったところ.ただ,私は松江ではスタッフの一員でもありましたので,純粋に参加者としてかかわったのは今回が初めてでした.

同じテーマとは言いましても,“体験”内容は新しいもの.「なぜ能楽師には,高齢でも現役の人が多いのか?」「小さな穴しか開いていない能面の下で,どのように呼吸しているのか?」といった問題を立つつ,能楽師の舞台上の姿勢や呼吸,発声,足の運びなどを教わりました.

私は自慢じゃありませんが,体を使って覚えることにかけては自信が……まるでありませんので(自滅),予想の範囲とはいえ,ずいぶん悪戦苦闘しました.時間をかけて少しずつ息を吐く.腰から上が揺れないように歩く,大きく,かつ美しい声を出す……日常生活にはない動きをするわけですから.そうは言いながらも,体にまとわりつく重いものが,少しは古くなったような気がして,気持ちよかったです.静かに座って呼吸するうちに聞こえた雨だれの音には,昔ながらの野外の演能を想像させられました.ただ,足がしびれるのには,いつもながら参りました(痛).素人弟子への道のりはけわしそうです(笑).

ワークショップに続く交流会のしめくくりに,槻宅さんのアシライで安田さんが舞い,次いで槻宅さんの一管.安来みやげをいただきました.

参加者のうちには,「松江・能を知る集い」にお越し下さった方や,先月の「松江松聲会」の囃子体験で笛を上手に吹いていらっしゃった方もおいででした.この地域での能楽関係の催しで,またお目にかかりたいものです.

「親子で楽しむ……」と銘打ちながら,オトナの参加者が多い会でしたが,中には能に強い関心を寄せる小学生もいまして,何やら昔の私を見ているような思いがしました.しかも,私と違って大いに体が動きそうですから,この小学生,ひょっとしたら将来どなたかに稽古をつけてもらう日が来るかも知れません.

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2005年11月 6日

しばらく

しばらくタヌキにゅーすをお休みします……の「しばらく」じゃないノダ(いやあのね).こないだ案内出した「親子で楽しむ能の世界:能楽ワークショップ in 一風亭」に行く前に寄ったおそば屋さんが「しばらく」って名前だったノダ.

ナンダカンダで安来にゃ年に1回は行ってるかニャ.去年は昨日ちょこっとネタにした足立美術館.で,安来で食事するときゃ,安来駅に近い「しばらく」が定番.

古い道具に囲まれた店内

土蔵風の外観を持つ建物の中に入ると,古い道具に囲まれた落ちついた店内.道具見てると,待ち時間も退屈しないノダ.

割子そば2枚

少しつるっとした麺に,タヌぼー好みの辛めのおつゆ.出雲そばにゃ珍しく,もみじおろしも大根おろしも乗ってなくて,ちょっぴりわさび添えてあったノダ.このあと出たそば湯,あっさりして飲みやすかったノダ.

閉店の札

2階にゃ団体客がわんさか来てたせーか,13:30前に閉店.ゴチでやんした.

ワークショップの報告はまた明日ナノダ.今日のところはオヤスミコスミ(スヤスヤ).

2005年11月 5日

足立美術館開館35周年

The Journal of Japanese Gardeningの「庭園日本一」に3年連続で選ばれたことで話題の足立美術館が,この3日で開館35周年だったそーナノダ.今日の夕方にゃ,BSSラジオで特別番組やったノダ.

足立美術館に前回行ったのは,去年9月の「発見された幻の名画:横山大観「海山十題」展」.大観が売上金で軍用飛行機を陸海軍に寄贈したってゆー『海山十題』(1940)全20作が,発表時の展覧会以来初めて勢揃いした展覧会だったノダ.そのときの感想は第3期のタヌキにゅーすに書いたけど,あれからもう1年以上なのね.早いニャ.

今の時期,美術館の見ものはナンたって大観の屏風絵「紅葉」(1931)ナノダ.美術館のエントランスにゃ陶板画になった「紅葉」があるけど,これはちゃんと実物で見てナンボ.「龍田の川の錦なりけり」さながらの,大観にちゃ珍しい絢爛豪華ぶりですさかい.庭園の紅葉もボチボチ鮮やかになってきてるのかニャ?

2005年11月 4日

妖怪鉄道

「ねずね男駅」米子駅の写真

弓ヶ浜半島を縦断するJR境線(米子―境港)の全16駅に,妖怪にちなむ愛称が入った駅名標が取りつけられて,昨日記念式典だったそーナノダ(山陰中央新報).

「ナンデ妖怪やねん?」って思った人に向けて解説すると,沿線の境港市ってとこは,『シルクロードの喜多郎』じゃなくて,『ゲゲゲの鬼太郎』でおなじみの水木しげる翁の出身地ナノダ.境港駅降りると,駅前から商店街にかけて,妖怪のブロンズ像がいっぱい並んだ「水木しげるロード」になってて,途中に水木しげる記念館や妖怪神社まであるノダ.全国有数の水揚げ量のある漁港で有名な境港市だけど,近ごろは“妖怪のまち”ってことで観光地化してきてるノダ.

そんなこともあって,境線にゃ数年前から「喜多郎列車」って言って,シルクロードを横断……あ,そのボケはもうエエって? 「鬼太郎列車」って言って,車輌の内外に鬼太郎や目玉のおやっさんはじめ,水木作品でおなじみの妖怪がいっぱい描かれた普通列車が走ってたけど,“妖怪鉄道化”をさらに進めて,各駅に妖怪の名前を愛称としてつけて,妖怪を描いた駅名標を設置する,なんてことも始めたんだって(JR西日本).

もっとも,駅のある土地と妖怪の関聯があるたぁ思えんから,しょーじきなとこ全駅に妖怪の名前ってのはどーもピンと来ないノダけど,水木しげるロードとの連続感を出すって意味じゃ,それもまたオモロいかも.水木ロードが米子駅まで一気に19km延びたみたいで,スケイルでっかいニャ.

ちなみに境線の列車はほとんど各駅停車で,米子―境港間は約40分.JRのローカル線にしては(たぶん)珍しく,駅間が平均1km程度と短いモノだから,列車が全速力出す前に次の駅に着いちゃうみたいな(笑).上り下りとも1時間に1,2本あって,普通列車は出雲市―米子間並みの本数が出るから,通勤・通学や買い物,ちょっとしたお出かけにもよさそーナノダ.弓ヶ浜半島は基本的に砂地なんで,車窓から見える耕地はモッパラ畑.車内も車窓も,地元の暮らしがよーく見える路線ナノダ.

ちなみに,境港市出身と言えば,水木しげる植田正治,宮川大助.小さな町なのにまあ,いろんな人が出てまんな.

写真:山陰本線と境線との乗換駅・米子駅“霊番乗り場”は「ねずみ男駅」(2005年10月撮影)

2005年11月 3日

損保ジャパンよ,今年はどーした?

今年の文化の日,ナンかモノ足りないニャと思ったら,日本テレビ系列/損保ジャパン(旧・安田火災)一社提供の,イタリア・ルネサンス美術の特別番組がなかったノダ(参考:昨年の番組のサイト).中学生のころから10年以上,ほぼ毎年見てきてたから,ちとさみしいこっちゃノダ.

このシリーズで《システィーナ礼拝堂》に描かれたミケランジェロの「最後の審判」(1512)の修覆作業を追っかけてたノダ.何百年分もの汚れを落として,鮮やかな色彩を取り戻すのを見たときの感動ったらなかったニャ.大学に入ってから,番組スタッフが修復作業について書いた本が出て,図書館でよく借りて読んだノダ.

ルネサンスの美術と時代を,毎年特定の美術家または都市を中心に,じっくり掘り下げて紹介してきたシリーズだから,これからも続けて欲しいモノだけど,来年以降はどーなるかニャ?

システィーナのミケランジェロ
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本日のタヌキ屋敷

えー,ワタクシの住んでおりますのは中国地方の島根県は出雲市とゆーところ.簸川平野のほぼ中心,出雲市駅にほど近いところなんでーありまして,県東部(出雲地方)のうちでも,気候は比較的温暖.この時期の日中の気温は10℃台後半に達するのでーあります.

しかもワタクシ,日本暑がり学会中国支部より「島根3大暑がり」の1人に認定されておりまして,つい先ごろまで扇風機のお世話になってたのでーあります.

が,本日11月3日,我が家では早くも,

炬燵が出た

のでーあります.

実はウチには,日本寒がり学会より認定を受けた「日本寒がり100選」の1人も同居してまして,夏が終わったかと思ったら,早くも冬支度が始まる.なんてーのが,毎年の恒例なのでーあります.

おタク,炬燵いつ出します?

《京都御所》秋の一般公開

清涼殿の写真

《冷泉家住宅》(1790)の特別公開(タヌキにゅーす)に続いて,御近所の《京都御所》(1855)でも,恒例の秋の一般公開が昨日始まったそうで(asahi.com).今回は皇后宮常御殿(こうごうぐうつねごてん)も公開しているとか.普段は非公開の建物ですよね,確か.

先日の《冷泉家住宅》のにゅーすに出した写真,実は2001年秋の《京都御所》一般公開を見たあとに立ち寄って撮影したものです.平安時代の様式によって造営された大規模な宮殿と,近世のこぢんまりとした公家住宅とでは,同じ宮廷文化を伝える建築でも,まるで雰囲気が違っていて面白かったことを思い出します.今日は御所内の写真を1点お目にかけましょう.正殿に当たる紫宸殿(ししんでん)とともに,王朝文学を思い起こすのにはうってつけ,天皇の日常生活に用いられたという清涼殿(せいりょうでん)です.

写真:清涼殿(2001年10月撮影)

「女性美の追求」展に行く

展覧会のポスター,チラシ,チケットの写真

先日紹介しました「女性美の追求」展に,昨日行ってきました.

奥行きのある細長い展示室の入口で出迎えたのは,昭和戦前期の資生堂パーラーのメニュー,ティー・セット,銀器(!!)の数々.メニューは日仏または日英の2言語を併記.ティー・セットには花椿のロゴがあしらわれているのはもちろん,銀器の茶こしに至っては花椿そのものをかたどっているのはさすが.これらの食器を手にとってフランス料理を味わう,モボモガの姿が思い浮かびます.

展示内容は,

  1. 明治の銀座通りと資生堂の創業:文明開化と洋風調剤薬局
  2. 高級化粧水「オイデルミン」と日本的香水:ハイカラな化粧品
  3. 資生堂スタイルの創造:意匠部のモダンなデザイン
  4. 資生堂ギャラリーと資生堂パーラー:文化支援(メセナ)と銀の食器
  5. 福原信三と写真芸術
  6. 化粧道具の変遷:鏡と鏡台の移り変わり

といった構成で,資生堂の歴史の中でも,資生堂が化粧品ブランドを確立し,あわせて幅広い文化活動に進出した時期,言わば“福原信三の時代”に焦点が当てられていました.

資生堂パーラーの食器とともに資生堂らしさをよく知ることができるのは,やはり化粧品のパッケイジやポスターでしょう.“福原信三の時代”,すなわち大正・昭和戦前期は,アール・ヌーヴォーと呼ばれるデザイン・スタイルの日本における全盛期に重なり,植物的な曲線美や単純化された色面といったアール・ヌーヴォーらしい表現が,パッケイジのデザインにふんだんに投入されています.その代表は何と言っても花椿の企業ロゴですが,日本の花のイメイジで調合した香水のシリーズ(大正期)の瓶に金箔の線であしらわれた花の意匠,前田貢が手がけた「ドルックス」ブランド(1932)の,銀地に黒の唐草模様にも,共通したデザイン感覚を見てとることができます.

アール・ヌーヴォーからその後に続くバウハウス流モダニズムを思わせる,シンプルな線と面によって表現された女性像が,ポスターのメイン・ヴィジュアルを務めるのも,この時期の資生堂デザインの大きな特徴と言えるでしょう.当時ポスターに描かれる女性像の主流だった伝統的な美人画との鮮やかな対照.時代の最先端を切り開く女性の姿が浮かび上がり,興味深いものがありました.

こうした広告デザインを手がけたのは,社内に1916年に設置された意匠部に所属するデザイナーたち(川島理一郎,矢部季,前田貢,沢令花,山名文夫ほか)でしたが,日本企業が広告デザイン専門の部署を持つ例としては,最も早い時期のものではないでしょうか.しかも福原信三は自分のデスクを意匠部に置いたというのですから,資生堂がいかに広告デザインの重要性を強く認識していたかがうかがわれます.だから,“福原信三の時代”の資生堂は面白い.

この日は資生堂名誉会長の福原義春さんの講演会があり,オバサマやらおねーさまやら,スーツ姿のオジサン集団やら,デザイナーとおぼしき人やら観光客やら,なんかよくわからない客層に混じって聴いてきました.展示ではほとんど扱われていない戦後から今日までを含む資生堂の歩みを,文化活動を中心に1時間でたどるというものでした.社内で物議を醸したデザインの話題もあり楽しかったのですが,中でも,過去の広告作品が美術館の展覧会に出品されることで,「商品の広告も,何十年か後には藝術作品として評価されるということを実感した.これを社会に還元していきたい」という意味の言葉は,歴史学で修士論文を書いた覚えのあるデザイナーである私にとって,いろいろと考えさせられるものがありました.私が書いた論文のテーマは,1930年代から40年代にかけてのモダニズム建築なのですが,今日ようやく歴史的存在として目が向けられるようになって評価が固まりつつある一方,老朽化や再開発の名のもと,失われゆくものも多い.広告にしても建築にしても,純粋藝術として扱われないがために,藝術的評価が後回しにされがちという事情があるのでしょう.そうした厳しい状況にあって,後世に伝えるべきものをいかに見極め,散逸を防ぎ,保存・活用をはかっていくか? ……歴史学は廃業したとは言いながら,決して無関心ではいられない事柄です.

なお,この展覧会の内容を知るには,資生堂サイト内の「資生堂ものがたり」が手がかりになるかと思います.

2005年11月 2日

amazlet

昨日は『FORGOTTEN SAGA』の紹介書きたかったばかりに,Amazon.co.jpから商品データを取得してエントリーに貼り付ける方法を調べてたノダ.

まっさきに思い浮かぶのは,Movable Type用のplug-inを導入するってことナノダ.

参考になりそーな↓

によると,

  1. AmazonでDeveloper Tokenを取得
  2. Amazonから商品名の紹介料をもらいたければ,Affiliate IDも取得(今回は紹介料目当てではないので,取得の意思なし).
  3. aws.pl(MT plugin for Amazon webservices)をインストール.
  4. processtags.pl(Process Tags Plugin)をインストール.
  5. テンプレートを設定.

といった手順みたいナノダ.

でもね,AmazonのDeveloper Tokenの取得手続きで得られたのが「Access Key ID」と「Secret Access Key」.2つのうちどっちがDeveloper Token? それとも関係ないモノ取得しちゃった??

もーひとつわかんないのが,テンプレートの設定で,「playground | blog: Amazon Web Service」によると,

次に183行付近のURLボタンの次の行に、
document.write('<td width="40"><a href="javascript:insertAmazon()"><img src="<TMPL_VAR NAME=STATIC_URI>images/amazon-button.gif" alt="amazon" width="40" height="18" border="0"></a></td>');

を追加。

の「183行付近のURLボタン」がナニに記述してあるモノだかわからへんノダ(シクシク).この方法でうまくやってる人と,どこでやり方の違ってるんでしょ???

そんなワケで,Plug-inの導入はおあずけ.そこで,「playground | blog: Amazon Web Service」の筆者殿が以前使ってたとゆー, Amazon個別リンク作成支援ツールのBookmarkletをヴァージョン・アップしたamazletを使うことにしたノダ.

これだと,ブラウザーに表示させたamzletで商品検索して,検索結果画面に該当商品があれば,「この商品のリンクを作成」ボタンをクリックすると,該当商品の個別ペイジへのリンクを含むHTMLソースが生成されるノダ.それをコピーして,blogのエントリーに貼り付けるだけ.5種類のソースが用意されてて,タヌぼーは画面の一番下に出てくる「商品情報リンク (レビューなし/スタイルなし)」を使ったノダ.スタイルの記述は自前のCSSにまとめたいからニャ(今日現在はスタイル未設定).

てなワケで,過去のエントリーで名前が出てきた書籍やCDについても,amzletで取得したAmazon.co.jpへのリンクを追加したノダ.↓のカテゴリーでまとめて見られるノダ.

画像が増えて,タヌキにゅーすの見た目がだんだん華やかになってきたぞよ.

2005年11月 1日

和泉宏隆『FORGOTTEN SAGA』

ある特定の季節になると繰り返し聴きたくなるCDが何枚かあるのですが,秋が深まるこれからの時期にはこの1枚.

『FORGOTTEN SAGA』(1997)は,発表当時T-SQUAREのキーボーディストだった和泉宏隆による,初めてのピアノ・ソロ・アルバムです.全11曲中4曲は,すでにT-SQUARE(THE SQUARE)のアルバムまたはヴィデオで発表されていたものですが,ピアノ・ソロにリアレンジされて趣を新たにしています.

2000年10月の終わり,史料調査のため東京に滞在した折,宿に着いた私は,携行したPCでこのCDを再生して聴きました.一音一音を確かめるように,ゆったりと始まった「Songs Inside」.やや硬質な響きを帯びたピアノの音は,消え入るまでのつかの間,日暮れて少し肌寒くなった空気に触れてしばしとどまる.それは日々暑さにわずらわされる夏や,暖房を用いるとともに衣服を幾重にも重ねて体を温める冬には感じることのない,この季節にこそ得られる,多くを身にまとわない音.秋の夜に48分のささやかなよろこび.

FORGOTTEN SAGA
FORGOTTEN SAGA
posted with amazlet on 05.11.01
和泉宏隆
ソニーミュージックエンタテインメント (2000/10/12)
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