2007年12月31日

雪のおーみそか

うっすら屋根に積もった図の写真

この冬はじめて雪がつもったノダ.冬だもの,こーゆー日もなくちゃいかんワナ.

ちゅーワケで,今年のタヌキにゅーすは,これにておしまいししまい.来年もひとつよろしゅ〜.

2007年12月30日

正月三が日はNHKで能・狂言

昨日の忘年会で,「このへんで今度狂言が見られるのはいつか?」と訊かれたのですが,今のところ私は確たる情報を得ていませんので,替わりに正月三が日にNHKの教育TVとFMで放送される番組を紹介しておきました.

「山陰の能・狂言を見に行く会」のサイトにも,少し書いておきました.

なにぶん山陰地方は,東京や関西などに比べれば,能・狂言の公演数がずいぶんと限られていますから,TVやラジオが能・狂言との出会いに果たす役割は,決して小さくはないと思います.私も実際,高校時代まではTVと本で能・狂言に親しんできたものですから.「能・狂言は見たことがないけど,タヌキぼーやがわーわー言うモンだから,少しは気になってる」という人(誰?)は,こういう機会をチェックしてみて下さい.

ちなみに,正月三が日のこれらの番組,基本的には放送のために演じて収録したものですから,観客は普通いません.客席に人っ子ひとり見えなかったり,狂言で客席から笑い声がまるで聞こえなかったりしますが,「能ってゼンゼン見る人いなんじゃない?」「狂言って笑っちゃいけないの?」なんて思わなくて結構ですから,御安心あれ.……と言っても,お客のいないスタジオで録音した落語並みに違和感はあるかも知れませんが(笑).

2007年12月29日

中華料理で忘年会ナノダ〜

忘年会にお呼ばれして,出雲市の中華料理店「道楽」に行ったノダ.

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箸袋.

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油彩でっか?

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ビリっと来たノダ麻婆豆腐(←いろはかるたみたいな書き方だニャ).

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鰹のたたき.タヌぼーの一番の好物.

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たこのおさしみ+生姜.トロ〜リやわらか.そーいや(人間の方の)タコちゃん元気かニャ?(ひとりごと)

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中身がうんと詰まった焼き餃子.

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胡椒がきいてる麺と野菜の炒め物.この時点でけっこーお腹いっぱいで,あんま食べれんかったノダ(汗).

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デザートぷるるん.


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2007年12月28日

「仮名手本忠臣蔵」でGoogle検索すると最初に出てくるサイト

赤穂浪士または塩冶判官旧臣たちは,本懐を遂げて今ごろは大名家にお預けの身となっていると思いますが,このところ『仮名手本忠臣蔵』ネタが続いたんで,仕上げに「仮名手本忠臣蔵」でGoogle検索して,最初にどんな検索結果が出るか,試してみました.

Wikipediaでも出てくるかと思ったら,(C)2004 Japan Arts Council, All Rights Reserved?

国立劇場や国立文楽劇場などを運営している日本芸術文化振興会という独立行政法人のサイトの「文化デジタルライブラリー」にある教材コンテンツでした.Flashたっぷり使って,演目の一場面を描いた浮世絵を交えた詳しいあらすじの紹介や,作品の背景となった出来事,5門正解するとナンかプレゼントがもらえるクイズまであるという(ワタクシもナンぞもらってみました),なかなかにぎやかな内容になっているようです.ガッコの先生だけでなく,初めて文楽や歌舞伎を見る人や,これからもっと楽しみたい人が遊ぶのにもよさそうです.

「文化デジタルライブラリー」のリンクをたどっていくと,『義経千本桜』や『菅原伝授手習鑑』といったほかの文楽や歌舞伎の人気演目でも,同様のコンテンツを作っていますね.

2007年12月27日

「出雲地方の正月行事」展

昨日行った島根県立古代出雲歴史博物館で,特集展「出雲地方の正月行事」(2008/01/14まで)もちょこっと見てきたノダ.

ちょーど山陰中央新報にも載った↓でござい.

島根県古代文化センターで記録撮影した映像や写真が主な展示品,しかもこーゆーテーマだから,地味と言やぁ地味な展示ナノダけど,地域の文化を後世に伝えるための一助になるのも,地元の研究機関,地元の歴史民俗博物館の大事な使命のひとつナノダから,大事な仕事だと思うノダ.

時間の都合で一部だけ見た映像展示の中にゃ,美保関町の北浦ってとこの御田植神事が出ててさ,ミニチュアの農具や稲に見立てた榊のはっぱで,田植から稲刈りまでを,地区の人が神さまの前で再現しててかわいかったノダ.しかも農夫役の人と牛役の人が「どうどう」「モー」とか言いながら田おこし代掻きやってるし.牛や馬が出てくる狂言みたいで,よく言われる「藝能のルーツは神事ナノダ」って話が,ナルホドこーゆーことなのかニャ,なんて思ったノダ.ま,それ以前に,見ててナンだかほほえましいのナンのって.そーゆー見方で,カターいことはヌキに展示を楽しむのもエエんじゃなかろか.

そうそう,かわいいと言やぁ,来年の干支,ねずみさんが裃姿や電チュー綱渡りで,展示室で出迎えてくれるノダ.歴博サイトにも出てるこの画ナノダ.出雲大社に初詣のついでに会いに行くと,ナンかいいことが……あるとエエニャ(ヲイ).

2007年12月26日

十六島海苔おにぎり

十六島海苔おにぎりの写真

いずもるの更新作業で,出雲大社のおとなり,島根県立古代出雲歴史博物館へ行ったノダ.食事は館内のカフェ「阿礼(あれい)」で「十六島海苔おにぎり」(1,000円).

島根半島の十六島(うっぷるい)湾で冬にとれる海苔は,『出雲国風土記』の楯縫郡(旧平田市の大部分.現在は出雲市)の項にも書かれてる,実に千数百年来の出雲名物ナノダ.

香りよくコシのしっかりした海苔(だからちゃんと噛んで味わうノダ)を,古代米のおにぎりにペロンと巻いてあって.ほかじゃなかなか味わえそーにない組み合わせ.12月から3月まで出てる冬の味覚ナノダ.

2007年12月25日

「移動郵便局」2月に試験導入

中心市街地住まいのタヌぼーは,ありがたいことに郵便局で不自由するこたぁないノダけど,簡易郵便局すら一時閉鎖して,身近に金融機関がない地域って,珍しくなくなっちゃってるのね.一時閉鎖の簡易郵便局が4299局中424局って,深刻な数字じゃない? ビックリしたノダ.

郵政民営化でどーなっちゃうんだろって思ってた郵便局,いいトコもあるじゃござんせんか.

2007年12月24日

クリスマスのバロックと言えば

ジングルベルから山下達郎まで,クリスマス・ソングを聴かない日はない今日コノゴロ.

バロック好きのタヌぼーアンテナがよく受信するのは,ヘンデルのいわゆる「ハレルヤ・コーラス」.あのハレルヤ10連発ね(そんな覚え方すんなって?).

今年はナゼだかラジオでよく聴くノダ.で,とーとー昨日は,NHK-FMの『20世紀の名演奏』で,トマス・ビーチャム指揮で1959年録音だというヘンデルのオラトリオ「メサイア(救世主)」(HWV56)第1部から第3部までを,放送時間1時間57分ほぼいっぱい使って抜萃で取り上げてて(ってこたぁ,全演奏時間って何時間何分なのよ??).そしたら第2部の後半で出てきた出てきた,ハレルヤ10連発(だからその言い方どーなのよ??).

でも,「ハレルヤ・コーラス」だけ取り出して聴くのと,「メサイア」第1部,第2部……と順を追ってハレルヤ10連発(だからその呼び方やめいっちゅーに)にたどり着くのとは,だいぶ印象が違うニャ.「ハレルヤ・コーラス」だけだと,いきなりものすんごいパワーが押し寄せてくるって感じだけど,通して聴いたら(抜萃だけど),「ハレルヤ・コーラス」に行く着くときにゃ,体に音楽が染み渡ってるから,すんなり受け入れられちゃって,一体感があるノダ.ベートーヴェンの第九を合唱だけ聴くのと,第1楽章から聴くのとの違いに似てるカモ?

NHK-FMで毎日6:00から放送してる『バロックの森』は,クリスマスの明日から3日間,バッハの「クリスマス・オラトリオ」(BWV248)を第3部まで,毎日1部ずつ取り上げるそーな.番組サイトの解説によると,この曲の初演時(1734年)も,第3部までは25日からの3日間で1部ずつ演奏したんだとか.これになぞらえた放送ってワケなのね.こりゃまたオモシロい趣向ナノダ.「クリスマス・オラトリオ」って,ある程度まとまった形じゃ,もしかしたら初めて聴くのカモ.どんな感じの曲なんだろニャ.

2007年12月23日

『仮名手本忠臣蔵』の討ち入り

↑の中で,

『仮名手本忠臣蔵』では討ち入りがどう描かれているか……といいますと,えー,そんな場面ありません(爆).

と書いたわけですが,ちょいと補足を.

討ち入り場面のテクスト自体は,あるにはあるのです.新潮日本古典集成の『浄瑠璃集』(土田衛校注,1985)によると,しっかりチャンバラもやってますし,師直(吉良上野介)邸の隣家に,由良助(大石内蔵助)が塀越しにことわりを入れる場面もある(時代劇でも,土屋主税邸に浪士がひと声かけると,土屋邸から何本もの提灯が吉良邸に向けて立てられる場面がありますが,それに相当するものでしょう).最後は塩冶判官(浅野内匠頭)遺臣らの前に引き出された師直,「覚悟はかねて サア首を取れ」と神妙に討たれます.遺臣たちは「をどり上がり飛び上がり」「よろこび勇んで舞ふ者もあり」,果ては「首をたたいつ食ひつきつ」本懐遂げた喜びをあらわすのです.いくらなんでも,師直の首たたいたり食いついたりまでしますか(ヲイ)って感じですが.

ただ,今日の文楽で上演したという話は聞かなくて(文楽関係の本でもそんな紹介を読んだ覚えが).文楽の技芸員のサイトで公開されている『仮名手本忠臣蔵』の床本(太夫自ら書き写した台本)でも,討ち入りのくだりを見かけたことはありません(ワタクシ文楽が好きとはいえ,詳しいというほどでもなければ研究者でもないため,精査したわけではないのですが).

「天河屋の段」で討ち入りの際の合言葉を「天」と「河」に決めたあとは「花水橋引揚の段」.「 柔能く剛を制し弱よく強を制するとは、張良に石公が伝へし秘法なり。塩治判官高定の家臣大星由良之助これを守って」までは,新潮版と同じ.ところが,技芸員のサイトの床本ではこのあと「……艱難辛苦の一年も、首尾よく本望成就に今ぞ晴れゆく富士の嶺」と,すでに師直を討ち取ったことが語られるに対し,新潮版では「すでに一味の勇士四十余騎 猟船に取り乗つて。苫ふかぶかと稲村が崎の油断を頼みにて」と,まさに海路より師直邸に向かうところ(『仮名手本忠臣蔵』では,舞台地が江戸から鎌倉に置き換えられています.さながら鎌倉幕府の執権・北条氏を討たんとする新田義貞勢のようです).

『仮名手本忠臣蔵』でもちゃんと書かれていながら,討ち入りの場面が上演されなくなったのは,この作品が現代に至るまで忠臣蔵ものの芝居に影響を及ぼしていることから思えば,意外ではありますね.もっとも,以前の記事で書いたように,討ち入りそのものよりも,そこに至る数々のエピソードをじっくり描き出すところが,人形浄瑠璃のための作品らしいところでもあるのですが,『仮名手本忠臣蔵』における討ち入り場面の自然淘汰と,後世の忠臣蔵ものにおける討ち入り場面の「復活」の過程というのは,どんなものだか興味ひかれるところです.

2007年12月22日

JR全面禁煙をめぐる裁判

今年3月から新幹線や特急を全面禁煙としたJR東日本を相手取り,その措置の取り消しを求める訴訟が起こされていたというのは,実はこの記事見るまで知りませんでした(このところ顔が出せないでいる「しまね子どもをたばこら守る会」の会合では,もしかしたら話題になったことがあるのかも知れませんが).

裁判の詳しい経緯は,この記事だけでは充分にわかりませんが,受動喫煙による乗客や乗務員への健康被害の防止や,密室化した乗り物内での防災という点から,車内での喫煙はそう簡単に認められてよいものではないでしょう(むしろかつての,車内で喫煙できるのが当たり前だった状態の方が問題なわけで).

ただ,公共の空間での全面禁煙化の流れに対して,世の中あちこちにくすぶっている反発の一端が,こういう訴訟の形であらわれたことは,「守る会」を通じてタバコの問題にかかわっている身として,記憶にとどめるべきことかも知れません.禁煙化の流れを「喫煙者の肩身が狭くなる」ととらえる人たちも,まだまだ世の中には多いですから,私たちのような立場の者が,禁煙化の意義をちゃんと説明できるようにならなければいけないと思います.

2007年12月18日

「あ、」→「あじわい」

ぼーやなんで,お酒飲まないタヌキぼーやでござい(そーゆー問題だったのか?).お酒のにゅーすはよう書かんノダけど,お酒のCMの話くらいはしまっせ.

とゆーわけで,この先は石ちゃん語を日本語に改めてと…….

えー,ひと月以上前からタヌキにゅーすで取り上げようと思いつつ,危うく忘れるところだったのが,アサヒビールの「あじわい」という新製品のTVのCM.新作の放送が始まりましたから,この機会に紹介をば.

「あ、」というコピーに文字を足して「あじわい」という商品名のロゴタイプが現れるというアレです.こういう動きのある文字による表現を,モーション・タイポグラフィと呼びますが,文字のかたちの遊びと,言葉の遊びが一体となっているという点で,日本語の魅力を引き出したモーション・タイポグラフィの好例だと思います.

商品サイトでもCMが公開されています.

2007年12月17日

なんかよーわからんけど,さすがに開き直ったままじゃいかんと判断したのか?

「統合」なのか「照合」なのかはともかく,3月までに終わらないかどーかはともかく,身内に年金の問題が出てきてる身としちゃ,作業は粛々とやってもらわんと困りますわな.公約違反かどーかで揉めたり開き直ったりされても,ナンの前進にもなりゃしないしね.

2007年12月16日

『風林火山』終了

大河ドラマウォッチャー歴,実に20年のタヌキぼーやでござい(初めて見たのが1987年のあの『独眼竜政宗』).

『風林火山』,本日ついに最終回だったニャ.

主演級から脇役まで老若男女,TVドラマじゃなじみの薄い役者がワンサカ出てきては(この作品で初めて見た人けっこー多かったノダ),それぞれちゃんと劇中で役目をつとめて去っていく.大河ドラマじゃめずらしく,一部の主要登場人物がいつの間にかいなくなった,なんてことがなくて,数ヶ月ぶりに,忘れたころにまた出てきたよーな人物でも,何か印象に残る見せ場,去り際が用意されてたノダ.

2004年の『新選組!』にも通じるトコがあるけど,役者の使い方の丁寧さ,脚本の伏線の張り方では,大河ドラマ史上,類を見ない作品じゃなかったかニャ,そんな気がするノダ.最終回の最後の場面でも,見事やってくれたニャ.序盤のストーリーがここにきて生きてくるかと(今日見逃した人もいろだろから,具体的にゃよー書かんけど).

2007年12月15日

冬だって冷たいうどん

「忘年会&●●さんのお祝いと旧交を温める会」なるものに出てきたノダ.年度かわってから勢ぞろいするってのは初めての面々が総勢7名.こっちに来て間もないオヨメさん囲んで,ローカルな話題を提供してたノダ.「バラパン」の話で一堂盛り上がれるっちゅー勢いで(地元民しかわかるまい).『探偵!ナイトスクープ』の桂小枝探偵に調査依頼出そうかって勢いで(どんな勢いやねん?).

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焼肉やチヂミ食べたあとに,締めくくりは冷た〜いうどん.麺が引き締まってて,ヒサビサにうまいうどんでござんした.春夏秋冬,うどんはこーでなくっちゃ(島根三大猫舌の見解).

2007年12月14日

BShiで通し狂言『仮名手本忠臣蔵』

全国数千人中47名の赤穂浪士のみなさん,あるいは塩冶判官遺臣のみなさん,今宵はお勤めごくろーさんです.

なんてのを書いてたら,明日は朝からNHKのBSハイビジョンで,『仮名手本忠臣蔵』の通し狂言(長〜い演目を全篇を通して上演すること)を10時間かけて放送するそーじゃござんせんか.

2004年の国立文楽劇場20周年記念公演だとか.九段目は地上波の放送で見ましたが,大星由良助(大石内蔵助)が雪玉コロコロしながら山科の閑居に帰る「雪転(こか)しの段」の風情が何とも言えずよかったです.

BSハイビジョンの受信環境が整っている人は,楽しんで下さいまし(うらやまし).

2007年12月13日

十二世野村又三郎さん死去

86歳.たぶん和泉流では最年長の狂言方だったのではないかと思います.シベリアで抑留生活を送り,帰国したら先代である父親が亡くなっていて,苦労して又三郎家を牽引してきたとか.

実際の舞台に接したのは,2004年10月5日,出雲市民会館「ザ・ベスト・オブ能・狂言2004」での,上品でやわらかな「附子(ぶす)」.先年TVで見た「金岡(かなおか)」では,大曲でありながらも重々しくならず,あっさりとした味わいに仕上げていたのに好感を持ちました.

6月の観世榮夫さんに続いて,思い出深い舞台を見せてくれた人が,またひとり.

2007年12月12日

このごろよく聴く『仮名手本忠臣蔵』

もーすぐ12月14日,赤穂浪士討ち入りの日が近いせいか,ラジオで義太夫の『仮名手本忠臣蔵』を相次いで聴きます.今日もNHK-FM『邦楽のひととき』で,大序「鶴が岡兜改めの段」「恋歌の段」を放送していました.

『仮名手本忠臣蔵』はもともと人形浄瑠璃(文楽)のために書かれた作品で,初演は寛延元(1748)年の大坂・竹本座.赤穂事件を題材とした戯曲はそれまでにも数多く世に出ていたそうですが,四十七士討ち入りから47年後にして現れた大ヒット作が『仮名手本忠臣蔵』です.のちに歌舞伎に移植されたり,現代でもTVや映画の忠臣蔵ものに大きな影響を与え続けたり.ついには赤穂事件そのものまで「忠臣蔵」と呼ぶのが定着しちゃったという勢い.

もっともこの作品には,大石内蔵助も吉良上野介も浅野内匠頭も,実名では登場しません.江戸時代は幕府がうるさくて事件そのまんまを脚色して上演できなかったため,大石内蔵助は大星由良之助(おおぼしゆらのすけ),吉良上野介は高師直(こうのもろのお),浅野内匠頭は塩冶判官(えんやはんがん)と名を変え,時代設定は南北朝時代.塩冶判官が師直に斬りかかるのも,江戸城ではなくて鎌倉.そこで今日のラジオでも,鶴岡八幡宮で足利直義臨席のもと,討ち取った敵将・新田義貞の兜改めの場面が語られたわけです.兜の目利き役として召し出された塩冶の妻・顔世御前に,足利家を取り仕切る師直が横恋慕……すべての事件の発端です.

「塩冶」といえば,ワタクシが卒業した小学校は出雲市立塩冶小学校.しかも歩いてすぐの神門寺(かんどじ)には,塩冶判官高貞の墓なるものがあります.塩冶高貞(?-1341)は,鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての出雲国守護で,足利幕府から謀叛の嫌疑で追討を受け自害したという人物.この時代を取り上げた軍記物『太平記』では,高貞追討の原因を,幕府執事の高師直が,高貞の妻に横恋慕したことに求めています.その設定を『仮名手本忠臣蔵』は借りたのです.

さて,討ち入りの日は間近.TVの連続時代劇では終盤のクライマックスとなる討ち入りの場面をぶつけることが珍しくありませんが,『仮名手本忠臣蔵』では討ち入りがどう描かれているか……といいますと,えー,そんな場面ありません(爆)(討ち入り場面のテクストはあるのですが,文楽で上演したという話は聞かないです.もし例がありましたら教えて下さい.歌舞伎ではまた事情が違うかも知れませんが).師直邸に向かったかと思ったら,次の段ではすでに本懐遂げて,師直の首級を槍に掲げて引き上げちゃいます.しかしそこが人間の情を丹念に紡ぎ出すという人形浄瑠璃らしいところで,討ち入りに至る数々のドラマで,観客をさんざん泣かせるわけです.しかも全11段,まともに通して上演したら半日はかかる(汗)という一大長篇で(そのため文楽や歌舞伎では,一部の段を取り出して上演することが一般的です).

2007年12月11日

他人事じゃないタヌキ駆除

同県に生息するタヌキのぼーやとしちゃ,紹介しないワケにいかないニャ.

2007年12月10日

『からすのパンやさん』

昨日のNHK『つながるテレビ@ヒューマン』で,

今週の「ハヤミミ」は、絵本に出てくるおかし。絵本の中のあのお菓子が実際に食べられるという、夢のような話題です。

絵本大好き!(By島津有理子)」(つながるブログ@ヒューマン)

なんてのをやってて,『ぐりとぐら』とか『からすのパンやさん』に出てくるパンやお菓子の実写版(笑)が出てきたワケなのよ.

番組の中でも紹介されてた『からすのパンやさん』で何十種類ものパンがズラリと並ぶの見開き2頁.うわ〜,こりゃまたなつかしいノダ.じどうしゃパン,テレビパン,うさぎパン,パンダパン,とんかちパン,のみパン……そんなゆかいなパンばかりでさ,ワテもほんまもんのぼーや時分にゃ,見ててわくわくしたノダ.

そこで考えたノダ.タヌぼーもパンを作るなら.あたしゃやっぱり「タヌキぼーやパン」ナノダ(笑).まずこれでしょ,やっぱ.カワイイことまちがいなし(自薦).そうそう,もいっちょ「殿町オトノマチ」から「オトノサマパン」もイケるカモ.パン焼く設備ある人,どなたか作ってみてちょ〜.

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2007年12月 9日

「石見銀山展」図録入手

あわててたワケですが↓

図録の写真

そーなのよ,発見しましたんですわ.おととい大根島に行く前に立ち寄った殿町の今井書店で.バンザ〜イ.

必要かつ我が身の面目のため(ヲイ)迷わず買いました,ハイ.

そのときにゃ,あと1冊店頭にありましたんで,あわせてお知らせしますです(誰に?).

2007年12月 8日

大根島の由志園

昨日は大根島の日本庭園「由志園」に行ったノダ.

枯山水の写真

紅葉はぼちぼち見納め.

寒牡丹の写真

寒牡丹がほっかむりする季節でござい.

2007年12月 7日

2008年後期のNHK連続テレビ小説は「だんだん」

京都ともども,ニャンと松江が主な舞台地になるんだそーで.マナカナ和菓子対決でもやるんかニャとか思うたら(笑),歌手デビューするって話なのね.

通いなれた松江に,一度は住んでみたい京都が,どんな形で出てくるか,こりゃ見ものナノダ.

2007年12月 6日

いずもる「電車でチャリ旅」取材から1年

島根県立古代出雲歴史博物館の姉妹サイト「いずもる」に,ワタクシはデザイン・スタッフのひとりとして参加したほか,「電車でチャリ旅」という企画の元ネタを出したという話を,以前少し書きました.その取材から,ちょうど1年がたちました.観光にはちょこっと寒い時期だったんです,ハイ.

元ネタを出した名残で,大社町内の取材に同行,「グラフィックデザイナーの石川さん」が登場して建築案内となりました.

出雲大社前駅のステンドグラス

《一畑電鉄出雲大社前駅》《旧JR大社駅》《出雲大社庁の舎》を取り上げたのは,古代出雲歴史博物館の存在によるところが大きいのです.

博物館には,1927年に製造された一畑電鉄の旧車輌の一部と,2002年に解体された《一畑電鉄松江温泉駅》(1927)の部材を用いて再現された改札口が常設展示されています.博物館を出て,出雲大社への参詣道である神門通りを南下すると,かまぼこのようなドーム屋根とステンドグラスが印象深い《一畑電鉄出雲大社前駅》(1930/登録文化財)があらわれ,やがて,かつての町の玄関口にふさわしい威容を伝える和風駅舎《旧JR大社駅》(1924/重要文化財)に至ります.地域の鉄道にまつわる博物館の展示と,町内に残るふたつの鉄道遺産.これらをつなぐことで,鉄道をテーマとした大社の旅のプランが提案できると考えました.

一方,《出雲大社庁の舎》(1963)は,現代日本を代表する建築家のひとりである菊竹清訓の名作です.菊竹と同世代の槇文彦の最近作としての《島根県立古代出雲歴史博物館》(2007),そして文中には登場しませんが,菊竹,槇より若い世代を代表する伊東豊雄の《大社文化プレイス》(2000)とあわせて,現代建築をテーマとした旅を想定して,紹介したいと思いました.

ま,要するにワタクシの趣味丸出しのプランということになるわけですが(笑),そこらへんの観光ガイドブックに出てこない切り口で旅のプランを提案するのが「いずもる」の役目のうちなので,その意味では悪くない目のつけどころかと.

もちろん,大社の建築といえば《出雲大社》を忘れてはなりませんし,古い社家町や門前町,稲佐の浜にほど近い漁師町など,ほかにも見どころは数々あります.そのあたりのこととなると,ワタクシもまだまだ知らないことだらけですから,これからボチボチ探検しながら,別の機会に紹介したいところです.

2007年12月 5日

島根の吉田君

昨日のにゅーすが「島根のおじさま」だったんで,同じ「島根」をしょって立つ鷹の爪団敏腕(?)戦闘主任「島根の吉田君」をGoogle検索したら,ニャンとタヌキにゅーすの記事が2番目に出てきて,ちょとビックリ.

Google検索結果のスクリーン・ショット

ま,9件中の2番目だとゆーのは,この際置いといて(汗).

2007年12月 4日

島根のおじさま

お兄ちゃんが黒人だったりパパが犬だったりする「ただ友」一家@ソフトバンクCMのことなんで,どんな親戚がいても,ちょっとやそっとじゃ驚かないノダけど,初めて「島根のおじさま」って聞こえたとき,ナンかの間違いじゃないかと思ったら,しまね海洋館アクアスの名物シロイルカ,思わぬ形で有名になってるじゃござーませんか.

ウチはぼーやがタヌキで,オトンが城山の猿で,ねーさまがヒラメで,トモダチにコツメカワウソや日光の眠り猫がいるノダけど,シロイルカの親戚まではいないニャ(ま,世の中たいていそんなもんカモ).

ソフトバンクのサイト↓でも「島根のおじさま」見られるノダ.ついでに「スヌーピーケータイ」のアニメ版スヌーピー,なつしかしいニャ.

2007年12月 3日

「輝きふたたび 石見銀山展」の図録を買うの忘れてた

9月に終了したこの展覧会の図録,不覚にも買い忘れて,気がつけば古代出雲歴史博物館のミュージアム・ショップでは完売,出雲市内の書店の店頭からも消えてました(グスン).

どっかの書店で見つけたという目撃情報ありましたら,↓まで教えてやって下さい(ペコリ).

2007年12月 2日

独学でデザイナーになってみたという話[2]ワープロ専用機の時代

[1]のつづき)

高校の文藝部では,年間4冊の雑誌を作っていました.1冊は印刷所で写真植字+オフセット印刷で仕上げるリッチなものでしたが,残り3冊はワープロで作成した原稿を校内の設備で刷り,製本だけ外部に依頼していました.

前者の写真植字+オフセット印刷の場合,文藝部が長年つきあいのある印刷所の用紙に沿ってレイアウトしました.A5判2段組で,1段あたりの字数と行数も印刷所のフォーマットで決まっていて,専用の原稿用紙に原稿を清書しました.これとし別に,A5判2段組であることを示す罫線を引いた原寸大の指定用紙もあり,そこ各頁各段に対応する原稿用紙の番号や,書体や文字サイズなどの簡単な指定を記入しました.もっとも当時の私の知識では,せいぜい明朝体とゴシック体の区別や,見出し周りの文字のサイズを「本文より○倍大きく」といった程度のことしかできませんでしたが.

一方,後者のワープロ原稿では,各原稿のデザインやレイアウトは,B5判という判型の範囲で筆者の裁量に委ねられていました.印刷所が定めた用紙による制約がない分,好き勝手なことができたわけです.当時1990年代の前半は,まだ今日のように高校に生徒が自由に使えるPCが配備されている時代ではありませんでした.教員でさえ,PCを扱う人材はひと握りしかいなかったはずです.その代わり,ワープロ専用機が全盛期を迎え,「書院」や「文豪」が,職場の文書作成や家庭のハガキ作成などに大活躍していました.私も文藝部で初めて雑誌を作る前に,ワープロ専用機を手に入れました.

この機器,ディスプレイに表示される行数はわずかに4行.印刷した文字のアウトラインはギザギザ.書体は和文・欧文ともに1種類.文字の大きさも等倍・4倍・1/2倍の3種類……などといった具合に,まさに文章を入力するためのシンプルな機械でした.文字に平体(文字の高さを縮めること)や長体(文字の幅をのばすこと)を50%ずつかけたり,白抜きにしたり影をつけたり,文字の背景にアミ点などの簡単な装飾をつけたり,罫線を引いたりすることはできました.それでも,今日私たちデザイナーの多くが使用するグラフィック・デザイン用のソフトウェアや,みなさんがお使いのワープロ用ソフトウェアと比べると,本当に限られた機能しかありません.

しかし,そうした機能上の厳しい制約の中から,いかに工夫して,印刷所で刷られたものに負けない文字組ができるか,ずいぶん研究しながら,このワープロ専用機を使い続けたものでした.数パターンしかない文字サイズとエフェクトをいろいろ組み合わせて見出しと本文の区別を明確にしたり,ルビをふる機能かせない機器でルビをふる裏技を発見したり.時には1度印刷した文字を切り貼りも必要でしたし,縦書きの長い文章を2段組にするために,B5用紙1枚を1段分に見立てて,これを上下2枚並べてコピー機でB5判に縮小させて仕上げることもありました.さすがに文字のアウトラインのギザギザだけは,後年の機種に買い換えない限りは克服しようがないものでしたが,それを補って余りあるだけの文字組は,実現し得たのではないかと思います.こうした試みは,自分のPCを初めて買う大学3年まで続きました.

(つづく)

2007年12月 1日

NHK-FM「現代の音楽」50周年特別番組[2]

のつづきなワケですが,はじめに前回の訂正を.

(だいたいコンテンポラリー中心の演奏会って,島根県の出雲市とゆーとこに生息してて出会ったことないもの)

……んなこたぁなかった(汗).出雲市内に限れば,たしかにそーゆー実感なんですが,よー考えたらワタクシ,島根県の松江市っちゅートコにあるガッコに通算8年半(休学期間を含む)通った挙げ句,今だって月に何度かは仕事に遊びに行ってるじゃござんせんか.そーするとガゼン事情は違ってきます.……ネボケて書くといかんですわ.

島根大学の音楽の先生に川添達也という作曲家がいて,当時の特音課程の演奏会で作品聴いたこともあるし,小中学校の音楽の先生,妹尾哲巳さんの坂本龍一作品の演奏会(初期のソロ・ワークを取り上げるなど,選曲が一筋縄ではいかない)にゃ全3回皆勤してるし.ついでに言うと,タヌキぼーやの飼い主名簿に載ってるらしい(?)オルガンの米山麻美さんの演奏聴きに行くと,コンテンポラリーに出会うことがけっこーあります(コンテンポラリー尽くしってのは経験ないけど).……ちなみにこれら全部,プラバホールで聴いてます.主催はそれぞれバラバラだけど.あと,1997年に広島市現代美術館のル・コルビュジエ展で,コルビュジエの弟子で作曲家として有名になったクセナキスの音楽を聴きました.

そんなこんなで,取り立てて系統立てて聴いてきたワケではなくとも,コンテンポラリーの作品には主に演奏会を通じて,そこそこ接する機会はあったのです.ヨーロッパの他の時代の音楽のように親しみやすいメロディーを伴うとは限らず,長調だの短調だのという言葉のあてはめようがないことも珍しくない.どこでどんな音が出て,どんな間が入るのか,特に初めて聴く曲だと見当がつかない.そういったスリリングなところで楽しんできたような気がします.

さてさて,やっと本題です(これからかい?!).

今回の番組で取り上げられた作曲家の中には,NHK大河ドラマの音楽を担当した人も多く(武満徹,間宮芳生,三善晃,林光,湯浅譲二,池辺晋一郎,一柳慧),かれこれ20年は大河ドラマを見てきたワタクシにはわりと親近感があります.

それから,デザイン誌『アイデア』331号(2005年7月号)に,杉浦康平が手がけたレコードやCDのジャケットのデザインが特輯されているのを見ますと,1950年代に既存のジャケットにかぶせて使っていたというデザインに発して,近年に至るまでコンテンポラリーのジャケットが万遍なく掲載されています.番組に出てきた作曲家の半数を占めるという勢いで(諸井誠,黛敏郎,柴田南雄,三善晃,湯浅譲二,矢代秋雄,武満徹,石井真木,一柳慧,廣瀬量平,西村朗,佐藤聰明,新実徳英).新しい音楽が生まれる現場やその作家たちと,同時代(=コンテンポラリー)に生きる杉浦康平がどのように切り結び,ジャケットのデザインが生み出されたのか……そういう職業上の関心もあって,コンテンポラリーに耳を傾けてみよう,ということを,このごろ思うのです.

(つづく……予定ですが,ほかのネタも書きたいし,録音した番組を聴き直したいので,いずれにしても少し先です)