2010年10月 8日

明日「ハーンの神在月」に出演します


ブログのシステムの不調で、こちらへの情報掲載が直前になってしまいました。申し訳ありません。 今日から松江市で「ハーンの神在月:全国・小泉八雲の会&ミュージアムの未来を考えるサミット」が開催されています。 私はチラシ、ポスター、会場で配付するパンフレットのデザインもしていますが、明日10月10日(日)は11:00からのパネルディスカッション「小泉八雲ネットワークの構築に向けて」に、八雲会理事として登壇します。 3ケタもの人数を前にして話をするのは、高校の生徒会以来です(汗)。そこは本業を生かしてiPadでスライド見せつつ、「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)とその事蹟を未来に生かす」というサミットのテーマに対して、八雲会の出版活動やサイト運営を通して考えていることをお話しします。お近くの方はどうぞ足をお運びください。

2009年9月24日

『新・小泉八雲暗唱読本』

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27日(日)に松江市総合文化センターで、小中高生が小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の作品を英語で暗誦発表する「第43回ヘルンをたたえる青少年スピーチコンテスト」が開催されます。

このコンテストのテキストとして、八雲会が今年3月に刊行したのが『新・小泉八雲暗唱読本』です。八雲の作品を暗誦用に編輯した25篇を収めており、1980年代にワープロ入力の版下をもとに作られた『小泉八雲暗唱読本』全2集の全面改訂版です。

旧版と比べて次のような特色があります。

  • 収録作品を精選して2分冊を1冊にまとめる。
  • 日本語の対訳と脚註を加える。
  • モチロン組版も一新。
  • スピーチの練習方法のアドヴァイスもあり。
  • 実は「装幀:石川陽春」(←ココ大事)。

八雲会の出版物で、私が初めて関係したのがこの1冊です。もっとも、私はこのプロジェクトには途中から参加しまして、私がかかわり始めたときには、本文の行数と1行あたりの字数や頁数はすでに決まっていました。そのため、行数や頁数に影響が出るような変更はできませんでした。

だからと言って本文組みについて私のやることは残されていなかったかというと、そんなことはありません。脚註の英単語をbold(太字)にしたり、所定の頁数からあふれそうになっていた巻末の解説をを1段組から2段組に改めたり、ノンブル(頁番号)の横に柱(収録作品のタイトル。英文頁には原題、和文頁には和訳した題名)を添えて検索性を高める......といった指定やアドヴァイスを私から加えました。こういうこともデザイナーの仕事のうちです。

表紙については、小泉清(八雲の三男)の《ヘルン像》(小泉八雲記念館蔵)の使用、そして2色印刷といった編輯担当者からの指定はいくつかありましたが、ほとんど私の好きなようにやらせてもらいました。

英日対訳版であるということから、収録作品の一節を英日対訳で掲載しました。ただし、対訳版といえども本文があくまで英文を読ませるものという立場から、表紙の書名は英語を主とし、日本語を従とする組み方をとりました。用紙は、主要な読者層が小中校生という若い人たちであることも考慮して、従来八雲会の出版物の定番であったレザックという革のような風合いの紙から、パミスOKミューズバナナという少しラフな手触りの紙に改めました。横方向に小さく波を打ったようなひっかかかりがあります。

今は事情が変わっているかも知れませんが、私の経験の範囲では、学校で編輯された冊子の表紙といえば、たいていコート紙かレザックだったので、レザックには手垢のついたような印象が強かったのです。数多くの本に出会っているであろう児童・生徒のみなさんに、触感で記憶してもらえる1冊。そんなことを目指しました。

本書は八雲会事務局のほか、私が目撃した限りでは松江の小泉八雲記念館今井書店殿町店、同グループセンター店等でも頒布しています(頒価1,100円)。見かけたら手にとってみて下さい。

2009年9月20日

熊本の夜

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夕食で地元の名物だという馬刺をいただきました。「舌の上でとろけるような」食感というのは、このことだなと知りました。

食事をしながら、熊本に縁の深い2人の松江出身者について教えていただきました。

ひとりは藤崎八三郎(旧姓:小豆沢)。小泉八雲の松江時代の教え子だった小豆沢八三郎は、八雲の転任先である熊本の第五高等学校への進学を志すも、経済的に困難な事情があったため、藤崎家の養子になって同家の援助を得て、熊本で再び八雲の教えを受けたとのこと。以後も八三郎と小泉家との交流は深く、八雲が亡くなる当日に認めていた手紙も、日露戦争出征中の藤崎大尉に宛てたものでした。この絶筆は松江の小泉八雲記念館に展示されています。

もうひとりは、これは初めて聞いた名前、野白金一です。「香露」という清酒で知られる(らしい)熊本県酒造研究所の技師長、社長を務め、「熊本酵母」を開発するなど、熊本の酒造技術の向上に尽くした人なのだとか。「熊本の酒がうまいのはこの人のおかげ」と、繰り返し教えられました(笑)。あとで調べましたら「酒の神様」とも呼ばれているそうですが、すみません、ワタクシはお酒一切飲まないので、そのありがたみが充分には理解できていないと思います(ペコリ)。

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中心市街地の大通りは「肥後まつり」で大変な人出。さすがに路面電車も路上でお休みしていました。

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アロー」というコーヒーのお店に案内していただきました。年中無休、10席に満たない客席数、メニューはブレンドコーヒーのみという、いろんな点で大変なお店です。何より驚かされたのが、カップに注がれたコーヒーの色。半透明の琥珀色です。ほのかに甘く、やわらかな飲み心地でした。


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2009年9月19日

小泉八雲熊本旧居で市民講座を聴く

政権交代の影響があったわけじゃありませんが(いやあのね)、中断していた熊本ばなしを進めます。

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熊本駅に降り立って真っ先に向かった先は、小泉八雲熊本旧居でした。

中心市街地の大通りに通じる路地に面した公園の一郭にたたずむこの旧居は、八雲が熊本時代の最初の1年を送った家です。1960(昭和35)年、鶴屋の増築により解体の危機にあったのを、小泉八雲熊本旧居保存会による保存運動が実を結び、翌年現在地に移築されたそうです。そうした経緯もあり、今日も小泉八雲熊本旧居保存会が、熊本市から委託を受けて旧居の運営管理に当たっているとのこと。ちなみに松江に現存する旧居は、八雲が暮らした当時の所有者の子孫の手で代々維持されています。

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熊本旧居は、松江の旧居と同じく、もと中級武士の屋敷で、式台のある来客用の玄関を構えています。私たちも今日は客人としてここで靴を脱ぎ、座敷へ上がりました。

到着して間もなく、邸内では熊本アイルランド協会主催の市民講座が始まりました。テーマは、八雲の父方のルーツで、少年時代を過ごしたアイルランドの教育史でした。8畳の奥座敷と6畳の次の間、そして縁側を埋め尽くす聴講者と関係者は、あわせておよそ30名。冷房はもちろんなく、戸を開け放った縁側と玄関の開口から出入りする風で暑さをしのぎます。

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そういえば、松江の旧居がこのように催しの会場になるという話は、あまり聞いたことがありません。毎年秋の八雲忌俳句会でしばしば使われるのが、数少ない例外でしょうか。あとで熊本旧居の館長さんからうかがったところでは、この旧居は久しく地域の集会所としての役割を果たしてきたとのこと。保存の経緯とあわせて考えると、地域住民の共有財産として活用される旧居の姿は、想像に難くありません。市民講座の会場になるのも、ごく自然なことに思われます。

熊本アイルランド協会の今年度の市民講座は、年5回のうち3回が熊本旧居で開かれるそうですし、さらに熊本八雲会が主催する月例の読書会もあるといいます。八雲が暮らした家で、八雲にゆかりのある話を聴く、その機会が毎月巡ってくる。何とも贅沢な話ではありませんか。松江では得難い経験でした。

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熊本旧居には翌日再び訪問して、催しのない普段の邸内の様子に接しました。その話はまた後日。


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2009年9月14日

熊本駅

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8月8日。特急と新幹線を乗り継いで7時間、熊本に到着しました。

1891(明治24)年11月、小泉八雲が第五高等学校に着任した際も、この年の7月に開業したばかりの鉄道で熊本駅(当時春日駅)に降り立ったそうです。

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この夏熊本駅では、九州新幹線の延伸に備えた工事が進んでいました。プラットフォームや駅舎の周囲が工事用のフェンスで覆われ、博多以南の鹿児島本線の車窓からも、新幹線の高架が間近に見えました。

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西洋風の時計台を現代的にアレンジしたかのような駅舎の外観ですが、時計のある4階部分の窓の向こうは青空。おそらく、もともと四角四面の国鉄風ターミナルビルだった建物に、分割民営化後にオシャレなファサードを継ぎ足したのではないかと思います。

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国鉄時代の駅名標が健在でした。鹿児島本線の他の駅でも、よく見かけました。

2009年9月13日

熊本へ持って出かけた本

熊本から帰って、すでにひと月たってしまいましたので、いい加減、熊本ばなしを始めます(汗)。日によってはその日の話題を書いたり、昨日から始めた「よくある質問」を思いつくこともありますので(笑)、不定期連載ということで。

といっても今日はまだ出立前(ヲイ)。旅行のカバンに入れた本を2冊紹介します。

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出立準備中に、西川盛雄+アラン・ローゼン共編『対訳 小泉八雲作品抄』(恒文社、初版1998)が、最近オンデマンド版として復刊されたと知って、早速買いました。といいますのも、この本に収録されている小泉八雲の作品は熊本にゆかりあるものが多く、今回の旅にふさわしい1冊だと思ったからです。

収録作品は、次の通りです。

  • 【松江にゆかりのある作品】
    • FROM THE DIARY OF A TEACHER(英語教師の日記から)
  • 【熊本にゆかりのある作品】
    • THE DREAM OF A SUMMER DAY(夏の日の夢)
    • WITH KYUSHU STUDENTS(九州の学生とともに)
    • THE STONE BUDDHA(石仏)
    • JIUJUTSU(柔術)
    • A WISH FULFILLED(願望成就)
    • AT A RAILWAY STATION(停車場で)
    • ON A BRIDGE(橋の上)
  • 【怪談・奇談】
    • THE STORY OF MIMI-NASHI-HOICHI(耳なし芳一のはなし)
    • OSHIDORI(おしどり)
    • MUJINA(むじな)
    • YUKI-ONNA(雪おんな)

(【 】内は引用者註)

編者の「はじめに」によると、この本は「もともと、1991年9月に行なわれた『ジェーンズとハーン記念祭』(熊本洋学校教師L・ジェーンズの来熊120周年と、旧制五高教師としてのハーン来熊100周年を記念したもの)にあたり、同記念祭実行委員会により作成された『朗読のための・対訳ハーン作品抄』をもとにして」再構成されたものとのこと。熊本の作品を中心に編まれているのもうなづけます。共編者もそろって熊本大学の先生です(そのおひとりの西川先生には、今回の旅で大変お世話になりました)。

今回の熊本の旅では、本書に登場する作品の舞台をいくつも訪ねることになりました。

松江ゆかりの作品として唯一、島根県尋常中学校での教師生活に取材した「FROM THE DIARY OF A TEACHER(英語教師の日記から)」が収められていますが、これは松江の次に赴任した熊本の第五高等学校での体験をもとに書かれた「WITH KYUSHU STUDENTS(九州の学生とともに)」と対比して取り上げられている面もあると思います。その点を含めて、熊本時代に焦点を当てた作品抄と言えるでしょう。

訳文は恒文社版や岩波文庫版でおなじみの平井呈一によるもの。小泉凡さんの筆になる熊本のスケッチが挿絵として織り込まれています。本文の組版の美しさも加わって、今日全国の書店の店頭で入手可能な八雲の日本語訳(本書は英語原文との対訳であり、かつ抄録ですが)の中で、最も読みやすい部類に属する1冊だと思います。

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もう1冊は、旅行者らしく『タビリエ 阿蘇・天草・熊本』。地図が読みやすくて、あまり大判でないガイドブックを探した結果、『タビリエ』を選びました。和風の柄の表紙がかわいい『ことりっぷ』に熊本を取り上げた巻があれば、選択に迷ったところでした。

類書を比較しながら気づいたのですが、観光ガイドマップの世界では、あの地方の観光地の中心は阿蘇や天草のようで、熊本はいささか扱いが小さいのです。でも、肥後54万石の城下町ですから、こういう本でもっと大きく取り上げられてもよさそうな気がします。

2009年9月11日

八雲会の講座「小泉八雲をよもう2009」初日

先日御紹介した八雲会の講座「小泉八雲をよもう2009」は今日が第1回でした。昨年に引き続く「怪談」「奇談」のシリーズで、今回は「青柳のはなし(The Story of Aoyagi)」(『怪談(Kwaidan)』)と「いつもあること(The Matter of Custom)」(『骨董(Kotto)』)を読みました。

このうち「青柳のはなし」は、大名の使者として都へ向かう友忠という若い武士が、柳が生えた丘にある家に宿を借り、老夫婦とその娘の青柳に出会うところから始まる、劇的な展開を持つ恋物語です。

その中盤、小泉八雲自身が「日本の原作では、物語の自然な進行に変な破綻」(田村三千稔訳)があると、わざわざ本文中でことわっているのが目をひきます。ここからが八雲ならではの再話の工夫がうかがえるところで、「青柳のはなし」のもとになった物語=原話(元禄年間の浮世草子『玉すだれ』所収の「柳情霊妖」)にはない設定(友忠が遣わされた細川侯が美人好きとされ、物語後半の伏線に)や、西洋の読者を意識した解説的な話の進め方(武士の結婚には主君の許しが必要であるという解説。これも重要な伏線)など、原話の書き換えの妙が随所にあらわれ、今日でも面白く読める物語に仕上がっている......ということが、原話との比較や先行研究を踏まえて読み解かれていきました。

原話を語り直すことによって生まれる再話文学の手法において、八雲やその協力者であった妻セツの果たした役割の大きさを感じさせる第1回でした。講座は来年2月まで月1回開かれます。

2009年9月 2日

八雲会の講座「小泉八雲をよもう2009」(09/11-02/12)

八雲会理事就任の話を書いたところで、ちょっとだけ理事らしいことをやってみますけど(笑)、八雲会では、昨年御好評いただいた市民講座「小泉八雲をよもう」の第2弾を今月から開講します。

講師は昨年度と同じく常松正雄先生(島根大学名誉教授)。前回のシリーズでは、「怪談」「奇談」の日本語訳を読み進めながら、日本語訳では伝わらない英語の原文の味わいや表現のニュアンス、それぞれの物語の原典となった作品との比較にも丁寧な言及があり、新鮮な気持ちで八雲の作品に接することができました。今年度も引き続き「怪談」「奇談」が取り上げられます。

月1回の開講日は金曜日午後のため、出席できる方の層は限られてしまいますが、第2の人生を楽しんでいらっしゃる方、フリーランスで働いていて御自分の判断でスケジュールを決められる(例えば私と同じ身の上の)方などなど、ぜひお出かけ下さい。

日時
2009(平成21)年9月11日(金)〜2010(平成22)年2月12日(金) 14:00〜15:30(月1回)
会場
松江市総合文化センター 中会議室(青少年室)(松江市西津田6-5-44)
講師
常松正雄(島根大学名誉教授)
定員
30名
料金
1,000円(資料代ほか)
問い合わせ先
八雲会事務局 電話: 0852-25-1920

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詳しい情報
http://www.yakumokai.org/928(八雲会)
主催
八雲会

2009年9月 1日

八雲会理事に就任しました

ネット上でちゃんと報告していなかったのですが、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の研究・顕彰団体「八雲会」の役員改選があり、7月5日の定期総会で承認を経て、理事に就任しました。

2年の任期中、来年の小泉八雲生誕160周年、来日・来松120周年をはさむことになり、忙しくなりそうです(汗汗)。

(八雲会サイトの役員一覧には、常任理事と理事は掲載されていませんが、事務局にお問い合わせいただければ間違いないかと〈笑〉)

私は八雲会ではこれまでに、今年3月刊行の『新・小泉八雲暗唱読本』の装幀や、7月に開設した八雲会のサイトの制作を手がけ、まさに本業を活かせる領域を担ってきたわけですが、今回の理事就任は、そうした私の八雲会における役割を、役員という形で位置づけてもらったものと、私なりに解釈しています。

八雲会は、小泉八雲が来日後最初の1年余を過ごした松江に拠点を置く団体なので、発信すべき情報が多いです。そして、出版活動が盛んな団体でもあります。八雲会理事としての私は、そうした側面を下支えする存在でありたいと思います。

ところで先月は、松江市と八雲会による来日120周年記念事業準備の一環として、小泉八雲が英語教師として松江から転任した熊本を訪れました。現地の研究・顕彰団体のみなさんにお会いしたり、市内の八雲ゆかりの地を案内していただいたりしました。その公式の報告は、後日八雲会のサイト等を通じて出ることになると思いますが、個人的な視点による報告はタヌキにゅーすに載せていきましょう。エントリー1本あたり1、2枚程度の写真にキャプションをつけて不定期で連載するか、Picasaにアルバムをアップロードするか、まだ検討中です。いずれにせよ、写真撮りすぎて整理がついていません(汗)。ぼちぼちやります。

2009年7月 1日

[速報]八雲会サイト公開しました

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小泉八雲の研究・顕彰団体「八雲会(The Hearn Society)」のサイトを、本日公開しました。このサイトの話題は、できれば明日にでも。

2009年4月20日

小泉八雲記念館企画展「ラフカディオ・ハーンとギリシャ」(04/25-)

日本語版リーフレット表紙の画像

25日(土)から、小泉八雲記念館(松江市)で企画展「ラフカディオ・ハーンとギリシャ:もうひとつのルーツと受け継がれる精神性」が始まります。

今年は、日本とギリシャの外交関係樹立110周年にあたることから、ギリシャとの文化交流を深めるために企画展を開催します。展示品は、2008年9月に小泉凡(引用社註:小泉八雲曾孫、島根県立大学短期大学部准教授[民俗学])がギリシャ訪問の際に撮影した、ハーンの母ローザの生誕地キシラ島やハーンの生誕地レフカダの写真と、ギリシャでハーンを介した日本との文化交流の実現に奔走しているタキス・エフスタシウ氏が2008年11月に松浦正敬松江市長に寄贈したギリシャの美術品を展示・公開します。すなわちこの展示は、ハーンがギリシャから賜ったと告白する精神性が後世のアーティストへどのように受け継がれていったのか、また造形芸術によってハーンの精神性や文化背景を表現できる可能性を示唆するもので、新しいスタイルによるギリシャとの文化交流のささやかな布石になると考えています。(プレスリリースより)

私は会場で配布するリーフレットや展示パネルのデザインを担当しています。青と白......ギリシャのナショナル・カラーでもありますが、リーフレットにも掲載されるキシラ島の空と海、建物や土や町並みから想起した色を基調に、スミを使わない配色にしました。

また、それぞれ日本語版と英語版を作成しました。本格的に多言語の印刷物を手がけたのは初めてですが、地球がうんと狭くなった現代に生きるデザイナーとして、こういう仕事とは継続的につきあっていきたいものです。

なお、下記リンク先にプレスリリースのPDFファイルが公開されています。これもワタクシメのデザインです。あわせて御覧下さい。

日時
2009(平成21)年4月25日(土)〜2010(平成21)年3月31日(水) 8:30〜18:30(10月〜3月は17:00)(入館受付は閉館20分前まで)
会場
小泉八雲記念館(島根県松江市奥谷町322)
料金
大人300円(団体20名以上240円)、小人(小・中学生)150円(団体120円)、外国の方150円(小人80円)
問い合わせ先
小泉八雲記念館 電話:0852-21-2147

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詳しい情報
プレスリリース(日本語版)(LAFCADIO HEARN street)
プレスリリース(英語版)(LAFCADIO HEARN street)
企画展「ラフカディオ・ハーンとギリシャ」松江で開催(日本語で読むギリシャ)
主催
小泉八雲記念館(NPO法人松江ツーリズム研究会)

2008年8月14日

松江ゴーストツアー:闇夜......小泉八雲〈ラフカディオ・ハーン〉が再話した「怪談」ゆかりの地を訪ねて

チラシの画像

小泉八雲にちなむガイドつきツアーのチラシをデザインしました.

小泉八雲が松江に取材した怪談ゆかりの地を,よりによって夜に巡ってみようという面白い旅行プランです.とはいえ,別に肝試しをしようというわけではないのです(笑).

闇をみつめることは自らの五感力を磨くことにもなり、灯りの溢れた現代社会に暮らす私たちには、とても新鮮なものになるでしょう。(チラシより)

視覚をさえぎる夜の闇の中,聴覚や嗅覚など,視覚以外の感覚をはたらかせることで,八雲が出会った明治期の松江を,あるいは,左目を失明し,右目も極度の近眼だった八雲の五感を,追体験する機会.......八雲と松江に親しむための新しい切り口が盛り込まれています.

近年,夏休みに松江で開催されている子ども塾「スーパーヘルンさん講座」が,八雲を通じて「五感力」を伝えるという実践を続けていて,子ども塾の塾長でもある八雲の曾孫・小泉凡さんの講演や著作にもしばしば言及されるところですが,今回のツアーのプランは,子ども塾での試みを,より広い年代層にも提供するものではないかと思います.

そういう企画ですから,デザイン上もこわ〜い感じは追求せず,あくまで夜のツアーであることを意識しての漆黒の闇.もっとも,文字や図が多いため,ずいぶんにぎやかなことになっていますが(汗).次の機会があったら,A4判より大きい判型にしようかな.

訪問先は「ギリギリ井戸」の松江城,「人食い大亀」の月照寺,「芸者松風の幽霊」の清光院,「水飴で子どもを育てた幽霊」の大雄寺.

なお,2種類用意されているコースのうち,「へるんコース」には,小泉凡さんの講演と,郷土料理の食事がついてきます.

夕方に集合してその夜のうちに現地解散するというものですから,遠方から泊まりがけで参加する人は,ツアーの前後に自分でスケジュールを組んで,旧居や記念館など,そのほかの八雲ゆかりの地や展示施設を訪ねることもできるでしょう.地元の人にとっても,低価格で日帰りができるという点で,参加しやすいのではないかと思います.

期間
2008(平成20)年08月―11月(へるんコース:全5回、カラコロコース:全11回)
訪問地
島根県松江市
詳細情報
http://genki365.net/gnkm01/mypage/mypage_sheet.php?id=14721
問い合わせ先
NPO法人松江ツーリズム研究会
電話:0852-23-5470
ファックス:0852-23-5490
電子メール:m.oshiro@web-sanin.co.jp

2008年8月13日

夢幻語り:夢、異界、そして猫(08/15-16) 公演目前

出演者のおひとり,安田登さんの著書『日本語を生かすメリハリ読み!』附属のCDに,今回の顔ぶれにウードが加わった漱石『吾輩は猫である』の「餅の段」(「猫がお雑煮を食べて踊を踊っている」あれです)が収録されています.聴いてみたら立派な狂言でした(笑).動物が食べ物の誘惑と葛藤するのは『釣狐』という狂言を連想させるところもあり(『釣狐(つりぎつね)』にただよう悲愴感はまるでありませんが),猫が雑煮に食いついてからの笛は狂言のアシラヒ笛ですし.去る〔7月〕12日(土)島根県民会館の能楽基礎講座での槻宅さんのお話によると,その前日が東京で今回とほぼ同じ内容の公演だったとのことで,「餅の段」を上演したところ,舞台上の安田さんもお客さんと一緒になって笑い出してしまったそうです.

夢幻語り:夢、異界、そして猫(08/15-16)(タヌキにゅーす)......以下同じ

安田さんのブログにも,7月の公演の報告が出ていました.「一瞬中断というハプニング」だったとか.どの場面だったのでしょうね.

『日本語を生かすメリハリ読み!』は私も持っていまして,CDはiPodでよく聴くのですが,たかが餅を食べたいだけのことにもっともらしい理窟をこねる猫の姿を,安田さんの,ワキ方らしく決して狂言的ではない語りで描き出しているという,ハマってるんだかミスマッチなんだかわからない組み合わせが何ともおかしいですし,「猫がお雑煮を食べて踊を踊っている」猫を発見した子どもたちやおさんを受け持つ水野ゆふさんの声の変幻自在ぶりがたまらない.おさんの「あらま」は生でも聴いてみたいです.

2006年の「松江・能を知る集い」が,まさに今回の出演者勢ぞろいでの実演と体験の場であり,島根県内各地でのワークショップでも上演されてきましたから,半ばこの土地でも育ってきた演目であり,上演形態であると言えます.ワークショップから切り離して独立した公演としては,松江では初めての登場です.小泉八雲の作品は私もまだ聴いていませんので,どのように料理されて出てくるか楽しみにしています.

中でも,夏目漱石『夢十夜』の「第一夜」と,小泉八雲「破約」には共通点があります.いずれも,死の床についた妻が,夫に遺言をする場面から物語が始まるのです.しかし,約束を守れたかどうかが運命の分かれ道,「第一夜」の夫は約束を遂げて妻との「再会」を果たし,「破約」の夫には悲劇が忍び寄る.......一対の作品として見る楽しみがあるふたつの作品.しかも,ともに能に共通する物語の構造を持つ点が,とりわけ面白いと思います.

「百年、私の墓の傍(そば)に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」と言い遺して死んだ「第一夜」の妻.彼女の墓の上に百合の花が咲いたとき,男は妻が遺言通り,自分に逢いに来てくれたのだと悟るのです.それは複式夢幻能といって,生身の人間の姿を借りて登場した何者かが,正体をワキにほのめかして去り,やがて本来の姿で再び出現する形式に重ね合わせることができる物語の展開です.......これはほとんど,安田さん,槻宅さんのお話のウケウリですが(笑).

男の妻として人間の姿で現れていたあの人は,百合の精であったのか......? 「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」......だから「百」に「合」という名を持つ花が咲いたのか? そんなことを想像させる,不思議な物語です.

ちなみに『夢十夜』を書いたころ,漱石は能のワキの謡,安田さんと同じ下掛宝生流の謡を習い始めていたそうです.

一方,「破約」の夫は,いまわの際の妻に,再婚はしないと誓いながら,周囲の勧めを断りきれずに後妻を迎えてしまいます.すると,夫の知らないところで後妻は,先妻の亡霊に悩まされ,ついには凄惨な結末に至る.......

怖い話には違いないとは言え,先妻の亡霊は,夫に約束を破られたという悲しみを背負っています.亡霊の側にも,誰かに耳を傾けてもらいたい思いがあるのです.能で言えば,嫉妬に苦しむ「鉄輪(かなわ)」の妻や「葵上(あおいのうえ)」の六條御息所,あるいは一夜の宿を貸した客に約束を破られた「黒塚(安達原)(くろづか,あだちがはら)」の女......そういった人々に重ね合わせることができる存在.それが「破約」の先妻ではないかと,私は思っています.

奥の深い選曲がなされた「夢幻語り」です.特に15日(金)は夜の公演ですから,終演後は宍道湖北岸からの夜景がおみやげになるかも知れません.

日本語を生かすメリハリ読み!―漱石で学ぶ「和」の朗読法
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2008年7月17日

夢幻語り:夢、異界、そして猫(08/15-16)

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これまたタヌキにゅーすではおなじみの槻宅聡さん(能楽森田流笛方)出演,能の技法を採り入れた,小泉八雲と夏目漱石のテクストによる朗読劇のチラシをデザインしました.御紹介しましょう.

出演者のおひとり,安田登さんの著書『日本語を生かすメリハリ読み!』附属のCDに,今回の顔ぶれにウードが加わった漱石『吾輩は猫である』の「餅の段」(「猫がお雑煮を食べて踊を踊っている」あれです)が収録されています.聴いてみたら立派な狂言でした(笑).動物が食べ物の誘惑と葛藤するのは『釣狐』という狂言を連想させるところもあり(『釣狐』にただよう悲愴感はまるでありませんが),猫が雑煮に食いついてからの笛は狂言のアシラヒ笛ですし.去る12日(土)島根県民会館の能楽基礎講座での槻宅さんのお話によると,その前日が東京で今回とほぼ同じ内容の公演だったとのことで,「餅の段」を上演したところ,舞台上の安田さんもお客さんと一緒になって笑い出してしまったそうです.

2006年の「松江・能を知る集い」が,まさに今回の出演者勢ぞろいでの実演と体験の場であり,島根県内各地でのワークショップでも上演されてきましたから,半ばこの土地でも育ってきた演目であり,上演形態であると言えます.ワークショップから切り離して独立した公演としては,松江では初めての登場です.小泉八雲の作品は私もまだ聴いていませんので,どのように料理されて出てくるか楽しみにしています.

チラシに登場する百合の花は,漱石『夢十夜』の「第一夜」にちなんで.

日時
2008(平成20)年08月15日(金)19:00
2008(平成20)年08月16日(土)15:00
会場
松江イングリッシュガーデン(島根県松江市西浜佐陀町330-1)
出演
安田登(ワキ方下掛宝生流)
水野ゆふ(舞台俳優)
槻宅聡(笛方森田流/島根県安来市出身)
演目
小泉八雲『日本の面影』より「盆踊り」
小泉八雲『影』より「死骸にまたがる男」
小泉八雲『日本雑録』より「破約」
夏目漱石『吾輩は猫である』より「餅の段」
夏目漱石『夢十夜』より「第一夜」
夏目漱石『夢十夜』より「第三夜」
定員
各回先着300名
料金(全席自由)
一般:2,000円
小中学生:1,000円
未就学児:無料
チケット購入方法
8月10日(日)までに電話で予約。予約番号に基づき、当日チケットを販売。
チケット予約申込先
松江イングリッシュガーデン(担当:原、小村)
電話:0852-36-3030
主催
松江イングリッシュガーデン
後援
八雲会
詳細情報
http://www.plusvalue.co.jp/mugenkatari/

2008年6月21日

八雲会の総会へ行く

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が来日後最初の1年余を過ごした松江を拠点に,八雲の顕彰活動をしている八雲会の総会(年1回)が開かれました.私は一昨年に入会しまして,今年初めて総会の全日程に参加しました(昨年は途中からの出席でした).

八雲会のwebサイト開設や出版物の販売・刊行といった,私もお手伝いすることになる案件,2010年の八雲来松120年に向けた事業の構想なども取り上げられた議事に続いては,恒例の一般開放の講演会.今年の講師は,八雲の曾孫・小泉凡さんで,近年,八雲が国内外でどのような形で再評価されているか,研究や普及活動の動向の紹介がありました.例えば,村を津波が襲うことを予測した庄屋(モデルは浜口梧陵)が,稲の束を燃やして避難路を示し,村民を救った話「生き神」(『仏の畑の落穂』1898)をもとに後世再話され,戦前の国定教科書で広まった「稲むらの火」が,近年は人形劇や外国語訳などの形をとって,日本や世界の各地で防災の教材として見直されていること......など,八雲再読の新しい視点がさまざま提供されました.

講演会のあとは,別室で交流会.例年はホテルを借りていたのを,今年はざっくばらんな雰囲気に一新して,凡さんの奥方とオグちゃんが用意した手作りのお菓子(これがまたウマいのナンの)をいただきながらの歓談となりました.いろいろな方にお目にかかったり,最近松江に引っ越したばかりという方とお話ししたりと,我ながらよくしゃべったつもりでしたが,それでも御挨拶できずじまいになってしまった方もいて,それがちょっと残念でした.

yakumokai.jpg

写真の右が本日のお菓子.左からチョコレート・ケーキ,マドレーヌ,アップル・パイです.写真の左の白い本が,できたてホヤホヤの年刊機関誌『へるん』No. 45.その下に隠れているのが,私がデザインした新作のチラシです.今日は私がデザインしたチラシが一度に4種類も出回るという,前代未聞の事態にもなったのですが,その内訳は追々御紹介していきましょう.

2007年12月28日

「仮名手本忠臣蔵」でGoogle検索すると最初に出てくるサイト

赤穂浪士または塩冶判官旧臣たちは,本懐を遂げて今ごろは大名家にお預けの身となっていると思いますが,このところ『仮名手本忠臣蔵』ネタが続いたんで,仕上げに「仮名手本忠臣蔵」でGoogle検索して,最初にどんな検索結果が出るか,試してみました.

Wikipediaでも出てくるかと思ったら,(C)2004 Japan Arts Council, All Rights Reserved?

国立劇場や国立文楽劇場などを運営している日本芸術文化振興会という独立行政法人のサイトの「文化デジタルライブラリー」にある教材コンテンツでした.Flashたっぷり使って,演目の一場面を描いた浮世絵を交えた詳しいあらすじの紹介や,作品の背景となった出来事,5門正解するとナンかプレゼントがもらえるクイズまであるという(ワタクシもナンぞもらってみました),なかなかにぎやかな内容になっているようです.ガッコの先生だけでなく,初めて文楽や歌舞伎を見る人や,これからもっと楽しみたい人が遊ぶのにもよさそうです.

「文化デジタルライブラリー」のリンクをたどっていくと,『義経千本桜』や『菅原伝授手習鑑』といったほかの文楽や歌舞伎の人気演目でも,同様のコンテンツを作っていますね.

2007年12月23日

『仮名手本忠臣蔵』の討ち入り

↑の中で,

『仮名手本忠臣蔵』では討ち入りがどう描かれているか……といいますと,えー,そんな場面ありません(爆).

と書いたわけですが,ちょいと補足を.

討ち入り場面のテクスト自体は,あるにはあるのです.新潮日本古典集成の『浄瑠璃集』(土田衛校注,1985)によると,しっかりチャンバラもやってますし,師直(吉良上野介)邸の隣家に,由良助(大石内蔵助)が塀越しにことわりを入れる場面もある(時代劇でも,土屋主税邸に浪士がひと声かけると,土屋邸から何本もの提灯が吉良邸に向けて立てられる場面がありますが,それに相当するものでしょう).最後は塩冶判官(浅野内匠頭)遺臣らの前に引き出された師直,「覚悟はかねて サア首を取れ」と神妙に討たれます.遺臣たちは「をどり上がり飛び上がり」「よろこび勇んで舞ふ者もあり」,果ては「首をたたいつ食ひつきつ」本懐遂げた喜びをあらわすのです.いくらなんでも,師直の首たたいたり食いついたりまでしますか(ヲイ)って感じですが.

ただ,今日の文楽で上演したという話は聞かなくて(文楽関係の本でもそんな紹介を読んだ覚えが).文楽の技芸員のサイトで公開されている『仮名手本忠臣蔵』の床本(太夫自ら書き写した台本)でも,討ち入りのくだりを見かけたことはありません(ワタクシ文楽が好きとはいえ,詳しいというほどでもなければ研究者でもないため,精査したわけではないのですが).

「天河屋の段」で討ち入りの際の合言葉を「天」と「河」に決めたあとは「花水橋引揚の段」.「 柔能く剛を制し弱よく強を制するとは、張良に石公が伝へし秘法なり。塩治判官高定の家臣大星由良之助これを守って」までは,新潮版と同じ.ところが,技芸員のサイトの床本ではこのあと「……艱難辛苦の一年も、首尾よく本望成就に今ぞ晴れゆく富士の嶺」と,すでに師直を討ち取ったことが語られるに対し,新潮版では「すでに一味の勇士四十余騎 猟船に取り乗つて。苫ふかぶかと稲村が崎の油断を頼みにて」と,まさに海路より師直邸に向かうところ(『仮名手本忠臣蔵』では,舞台地が江戸から鎌倉に置き換えられています.さながら鎌倉幕府の執権・北条氏を討たんとする新田義貞勢のようです).

『仮名手本忠臣蔵』でもちゃんと書かれていながら,討ち入りの場面が上演されなくなったのは,この作品が現代に至るまで忠臣蔵ものの芝居に影響を及ぼしていることから思えば,意外ではありますね.もっとも,以前の記事で書いたように,討ち入りそのものよりも,そこに至る数々のエピソードをじっくり描き出すところが,人形浄瑠璃のための作品らしいところでもあるのですが,『仮名手本忠臣蔵』における討ち入り場面の自然淘汰と,後世の忠臣蔵ものにおける討ち入り場面の「復活」の過程というのは,どんなものだか興味ひかれるところです.

2007年12月12日

このごろよく聴く『仮名手本忠臣蔵』

もーすぐ12月14日,赤穂浪士討ち入りの日が近いせいか,ラジオで義太夫の『仮名手本忠臣蔵』を相次いで聴きます.今日もNHK-FM『邦楽のひととき』で,大序「鶴が岡兜改めの段」「恋歌の段」を放送していました.

『仮名手本忠臣蔵』はもともと人形浄瑠璃(文楽)のために書かれた作品で,初演は寛延元(1748)年の大坂・竹本座.赤穂事件を題材とした戯曲はそれまでにも数多く世に出ていたそうですが,四十七士討ち入りから47年後にして現れた大ヒット作が『仮名手本忠臣蔵』です.のちに歌舞伎に移植されたり,現代でもTVや映画の忠臣蔵ものに大きな影響を与え続けたり.ついには赤穂事件そのものまで「忠臣蔵」と呼ぶのが定着しちゃったという勢い.

もっともこの作品には,大石内蔵助も吉良上野介も浅野内匠頭も,実名では登場しません.江戸時代は幕府がうるさくて事件そのまんまを脚色して上演できなかったため,大石内蔵助は大星由良之助(おおぼしゆらのすけ),吉良上野介は高師直(こうのもろのお),浅野内匠頭は塩冶判官(えんやはんがん)と名を変え,時代設定は南北朝時代.塩冶判官が師直に斬りかかるのも,江戸城ではなくて鎌倉.そこで今日のラジオでも,鶴岡八幡宮で足利直義臨席のもと,討ち取った敵将・新田義貞の兜改めの場面が語られたわけです.兜の目利き役として召し出された塩冶の妻・顔世御前に,足利家を取り仕切る師直が横恋慕……すべての事件の発端です.

「塩冶」といえば,ワタクシが卒業した小学校は出雲市立塩冶小学校.しかも歩いてすぐの神門寺(かんどじ)には,塩冶判官高貞の墓なるものがあります.塩冶高貞(?-1341)は,鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての出雲国守護で,足利幕府から謀叛の嫌疑で追討を受け自害したという人物.この時代を取り上げた軍記物『太平記』では,高貞追討の原因を,幕府執事の高師直が,高貞の妻に横恋慕したことに求めています.その設定を『仮名手本忠臣蔵』は借りたのです.

さて,討ち入りの日は間近.TVの連続時代劇では終盤のクライマックスとなる討ち入りの場面をぶつけることが珍しくありませんが,『仮名手本忠臣蔵』では討ち入りがどう描かれているか……といいますと,えー,そんな場面ありません(爆)(討ち入り場面のテクストはあるのですが,文楽で上演したという話は聞かないです.もし例がありましたら教えて下さい.歌舞伎ではまた事情が違うかも知れませんが).師直邸に向かったかと思ったら,次の段ではすでに本懐遂げて,師直の首級を槍に掲げて引き上げちゃいます.しかしそこが人間の情を丹念に紡ぎ出すという人形浄瑠璃らしいところで,討ち入りに至る数々のドラマで,観客をさんざん泣かせるわけです.しかも全11段,まともに通して上演したら半日はかかる(汗)という一大長篇で(そのため文楽や歌舞伎では,一部の段を取り出して上演することが一般的です).

2005年12月17日

松本侑子『赤毛のアンの翻訳物語』と私

先日,出雲市出身の作家・松本侑子さんの講演会に行って来ました.短篇「赤萩の家」(『引き潮』幻冬舎,2004)の朗読と,何でも『冬のソナタ』に刺戟されて生まれたという最新刊『海と川の恋文』(角川書店,2005)のお話が中心でした.私と同郷にして高校の先輩に当たる作家の近況に触れることができました.

1996年だったでしょうか,学生時代にも松本さんの講演を聴きに出かけたことがあります.その折の話題は,自らが手がけた『赤毛のアン』翻訳(集英社,1993)の舞台裏.当然ながら,作品と作者モンゴメリ,そして英語文学にまつわるエピソードもさまざま紹介されたわけですが,意外と多くの時間を割いて松本さんが話したのは,翻訳作業でPCやインターネットが大いに役立ったということでした.

1996年といえば,私が通っていた大学では,情報処理センターや附属図書館に,学生が利用することのできるインターネット端末が配備され,所属学科ではようやく「情報処理実習」という授業が必修科目になった年です(1995年に入学した私は,選択科目としてその授業を受けました).私自身は,大学では学生研究室の雑誌の編輯のために,PCをしばしば使う機会がありましたが,用途は専らワード・プロセッサーによる文書作成.自宅で,高校時代に買った専用機を用いるのと,さほど変わりません.また,インターネットに関しては,右も左もわからないまま,好奇心ひとつでwebブラウジングを始めたばかりでした.将来の卒業研究をはじめ私自身の生活で,PCやインターネットは具体的にどのように使えるものなのか,といったことには,いまだ具体的な展望を持っていなかったように思います.

その折節,松本さんの話は,文学や社会科学の分野におけるPCやインターネットの活用事例として,興味深く聴くことができました.詳細は,のちに『赤毛のアンの翻訳物語』(集英社,1998)として単行本化されています.

作中に多数潜む,シェイクスピアをはじめとする過去の英語文学からの引用を,CD-ROMやwebを検索して探り当てる過程.スキャナーとOCRソフトウェアを用いて,紙の文献をテキスト形式のデータに変換.テキスト・データ化された文学作品をFTPサイトからダウンロード…….時宜に応じたPCの環境の更新を含めて,“電子書斎奮闘記”が時系列で綴られた1冊です.PC/インターネットの1990年代を,作家の視点からとらえた記録としても読み応えがあります.

私は英語文学ではなく日本近代建築史を専攻しましたから,自分の研究に直接役立つことなど,まず書いてあるはずがないのです.しかしながら,1997年に初めてPCを購入し,インターネットに接続して以来,本書の内容には多くの点で共感してきました.初めてPCのパーツを追加したり,ソフトウェアをヴァージョン・アップするときの緊張感.活字文献を扱う者にとっては垂涎の技術と言うべきOCRの体験.あるいは,日本語で書かれた史料や,趣味として読む日本語の文学作品も,インターネットで公開されるようになればいいな,と近未来を夢想したものでした.

先日のタヌキにゅーすで,坂本龍一さんを通して初めてインターネットの存在を知ったということを書きましたが,自分が使う道具としてのPCやインターネットの可能性を明示してくれたのは,松本侑子さんでした.皮肉なことに,私の“電子書斎奮闘記”の序章と軌を一にして,小説をほとんど読まない歳月を送るようになってしまいましたが,「赤萩の家」という品のよい小説の自著朗読を聴くうち,新しい作品も手に取りたくなりました.その点において,著書を購入してサインをいただく間もないまま,講演会場を後にしなければならなかったのは惜しい限りです.

赤毛のアンの翻訳物語
松本 侑子 鈴木 康之
集英社 (1998/08)
赤毛のアン
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L.M. モンゴメリ Lucy Maud Montgomery 松本 侑子
集英社 (1993/04)
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引き潮
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松本 侑子
幻冬舎 (2004/09)
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海と川の恋文
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松本 侑子
角川書店 (2005/12/01)

2005年12月16日

北山殿

金閣で有名な鹿苑寺の境内から,室町幕府3代将軍・足利義満の山荘「北山殿」の遺構が出土したそうです(asahi.com).

京都市埋蔵文化財研究所の発表では,今回出土したのは回廊の一部と見られるとのことですが,その幅なんと4.2mとか.……広い.かと言って,殿舎と見ようとすると,随分狭いということになりそうですものね.

実は,北山殿を舞台にした小説の構想を,高校時代から持っています.鎌倉時代に栄えた公家で,義満以前に北山殿を営んだ西園寺(さいおんじ)家の盛衰を,義満の栄華と重ね合わせながら描く,といったものです.発掘調査報告書が出たら,小説のネタ求めて読んでみましょうか.

2005年12月11日

ラジオとwebで義太夫

昨日NHK-FMの『邦楽百番』(土曜日11:00-11:50,再放送:日曜日5:00-5:50)で放送していた義太夫「假名手本忠臣蔵 早野勘平腹切の段」(太夫:竹本住大夫,三味線:野澤錦糸)を,MP3に録音し,今日にかけて繰り返し再生しました.

「早野勘平腹切の段」は,舅殺しの嫌疑がかかった勘平が腹に刀を突き通した直後,勘平の無実が証明され,臨終の際に主君仇討の連判状への血判がかなう,という「假名手本忠臣蔵」中の名場面のひとつ.中学時代に授業の一環で初めて見た文楽(人形浄瑠璃)の演目が,舅の死を扱った「二つ玉の段」であり,大学時代には文楽の松江公演で,住大夫さんと錦糸さんによる「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」の切場を見たこともあって,くしき縁を思い出しつつ耳を傾けていたところです.

この3月,大社の地方公演で6年ぶりに生の文楽を見て,人形,太夫,三味線が織りなす人形芝居の妙を改めて認識しました.以来,ラジオで義太夫の放送をチェックしながら,次なる観劇の機会を待っています.

江戸時代の大坂弁を基調に,喜怒哀楽の感情をたっぷり込め,役柄に応じて声色を使い分けつつ,人間のあらゆる葛藤を語る太夫.三味線の中でも最も低い音域を奏でる太棹の,腹の底にズシリと響く音.そうした音楽的な面だけを取り出しても,義太夫は充分な魅力をたたえています.

ただ,文楽という芝居を念頭に義太夫を聴く私としては,生きた人形が目の前にない以上,語られている言葉もひとつひとつ味わいたいものです.しかしながら,私の耳は太夫独特の節回しがスンナリ入ってくるほどには肥えていない.そこで,床本(ゆかほん)と呼ばれる義太夫の台本がweb上で手に入る作品に関しては,モニター上の床本に目を通しながらラジオを聴いています.

床本というのは,本来は太夫が舞台で使用する肉筆の本を指すようですが,文楽公演で配られるパンフレットにも「床本」と題して,上演する狂言(演目)の台本を全文掲げていますから,とりあえず床本と称しておきましょう.最近は,床本に限らず日本の古典文学のテクストを,web上で多く目にするようになり,便利になりました.今回聴いた「早野勘平腹切の段」は,豊竹咲甫大夫さんのサイトを参照しています.

それはとは、それはとは、エヽわごりよはなう。隠しても隠されぬ、天道様が明らかな。親仁殿を殺して取つたその金や、誰に遣る金ぢや。聞こえた。身貧な舅、娘を売つたその金を、中で半分くすねておいて、皆遣るまいかと思ふてコリヤ、殺して取つたのぢやなア。今といふ今迄、律儀な人ぢやと思うて、騙されたが腹が立つわい。エヽこゝな人でなし、あんまり呆れて涙さへ出ぬわいやい。なう愛しや与市兵衛殿、畜生の様な婿とは知らず、どうぞ元の侍にしてやりたいと、年寄つて夜も寝ずに、京三界を駆け歩き、珍財を投げうつて世話さしやつたも、かへつてこなたの身の仇となつたるか。飼ひ飼ふ犬に手を喰はるゝと、ようもようもこの様に、惨たらしう殺された事ぢやまで。コリヤこゝな鬼よ蛇よ、父様を返せ、親仁殿を生けて戻せやい。

勘平に夫を殺されたと信じて疑わない姑の嘆きが上の引用ですが,現代人の我々の心を直接にえぐるような言葉を連ねているわけです.今日,文楽が世界無形遺産に選ばれるまでに世界的な評価を得たのには,言葉の壁を打ち破って世界中の人々に感動をもたらす何ものかがあるからだとは思いますが,せっかく日本語を使って日々暮らしているのですから,その“特権”を生かして,言葉の面からも文楽を愉しみたい.もっとも,生の舞台を前にしながら床本に目を落とすというのは,もったいないことこの上なし.これはあくまでも,ラジオならではの義太夫鑑賞法です.

なお,文楽はすべての演目が義太夫によって進行しますが,歌舞伎にも義太夫(歌舞伎では「竹本」と言います)を伴う「義太夫狂言」と総称される演目がありますし,ほとんどの場合が人形や役者を入れない素浄瑠璃(すじょうるり)と呼ばれる形態で演じられる女義太夫も,根強い人気を誇っています.しかし私のように人形芝居の戯曲として義太夫を味わおうとする者にとっては,人形がいきいきと動くさまが目に浮かぶという点で,女義太夫よりは男の太夫による語りの方がしっくり来ますし,情景描写からすべての登場人物のセリフの語り分けまでひとりでこなす語りの迫力という点で,歌舞伎の竹本よりは文楽の義太夫に魅力を感じます.そのようなわけで,私がラジオで聴くのは主に文楽の演者による義太夫です.

2005年12月 1日

流行語大賞フォーッ!!

ほんとにきちゃいましたニャ,新語・流行語大賞.「フォーー!」が,ばっちりトップテン入りしてまんがな.タヌキにゅーすでもドサクサまぎれにプッシュして,“流行”に一役買ったかいがあった(エ゛?)っちゅーもんでんがな.

大賞のひとつはホリエモンの「想定内(外)」でっか.これこそ「想定の範囲内」でっしゃろか.

おあとがよろしいよーで(それだけかい?!).

2005年11月16日

今朝から「清子さん」

今のところ,まだ「紀宮さま」」だったのが,一夜明けて,さてどーなったやら.

ただ今16日のお昼でござい.皇統譜の手続きはまだみたいだけど,今朝のお礼言上のための参内から,「清子さん」になったニャ(朝日新聞毎日新聞読売新聞).式とか皇統譜とかを境に劇的に変わるかと見てたけど,わりと静かな切り替えでしたニャ.かくしてタヌぼーの予想,ことごとく外れぬ.

何はともあれ,おめっとさんでござい.

2005年11月15日

今のところ,まだ「紀宮さま」

朝から内親王の結婚式報道でんな.

で,いつから報道各社は「紀宮さま」から「黒田清子さん」に呼称を切り替えるのかニャ?

……なんてとこに目ェつけて,時々報道をチェックしてるノダ(笑).

タヌぼーは,午前中の結婚式終了時点が切り替えのタイミングと踏んでたノダ.秋篠宮妃と皇太子妃の結婚式報道の場合,式後,宮中三殿の賢所(かしこどころ)から退出した時点で,呼称が「~さん」から「~さま」に替わったノダ.それに匹敵するタイミングってことでの予想だったけど,披露宴やってるらしい夕方時点じゃ,まだ「紀宮さま」ナノダ.

披露宴主賓の東京都知事は,挨拶の中でさっそく「清子さん」って言ってたけどね.

ってこたぁ,明日やるっちゅー,皇統譜(皇室の戸籍)上の手続きしか,境目は残されてないんじゃなかろか.もーちょい,注目してみましょ.

2005年10月25日

《冷泉家住宅》一般公開

ほんのこて,京都へ行きたか~.

ナゼか藩侯上洛の随行を志願する幕末の薩摩藩士の気分になって,NHK大河ドラマ『翔ぶが如く』(1990)仕込みのエセ薩摩弁で叫んでますけど(ワケわからん),《冷泉(れいぜい)家住宅》(1790)が一般公開されるってニュース(YOMIURI ONLINE)を見つけた以上,ナニかひと言書かないわけにはいきもはん(またエセ薩摩弁).ナンでも,京都古文化保存協会の秋の特別拝観の一環だそうです.

《冷泉家住宅》の塀の写真

期間
2005年10月28日(金)―31日(月)
拝観料
大人:800円
中高生:400円
問い合わせ先
京都古文化保存協会
電話:075-561-1795

今を去ること10数年前の中学時代だったでしょうか,『日本の旧華族たち』などというTVを見ていましたら,現存する唯一の公家屋敷を守る家ということで,冷泉家が紹介されました.公家というものは,明治期にことごとく東京に移住し,幕末まで公家屋敷が密集していた今の《京都御所》(1855;平安時代の様式による)周辺は,残らず「京都御苑」という緑地公園になったものと思い込んでいました.そんな私にとっては,維新後も京都に残った公家がいたということ,京都御苑の外という立地が幸いして近世以来の屋敷が現存し,今なお年中行事の舞台として用いられているということは,驚くべき事実でした.公家・大名出身の旧華族が今日も,家の行事や家業を大切に受け継いでいる様子は,番組全篇を通じてうかがわれたことですが,近世以前に建てられた邸宅ごと守り続けているのは,冷泉家のほかにはほとんどなかろうと思います.

しかも,冷泉家は歌人として名高い藤原俊成・定家父子の子孫の家系で,先祖の歌道と典籍を今に伝えているという点に,ますます興味を覚えました(小学5,6年には,定家が撰んだ『小倉百人一首』を暗誦したものでした).俊成・定家自筆の歌論書や日記,書き写した文学作品までも,「御文庫」と呼ばれるこの屋敷の蔵に現存していたとは.1980年の「御文庫」公開当時を知らず,古典文学について詳しい知識を持たない私でさえ,興奮させられる話です.

高校時代には学校の図書館で,冷泉為任(ためとう)監修『冷泉家の歴史』(朝日新聞社,1981)を繰り返し借りて読み,ブンゲエ部では近世の公家を主人公にした小説を書きました.大学に入ってからも,史料蒐集のため通った京都大学の建築系図書室から宿へ戻る途中,当時解体修理中だった《冷泉家住宅》の足場を夕闇に探りあて,出雲への帰途には福山の広島県立歴史博物館で開催されていた「冷泉家の至宝展」(1998)に立ち寄りました.2001年には《京都御所》の秋の一般公開に出かけた足で,解体修理を終えて間もない《冷泉家住宅》前に再び立ち寄り,土壁と瓦が真新しい塀の向こうで営まれる,折々の行事に思いをめぐらせたものでした.

最近でも,NHKラジオの『京都冷泉家の八〇〇年:和歌の心を伝える』という講座(2004)を,毎週愉しみに聴くなど,冷泉家への関心は絶えることがありません.

さて,公家の屋敷と言いますと,平安貴族の住宅の建築様式として知られる寝殿造のようなものを想像するかも知れませんが,時代は下って徳川時代,しかも冷泉家は中流の家柄ですから,写真や図面を見たところでは,わりとこぢんまりとしていて,数寄屋造を思わせる質素な住宅です.それでいながら,大小さまざまの規模の部屋が,襖を隔てて連続する様子や,来客用の大玄関に対して家内の者が用いた内玄関を隠すように立つ,立蔀(たてじとみ)という格子の衝立塀には,公家の屋敷らしい格式が感じられます.蔀はもともと寝殿造や社寺の建築に用いられた釣戸.私もいずれは屋敷の門をくぐり,立蔀に迎えられて公家文化の一端を体感したいものです.

写真:解体修理を終えて間もないころの《冷泉家住宅》の塀(2001年10月撮影)

京都冷泉家の八百年 ~和歌の心を伝える
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2005年10月 5日

大江健三郎賞

「大江健三郎賞」って新しい文学賞ができるんだってさ.

朝日新聞の記事読むと,きわだった特色のある賞にするみたいよ.

ふつー,文学賞って何人かの選考委員がいて,ピンからキリまであるけど賞金も出て,文藝誌とかに選評が載ってコムツカシイこと書かれる(笑)ワケだけど,「大江健三郎賞」は,

選考委員
大江健三郎(1名).故人じゃなくて現役バリバリ
賞金
なし
賞金にかわる特典
英訳と外国での出版
選評に変わるもの
大江健三郎さんと受賞作家との公開対談を雑誌『群像』に掲載

ってことだそーで.

大江さんの“文学年評”を,文学賞のスタイルを借りてやるよーなモノなのかニャ.賞金の代わりに英訳出版ってトコに,作品を世に紹介するって立場がハッキリ出てるよーに思うノダ.

選評代わりの対談ってのも,選考委員が選評出して,受賞作家が「受賞のことば」を書くよーな,既存文学賞の一方通行的なやりとりより,ずっと読み応えありそうナノダ.ときにゃ激しい議論の応酬,なんてことになりゃせんかニャ(笑).どーゆー展開になるか,楽しみな賞ナノダ.

2005年9月26日

来週から『与謝蕪村』

夜の9時代にゃ,NHKのラジオ第2をよく聴くノダ.月曜の9時からの30分は,「江戸文芸を読む」の再放送.1年前は『東海道中膝栗毛』のシリーズを,岩波文庫版読みながら聴いてたニャ.

今日は4月からやってた『雨月物語』が最終回.来週からは『与謝蕪村』だってさ.

蕪村ってえと,タヌぼーは画で初めて知ったクチで.《奥の細道画巻》とか,池大雅との共作《十便十宜図》とかね.《奥の細道絵巻》なんてのは,背景を描きこまずに紙の地をそのままに,やわらか~い線で人物を配置した,シンプルな画面構成に,ほんわかした味があってエエノダよ.

ラジオ講座を期に,古書店で買い置きしたまんまの岩波文庫版『蕪村俳句集』(尾形仂校注)を読んでみよっと.

パラパラしてみて目に入った句↓

秋風にちるや卒塔婆の鉋屑


蕪村俳句集
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与謝 蕪村 尾形 仂
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2005年9月22日

四股名

大相撲の秋場所は,琴欧州の12連勝が話題になってまんな.背は2m以上あるのに,相撲取りにしちゃエラい細い体型でアソコまでやるってな,たいしたモノだニャ.

それにしてもこの四股名,スケイルのデカさと命名の安直さのバランスが,どーにも紙一重な気がしてしゃあないのはアタイだけ? 四股名にこめた気持ちは,きっと前者だろけどね.

そーいや昔,外国出身力士で,セント・ルイス出身の戦闘竜(せんとりゅう)とか,アンデス出身の星安出寿(ほしあんです)とかいたニャ.ここまでいくと一線越えちゃってるよーな気が……さっきまでしてたノダけど,「亜米利加」とか「阿蘭陀」とか「英吉利」とか書き出して久しいから,今さらヒックリかえるほどのことでもないのかニャ.

大相撲 記録の玉手箱」に,「珍名・難読」四股名の一覧があるノダけど,これ見てたら,さっきあげた四股名なんてカワイイモノ.今日はナニも言わんから,とにかく見ておくんなまし.ギャグとしか思えん名前がザクザク出てるから.

2005年9月14日

燃費が「向上」?

えっと,《TIME'S》の話するつもりだったけど,どーにも気になってしょーがないネタが飛び込んできたんで,明日以降にするノダ.

たまたま聴いたラジオ・ショッピングの番組.番組の進行役の人と販売業者の人が,「ネンピが向上する」とか「ネンピがよくなる」とかいう商品の案内をしてたノダ.どーゆー商品かイマイチわかんなかったけど,どーも自動車に取り付けて使うモノらしいノダ.

そもそも「ネンピ」って言葉が最初わかんなくて,「省エネに役立つ」って説明が入ったときに,よーやく「ネンピ」が「燃費」だってことに気づいたノダ.ハハン.ってこたぁ,燃費を節約できて省エネにも役立つ商品ナノダって言いたいワケね.

でも,ここで「?」なのは,燃費が「向上する」とか「よくなる」とかっていう表現ナノダ.費用を「節約する」「安く上げる」「抑える」とはよく言ったり聞いたりするけど,それを「向上する」「よくなる」って表現する例は,今までお目にかかったことないノダ.トコロがトロロがとなりのトトロが(ナンノコッチャ),Googleで「燃費 向上」「燃費 よくなる」ってキーワードを検索したら……ウヒャー,出るわ出るわ.そんな一般的に使われてるの?????

うーむ,世の中知らんことだらけナノダ.でも,ものすんごく違和感あるんですけどぉ.タヌキにゅーす御覧のみなさん,燃費が「向上する」「よくなる」って表現,気になりません? なんだかNHKの『気になることば』に投稿してみたくなってきたぞよ.