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2007年12月 2日

独学でデザイナーになってみたという話[2]ワープロ専用機の時代

[1]のつづき)

高校の文藝部では,年間4冊の雑誌を作っていました.1冊は印刷所で写真植字+オフセット印刷で仕上げるリッチなものでしたが,残り3冊はワープロで作成した原稿を校内の設備で刷り,製本だけ外部に依頼していました.

前者の写真植字+オフセット印刷の場合,文藝部が長年つきあいのある印刷所の用紙に沿ってレイアウトしました.A5判2段組で,1段あたりの字数と行数も印刷所のフォーマットで決まっていて,専用の原稿用紙に原稿を清書しました.これとし別に,A5判2段組であることを示す罫線を引いた原寸大の指定用紙もあり,そこ各頁各段に対応する原稿用紙の番号や,書体や文字サイズなどの簡単な指定を記入しました.もっとも当時の私の知識では,せいぜい明朝体とゴシック体の区別や,見出し周りの文字のサイズを「本文より○倍大きく」といった程度のことしかできませんでしたが.

一方,後者のワープロ原稿では,各原稿のデザインやレイアウトは,B5判という判型の範囲で筆者の裁量に委ねられていました.印刷所が定めた用紙による制約がない分,好き勝手なことができたわけです.当時1990年代の前半は,まだ今日のように高校に生徒が自由に使えるPCが配備されている時代ではありませんでした.教員でさえ,PCを扱う人材はひと握りしかいなかったはずです.その代わり,ワープロ専用機が全盛期を迎え,「書院」や「文豪」が,職場の文書作成や家庭のハガキ作成などに大活躍していました.私も文藝部で初めて雑誌を作る前に,ワープロ専用機を手に入れました.

この機器,ディスプレイに表示される行数はわずかに4行.印刷した文字のアウトラインはギザギザ.書体は和文・欧文ともに1種類.文字の大きさも等倍・4倍・1/2倍の3種類……などといった具合に,まさに文章を入力するためのシンプルな機械でした.文字に平体(文字の高さを縮めること)や長体(文字の幅をのばすこと)を50%ずつかけたり,白抜きにしたり影をつけたり,文字の背景にアミ点などの簡単な装飾をつけたり,罫線を引いたりすることはできました.それでも,今日私たちデザイナーの多くが使用するグラフィック・デザイン用のソフトウェアや,みなさんがお使いのワープロ用ソフトウェアと比べると,本当に限られた機能しかありません.

しかし,そうした機能上の厳しい制約の中から,いかに工夫して,印刷所で刷られたものに負けない文字組ができるか,ずいぶん研究しながら,このワープロ専用機を使い続けたものでした.数パターンしかない文字サイズとエフェクトをいろいろ組み合わせて見出しと本文の区別を明確にしたり,ルビをふる機能かせない機器でルビをふる裏技を発見したり.時には1度印刷した文字を切り貼りも必要でしたし,縦書きの長い文章を2段組にするために,B5用紙1枚を1段分に見立てて,これを上下2枚並べてコピー機でB5判に縮小させて仕上げることもありました.さすがに文字のアウトラインのギザギザだけは,後年の機種に買い換えない限りは克服しようがないものでしたが,それを補って余りあるだけの文字組は,実現し得たのではないかと思います.こうした試みは,自分のPCを初めて買う大学3年まで続きました.

(つづく)

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