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2007年12月23日

『仮名手本忠臣蔵』の討ち入り

↑の中で,

『仮名手本忠臣蔵』では討ち入りがどう描かれているか……といいますと,えー,そんな場面ありません(爆).

と書いたわけですが,ちょいと補足を.

討ち入り場面のテクスト自体は,あるにはあるのです.新潮日本古典集成の『浄瑠璃集』(土田衛校注,1985)によると,しっかりチャンバラもやってますし,師直(吉良上野介)邸の隣家に,由良助(大石内蔵助)が塀越しにことわりを入れる場面もある(時代劇でも,土屋主税邸に浪士がひと声かけると,土屋邸から何本もの提灯が吉良邸に向けて立てられる場面がありますが,それに相当するものでしょう).最後は塩冶判官(浅野内匠頭)遺臣らの前に引き出された師直,「覚悟はかねて サア首を取れ」と神妙に討たれます.遺臣たちは「をどり上がり飛び上がり」「よろこび勇んで舞ふ者もあり」,果ては「首をたたいつ食ひつきつ」本懐遂げた喜びをあらわすのです.いくらなんでも,師直の首たたいたり食いついたりまでしますか(ヲイ)って感じですが.

ただ,今日の文楽で上演したという話は聞かなくて(文楽関係の本でもそんな紹介を読んだ覚えが).文楽の技芸員のサイトで公開されている『仮名手本忠臣蔵』の床本(太夫自ら書き写した台本)でも,討ち入りのくだりを見かけたことはありません(ワタクシ文楽が好きとはいえ,詳しいというほどでもなければ研究者でもないため,精査したわけではないのですが).

「天河屋の段」で討ち入りの際の合言葉を「天」と「河」に決めたあとは「花水橋引揚の段」.「 柔能く剛を制し弱よく強を制するとは、張良に石公が伝へし秘法なり。塩治判官高定の家臣大星由良之助これを守って」までは,新潮版と同じ.ところが,技芸員のサイトの床本ではこのあと「……艱難辛苦の一年も、首尾よく本望成就に今ぞ晴れゆく富士の嶺」と,すでに師直を討ち取ったことが語られるに対し,新潮版では「すでに一味の勇士四十余騎 猟船に取り乗つて。苫ふかぶかと稲村が崎の油断を頼みにて」と,まさに海路より師直邸に向かうところ(『仮名手本忠臣蔵』では,舞台地が江戸から鎌倉に置き換えられています.さながら鎌倉幕府の執権・北条氏を討たんとする新田義貞勢のようです).

『仮名手本忠臣蔵』でもちゃんと書かれていながら,討ち入りの場面が上演されなくなったのは,この作品が現代に至るまで忠臣蔵ものの芝居に影響を及ぼしていることから思えば,意外ではありますね.もっとも,以前の記事で書いたように,討ち入りそのものよりも,そこに至る数々のエピソードをじっくり描き出すところが,人形浄瑠璃のための作品らしいところでもあるのですが,『仮名手本忠臣蔵』における討ち入り場面の自然淘汰と,後世の忠臣蔵ものにおける討ち入り場面の「復活」の過程というのは,どんなものだか興味ひかれるところです.

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