2009年9月22日

熊本城

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熊本2日目。この日は市内の小泉八雲の旧蹟を巡る予定ですが、その前に短時間でも熊本城くらい見ておこうと、路面電車に揺られて出発します。

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やっとこさ二の丸広場にたどり着いたって感じです。堀をはさんで本丸の天守と宇土櫓が見えます。石垣の長大さ、堀の広さ。

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創建当初から残る唯一の櫓・宇土櫓。全国の近世城郭で現存する天守のうち、姫路城に次ぐ2番目の規模だという松江城の天守を小ぶりにしたような感じです。地上5階、地下1階といいますから、これだけで天守並みの規模は充分にあろうというもの。加藤清正、がんばっちゃいましたね〜。

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近年復元された本丸御殿。玄関が自動ドアにガラス張りだったり、見学通路に毛氈が引かれていたりと、往時の空間を思い起こすには、来場者側がいくらか想像力を働かせなければならないのですが、大広間の最上段、この「昭君の間」は何も余計なことを考える必要がありませんでした。政略結婚で漢から匈奴へ嫁いだと伝わる王昭君を描いた障壁画と、色とりどりの花々が描かれた格天井に囲まれた、大河ドラマで見る大坂城や聚楽第さながらの金ピカ極彩色ぶり。それもそのはず、豊臣恩顧の加藤清正、万一豊臣徳川の合戦とならば、この城に主君豊臣秀頼を迎え入れる心積もりであったという説が伝わっています。加藤清正、がんばっちゃいましたね〜。加藤氏改易後に移封されてきた細川氏はビビッたかも知れませんが。「維持費かかりそうだニャ」とかボヤいたかも。

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天守は戦後に鉄筋コンクリートで外観復元されたもの。創建当初の天守は、西南戦争のときに焼失しましたが、原因については諸説あるそうです。

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天守1階はこうなってました。石垣を背景に戦後モダニズム的な柱梁が組まれています。

上の階は、加藤氏、細川氏の治世、そして西南戦争に関する展示がありましたが、それ以上に目を引いたのが、熊本城復元の基金に寄附した「一口城主」の芳名板。1階から展示各階まで、おびただしい数でした。本題の展示よりも印象に残ってるような勢い(汗)。

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本丸を出て、こちらは三の丸に移築復元された旧細川刑部邸。藩主一門の下屋敷だけに、それなりの大きな屋敷ですが、金ピカ御殿を見たあとですから、だいぶ質素な作りに見えます。

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こういう中庭を見ると、何だかほっとします。ちょうど雨上がり、青葉が映えます。

.....という具合に、かけ足で巡ってきましたが、いやー、さすが肥後54万石の城だけあって、......広いっっっ!! そりゃ学部時代は近世城下町の研究なんてことを考えたことある身ですから、相応の覚悟はしてましたけど、......それでも広い。本来なら隅々まで歩き回るのに1日かけてもよいところです。今度行くときはきっとそうします、ハイ。

2009年3月 7日

奥谷タイムトンネル(03/06-22)

パンフレット表紙の画像

この仕事を始めたころから,2年に1回はアートプロジェクトにかかわる機会に恵まれていますが,今回は城下町松江の北端,奥谷地区が舞台.綜合チラシ,会場で配布しているパンフレット,webを担当しました.

また,webに「小泉八雲とセント・パトリックス・デイ・パレード in Matsue」「城下町松江を歩いてみよう」を寄稿しています.デザインの話は一切なし(笑).あわせて御覧ください.

奥谷タイムトンネル

会期
2009(平成21)年03月06日(金)--22日(日)(月--木曜日休み)
会場
島根大学旧奥谷宿舎周辺地域(島根県松江市)
詳細情報
http://okudani.dokodemo-museum.com/

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2008年7月16日

ドキュメンタリー映画『ひめゆり』松江上映会(07/19)

元ひめゆり学徒隊の生存者の証言からなるドキュメンタリー映画の上映会の実行委員会に加わっていますので,簡単に御紹介を.

この『ひめゆり』という映画,取材に応じた元ひめゆり学徒隊のみなさんと映画制作に携わったみなさんとの約束により,DVD等での販売や,上映会に先立つ関係者向けの試写会等は一切行っていません.そのため,今回の上映会関係者であっても,上映会当日に初めて実際の作品に接する人も何人かいます.私もそのひとりです.以前『ひめゆり』を見て,「何とかして,この映画はひとりでも多く人に見てほしい」と,松江での上映会実施のため立ち上がった人たちの話や,『ひめゆり』のチラシを持って行く先々での得た上映会への期待の声などに背中を押されながら,わずかばかりのお手伝いをしています.

実行委員会のスタッフから聞いた話ですが,柴田監督が,あるラジオ番組のインタヴューで「非常に重いテーマで,制作に13年もかかっていますが,どんな御苦労がありましたか?」との問いに答えて曰く,「苦労はありませんでした.制作費等の問題は確かにありましたが,ひめゆりのおばあちゃんたちにいろいろなことを教わる,また元気をもらう13年でした」と.60年前の経験の重みをかみしめるだけでは終わらない,次の60年への希望を切り開く映画,あるいは上映会になることを期待しています.

日時
2008(平成20)年07月19日(土)
会場
松江市総合文化センター プラバホール(松江市西津田6-5-44)
上映時間(開場は各回の30分前)
1. 10:30-12:40
2. 14:30-16:40
3. 19:00-21:10
※1回目、2回目の上映後には、柴田昌平監督によるお話も予定しています。
チケット
一般:前売り 1,000円、当日1,300円
中高生:当日500円
障害者の介助者:無料(障害者は一般券)
主催
「ひめゆり」松江上映実行委員会、松江キネマ倶楽部
後援
松江市教育委員会、松江市文化協会
チケット取扱
プラバホール、県民会館情報コーナー、今井書店グループ各店 など
問い合わせ先
電話:090-3638-5700(高嶋)、0852-21-1465(山代)

映画『ひめゆり』について

柴田昌平監督が、13年の時をかけて「ひめゆり学徒隊」の生存者22名の言葉を丹念に紡いだ作品です。これまでどんな「ひめゆり学徒隊」を描いた映画も満足できなかったという生存者本村つるさんの次の言葉に、この映画の意義が端的に表れています。「この映画は、生き残った者の真実の叫びであり、亡くなった友への心の奥底からの鎮魂の思いを綴ったものです。生存者はほとんどが80才を越えました。いつかは消えてなくなります。でも、何年たってもこの映画は、ひめゆりの記憶を後世に確かに語り継ぐ大事な財産になるだろうと信じています。」

柴田昌平監督/2006年/2時間10分

平成19年度文化庁映画賞大賞、2007年日本ジャーナリスト会議特別賞


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2008年5月 2日

出雲大社の本殿が59年ぶりに一般公開なので行ってみる

出雲大社では,このほど60年に1度の遷宮のため,御神体が本殿から仮本殿(拝殿)に遷されましたが,そうして現在はいわば「留守宅」になってる本殿が,特別に一般公開されています.行ってきました.

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着いたときには仮本殿(拝殿)の脇で,石見神楽を奉納中.益田市美都町からやってきた丸茂神楽の「鍾馗(しょうき)」.

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仮本殿(拝殿)には立派な扉ができて御簾も下り,「仮」でありながら,いかにも本殿らしい体裁に.

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連休を避けて出かけたとは言っても,それなりに人は押し寄せていました.30分は行列して待ちました.最後の公開期間が8月に予定されていますが,そのころ行ったらエラいことになりそう(アタシャたぶん倒れます).

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「留守宅」でも本殿ということか,服装もそれなりにしなければいけない模様.実際,係の人に止められて,列に並べなかった人たちもいました.

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日付入りの拝観記念証とパンフレット.記念証の図版は,本殿の天井画「八雲之図」の写し.

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本殿へ通じる八足門から先は写真撮影不可ということで,この写真は瑞垣の外から撮影.本殿を囲む縁に並ぶ大勢の人々と比べると,この社殿の大きさがよくわかります.本殿の高さは,屋根の上で×の形に組まれた千木を含めて約24mといいます.

今でこそ,高層のコンクリート建築がそのあたりにゴロゴロしていますから,この程度の規模の建物なんて,珍しくもナンともないようにな気もしますが,木造建築,神社建築の範疇でとらえると,やっぱりバカデカい.本殿の扉に続く階段の下から見上げると,天に向かってそびえ立っているような印象を持ちました.

そして,本殿を囲む玉垣と瑞垣という二重の垣と本殿との距離感.普段は神職など限られた人々しか出入りがないと思われる空間がたっぷりとられて,本殿を取り巻く環境が静けさを保っている様子を確かめることができました.PAを通していた瑞垣の外の神楽の音はよく届きましたが,雑踏はほとんど遮断されていました.

神体が本殿にある常の姿ならば,本殿を取り巻く環境は,一段と静謐に保たれていることでしょうが,そのように想像させるには充分な機会でした.

縁を1周して,扉と蔀(しとみ)戸を開け放った本殿正面の縁に座り,神職さんの解説を聴きました.天井画の「八雲之図」もここから見ました.「八雲之図」は,現在の本殿が延享元年(1744)に造替されて以来,手が加えられることなく今日に至っているとの説明がありましたが,260年の歳月を感じさせないほどの極彩色で描かれていました.

現在の公開期間は6日(火)まで,その後,5月13日(火)--18日(日),8月1日(金)--17日(日)にも公開されるそうです.今月中にせめてもう1回,行きたいところですが,どうなりますやら.

2008年1月17日

大餅さん

島根県立古代出雲歴史博物館で14日まで開催してた特集展「出雲地方の正月行事」に,写真と映像で紹介されてたんで,反応してみたノダ.

松江市八雲町の星上山山頂にある星上寺(ほしがみじ)目指して,麓の集落から大きなお餅を2人1組でかついで,数名の同行者と一緒にお供えに行く行事ナノダ.

展示によると,山のぼる前に集落を1周するノダけど,沿道あちこちでお酒進められるモノだから,担ぎ手のおっちゃんたちはだんだん千鳥足になっちゃって(笑).こんなんで無事お寺まで着けるのかニャ?って心配したものの,雨ん中1時間以上かかって山道のぼって,お寺の本堂前にちゃんと到着したノダ.

そーこーするうち,別の地区からもお餅かつぎ御一行さまが,こっちは自動車で乗り込んでくるワケ(ずる〜い??).で,ナゼだかお餅おみこしぶっつけ合い(笑).待ちかまえてた山のぼり組も意外と元気.映像で見てるとなかなかオモロいお祭りでござんした.

ちなみに,松江市秋鹿町の高祖寺奥の院大日堂にも,集落を大餅かついで練り歩いてお餅を供える「おもっつぁん」の行事があって,それも展示に出てたノダけど,「おもっつぁん」の由来とゆーのが星上寺に関係があって.ナンでも,星上寺で博奕に負けた腹いせに,お供えの大餅を盗んで持ち帰ったのが,高祖寺の坊さん……ならまだしも,ニャンと本尊の大日如来(爆)……なんて話が伝わってるらしいノダ.ふたつのお寺の浅からぬつながりを思わせるけど,それにしても博奕の上に盗みを働く大日さんって(ヲイ).

2008年1月12日

雨の城下町……で発掘調査現地説明会

病み上がりだっちゅーのに,この雨ん中で発掘調査の現地説明会に行ってきたアタイって(汗).

場所は松江城山の内堀をはさんで東側,松江藩の家老屋敷があったところ.松江市歴史資料館(仮称)の建設予定地ナノダ.

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土を盛っては建てて,盛っては建てての繰り返しなモンだから,江戸時代の遺構とはいっても,けっこー深いトコに,昔の建物の礎石が埋まってるノダ.

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出土した「ゴミ」の一部.昔はゴミは焼かずに土に埋めて処分したノダ.17世紀から18世紀にかけてのものとか.唐津焼の湯飲み,土師質土器の灯明皿,使い込まれてツルツルになったすり鉢,漆器の家紋入りのお椀,箸,下駄,瓦,動物の骨,人形の首……

2007年10月24日

桜江古文書を現代に活かす会

江津市桜江町大貫の旧家・中村家の古文書を地域づくりに生かそうということで,「桜江古文書を現代に活かす会」ができたとか.

いやー,御当主・中村久左衛門先生は80歳ですか.お元気そうで.これでも島根大学の歴史部屋に大学院までいたワタクシ,アルバイトでやってた古文書の調査で,中村家に何度かおじゃましたのです.その節は大変お世話になりました(私信).

中村家は,石見銀山を預かる大森代官支配の幕府直轄領内にある村役人の家で,銀山関係の主に江戸時代の史料もいろいろ所蔵しているらしく,12月に会で講演するという石見銀山資料館の仲野義文さんも調査にいらっしゃってました(当時,山陰中央新報の記事が出たはずです).ワタクシは,句会の記録や謡曲の本など,江戸時代の豪農/村役人層の文化水準を物語る史料に興味を持ったものでした.

2007年10月19日

石見銀山の重伝建地区,追加選定へ

石見銀山のおひざもと,大田市大森町の重要伝統的建造物群保存地区の範囲が拡張されて,明治期以降に発展したという上佐摩下地区や,街並みの背後の山々も含まれることになったそうです.

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撮影:2006年(↓新聞記事の写真と同じ場所から撮影していますが,↑は自前の写真です)

京都などで名だたる庭園の借景となる山並みが,新しい高層建築の出現によって損なわれてしまった,あるいはそのような危機にある,といった話の枚挙に暇がない御時世ですから,今回の追加選定は,妥当かつ自然な流れによるものでしょう.

山並みと言っても,その役割は必ずしも借景に限定されるわけでもありませんしね.送り火で知られる京都五山が,洛中の人々の信仰の対象でもあったように,石見銀山に即して言えば,城跡や間歩(坑道),寺社などが残る山々もまた,町で暮らす人々の営みとともにあった存在です(報道によると石切場の跡も見られるそうです).より広い視野で石見銀山の景観を保全していく上でも,意義のある追加選定だろうと思います.

2007年10月16日

映画『太陽』

先日,『太陽』という映画(アレクサンドル・ソクーロフ監督,2005)を見ました.ロシア,イタリア,フランス,スイスの合作ということになっていますが,一人芝居で知られるイッセー尾形が,終戦前後の昭和天皇を演じて話題になった作品です.

昭和天皇を通して,終戦の過程だの占領下の日本だのを描くというのではなく,「現人神ということになっているオッサンの悲哀」を浮かび上がらせた点で,おそらく今までにない映像作品だと思いました.

1945年も夏になったはずなのに,御前会議のあとは研究所に籠もり,昼寝し,皇太子に手紙を書くという,侍従長が読み上げた予定を淡々とこなす天皇(ただひとつ,家族が疎開して身近にいないことだけが,平時とは決定的に異なるわけですが).8月15日すら明確には描かれることなく,いつの間にかマッカーサーとの会見の日…….戦争物や歴史ドキュメンタリーの枠組で天皇を扱う限り,絶対にできないであろう描写ですね.

ところで,マッカーサーから贈られた大量のチョコレート,私にも1枚分けて欲しかったです.侍従長(佐野史郎)が毒味をしてくれましたので,安心して食べられます.

この映画の話のつづきも,気が向いたときにチョコチョコ書いてみましょう(いや別にダジャレってワケじゃ).

2007年8月17日

シンポジウム「未来への遺産:重要文化財『京都府行政文書』の保存と活用」(08/25-26)

大学時代の先輩から,近代行政文書の保存・活用をテーマに京都で開催されるシンポジウムの案内が届きました(一応ワタクシ,歴史学で修士論文を書いたことになっています).

重文指定の京都府行政文書を有する土地での会にふさわしく,充実したプログラムになっています.「行政文書の保存と活用,というテーマのシンポジウムを,保存科学・アーカイブズ・歴史学をまたがってやるのは,非常に珍しい試みだと考えております」とは先輩の弁.

こちら島根県には,本格的な県立公文書館はいまだ設置されていません.「竹島の日」制定を契機として,今年4月に竹島資料室が開設されたとはいえ,県レベルでの行政文書の保存・活用についての議論は,いまだ盛んとは言い難い状況です(少なくとも県民への周知という点では).島根県にとっては数々の先進事例に接するよい機会になろうかと思います.

以下,案内文を転載します(レイアウト等の都合により,当方で編輯した箇所があります).

科研「京都府行政文書を中心とした近代行政文書の史料学的研究」シンポジウム
未来への遺産:重要文化財「京都府行政文書」の保存と活用

京都府立総合資料館所蔵の「京都府行政文書」15407点は、2002年に国の重要文化財に指定されました。都道府県の近代行政文書としては、はじめてのことです。この「京都府行政文書」を素材に、近代行政文書についての保存科学・史料学の両面からの本格的な研究成果を報告し、近代資料の保存と活用について参加者とともに議論したいと考えています。

資料館見学・資料閲覧
日時
2007年8月25日(土)15:00-16:30
会場
京都府立総合資料館(京都市左京区下鴨半木町1-4)
内容
「京都府行政文書」のなかから、翌日のシンポジウムに関連した保存上の課題がある資料や、京都府政を考える上で重要な資料の閲覧と、文書庫の見学。
参加方法
先着30名まで
要事前申込
シンポジウム
日時
2007年8月26日(日)10:00-16:30
会場
キャンパスプラザ京都 5階 第1講義室(JR京都駅ビル駐車場西側・京都中央郵便局西側)
参加費
無料
申込不要
内容
京都府行政文書の紹介など
基調講演
高山正也(国立公文書館理事)「公文書の保存と活用の意義:過去は未来を語る」
報告
小林啓治(京都府立大学准教授)「近代行政文書研究の諸課題」
飯塚一幸(大阪大学大学院准教授)「近代史研究と行政文書」
石川登志雄(京都造形芸術大学准教授)「文化財としての京都府行政文書」
稲葉政満(東京芸術大学大学院教授)「近代行政文書のための保存科学」
金山正子(元興寺文化財研究所記録資料調査修復室長)「近代行政文書の保存と修復」
ディスカッション
ポスター報告
入山洋子「京都府行政文書 保存・劣化状態概要調査の報告」
海野彰子「京都府行政文書に使用された紙の劣化調査:pH測定による現状把握」
小森崇弘「行政文書における用紙の変遷
白川哲夫「京都府行政文書にみる霊山護国神社(招魂社)のあゆみ
長澤一恵「舞鶴港第2期修築事業:昭和初期の大陸・朝鮮半島−舞鶴−畿内を結ぶ地域復興のとりくみ」
田中希生「国体と国民精神文化講習所
櫻澤 誠「京都府行政文書にみる戦後「自治会」の再構成について:「町内会部落会指導者講習会」を中心に」
後藤 真「デジタル・アーカイブ化によって見えた近代のアーカイブズ像:近代史料を含めた新たな史料学の射程」
レセプション
日時
2007年8月26日(日)17:00-19:30
会場
ホテルグランヴィア京都 5階 古今の間(JR京都駅ビル)
料金
一般:7000円
学生・院生:5000円
要事前申込
主催
科研グループ「京都府行政文書を中心とした近代行政文書の史料学的研究」
共催
京都府
詳細情報
http://www.geocities.jp/kyoto_archives

2007年8月13日

『歴史学通信』Vol. 31届く

大学院までお世話になった島根大学歴史部屋(大相撲かいな)の学生が編輯・発行する雑誌『歴史学通信』が今年も届きました.

その写真

ここ数年現れていた学術雑誌指向が,ついにここまでになったか,という第一印象です.修士論文の掲載や授業の受講報告に加え,今回は学会報告用のレジュメや留学先からの報告,先生方を巻き込んで「学問をするということはどの様な意味を持つのか」というテーマでの寄稿(授業料を払う以上,学生は先生方を大いに活用するべきです[笑])を載せるなどといった,実に意欲的な誌面になっています.

ワタクシが10年前『歴史学通信』の編輯にかかわったときも,当時文科系の学術分野でも普及のきざしが見えていたインターネットを巻き込みつつ,学術雑誌を指向したものでしたが,プロトタイプの域を出るには至らなかった(ただ,今日にも通用する誌面づくりのアイディアは盛り込んでいたという自負はあります).しかし昨今は,研究室で今どのようなことが行われているか,その多様な面が多くの学生・教員の声を通じて現れるようになった.かつての関係者として,悦ばしく思います.

ただ,原文縦書きの論文を横組みで掲載する場合,漢数字が読みにくくなりますから,原文通り縦組みにして巻末から頁を始めるか(縦組みと横組みが混在する雑誌ではよく見られます),横組みにするのであれば,固有名詞や史料引用以外の漢数字を半角英数字に改めた方がよいでしょう.これはグラフィック・デザイナーの立場からの助言でございます,ハイ.

それから,松江市内2店の古書店を訪ねて店主にインタヴューした短い記事.目のつけどころがいいですね.こういう店でなければなかなか出会えない本や資料も多いはずですから,学生が古書店に通うきっかけになれば何よりのことです.

2006年1月28日

出雲市図書館まつりへ行く

出雲市図書館まつり主会場の写真

おととい情報のっけた出雲市図書館まつりに行ったノダ.

まずはパルメイト出雲1階ロビーでの古本市がさ,「この本をこんな値段で買っちゃっていいんですかい? ダンナ(誰)」てくらいのお手ごろ価格で.文庫判が1冊10円,単行本も1冊30円から100円だったノダ.

本日のお買いもの↓

  • 谷崎潤一郎『新々訳源氏物語』単行本,全10巻+別巻(ただし巻七を欠く)
  • NHK取材班『シルクロード』全6巻(NHK特集の書籍化)
  • 『江戸東京博物館総合案内』
  • 『戦後日本を駆け抜けた異色の前衛 勅使川原蒼風』展覧会カタログ,全2巻
  • 宮脇俊三の文庫本5冊

これほど買って1,000円札出しておつりがもらえたノダ.こんな機会めったにないノダ.さて,いつ読もっか(爆).

主会場の4階ホールは,図書館5館と文化団体のブースと講演会場がひしめきあって,老若男女で大にぎわい――あ,写真は“小にぎわい”の時間帯に撮ったんで,ちとさみしそーに見えちゃうノダけど(笑).さてさて,タヌキぼーやは昔とったキネヅカで,歴史方面のブースに足が向いたノダ.明治初年にアイルランドに私費留学したあと大津町で私塾を開いた勝部其楽(きらく)とか,大社の古文書を読む会とか,出雲の阿国とかね.

海辺の多伎図書館は,絵図のおっきなプリント出してたノダ.

まずは広島大学附属図書館所蔵「中国五県土地・租税資料文庫」から,明治初年の地租改正のときに作られた多伎地区5ヶ村の絵図.土地に課税する制度を始めたときの絵図なんで,土地の区画と通し番号がこまか~く書いてあるノダ.「中国五県土地・租税資料文庫」の絵図は,高精細ディジタル画像化したものの一部を,島根大学附属図書館の「絵図の世界展」で去年見たノダけど,多伎図書館じゃ,その多伎地区版が見られるらしいノダ(会場で配付のパンフレットによる).一度行ってみなくちゃ.小田駅から200mちょいみたいだし.

もーひとつは出雲国全体の絵図.うち1点は,『出雲国風土記』が書かれたころの出雲国を描いたモノナノダけど,絵図に記されたところによると,『風土記』に記された天平5年(733)の出雲国の様子を,寛政11年(1799)に尾張名古屋藩主が描かせた絵図を,大正12年(1923)に誰かが書き写して,それをまた昭和14年(1939)に大津村(現・出雲市大津町)の人が書き写したっちゅー,ヤヤコシイことこの上ないシロモノ(笑)ナノダ.今の宍道湖にゃ,島は嫁が島ひとつしかないけど,この絵図にゃ,宍道湖から日本海に注ぐ今の佐陀川の入口あたりに,「出島」ってのが描いてあるノダ.こんな島,聞いたことないぞよ.『風土記』にゃ載ってるのかニャ? うーむ,『風土記』くらい読まなきゃニャ.

ウチから一番近い市立図書情報センターの展示は「昭和を振り返って」.関聯書のほか,同じ場所の異なる年代の写真,歴代市旗,歌謡曲のレコード,前身館の蔵書印を押した本,各年代の雑誌やらなんやら,小さなブースにいろいろ見ものがあったノダ.

戦時中の『週刊朝日』なんてビックラこいたニャ.B4判なんだもの.今どきのちょいとこじゃれたfree paperみたいナノダ.表紙にゃ切手貼る位置が指定してあって,“兵隊さんの慰問品として贈ることができます”みたいなことが書いてあるのは時代でんな.

昭和24年(1949),29年(1954),39年(1964)の島根県の電話帳なんてのも出てたぞよ.頁数は15年間で約100頁から約300頁にう~んと増えてるけど,どれもB5判で2段組.昭和39年になっても多くの市町村じゃ,電話番号が市内局番なしの1桁,2桁,3桁で済んじゃってるノダ.その後いかに電話が普及したかってことだよね.今じゃひとり1台携帯電話の世の中だもの.

そんなこんなで,いや~,タマランかったノダ.

2006年1月15日

『20世紀デザインヒストリー』

『20世紀デザインヒストリー』の画像

みなさま,謹んで新年のおよろこびを申し上げます.『たぬき家小春の懸賞生活』本年第1回目として御紹介いたします品はこちらの1冊.渡辺千春+サラ・ディズリー『20世紀デザインヒストリー』(プチグラパブリッシング,2005)でございます.

本書はその名の通り,20世紀のデザインの歴史を著したもので,日本語と英語の2言語で併記されております.20世紀を10年で区切った各章に,その年代を代表するプロダクトや現象について,カラー図版を添えて解説してあります.どの項目も1頁もしくは1/2頁をあててありますから,テンポよく読み進めることができるようになっております.

全体といたしましては,日本発のデザインに関する項目が占める割合が多いように見受けられます.柳宗理やウォークマンから,戦時中の国民服,電気釜,カップヌードル,ファミリーコンピュータといった「エ? これもデザイン史で取り上げるの??」と思わせるものまで,多岐にわたって取り上げられております.身近にありふれたモノでも,デザインの視点から見ることによりまして,普段とは違ったモノが目の前に浮かんでくるかも知れませんね.

デザイン史の本だけに,巻末には「グラフィック」「プロダクト」「ファッションと素材」「建築」「社会現象」の5項目を並列させた,35頁にわたるデザイン史年表つき.

20世紀のモダン・デザインを代表する書体と申してよろしいでしょう―Helveticaで欧文書体を統一するとともに,明快なグリッド・システムでレイアウトされたブック・デザインも見逃せません.

『たぬき家小春の懸賞生活』,今回はこのへんで失礼いたします.みなさま,ごきげんよう.

20世紀デザインヒストリー
渡部 千春 サラ ティズリー Sarah Teasley
プチグラパブリッシング (2005/09)

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2005年12月16日

北山殿

金閣で有名な鹿苑寺の境内から,室町幕府3代将軍・足利義満の山荘「北山殿」の遺構が出土したそうです(asahi.com).

京都市埋蔵文化財研究所の発表では,今回出土したのは回廊の一部と見られるとのことですが,その幅なんと4.2mとか.……広い.かと言って,殿舎と見ようとすると,随分狭いということになりそうですものね.

実は,北山殿を舞台にした小説の構想を,高校時代から持っています.鎌倉時代に栄えた公家で,義満以前に北山殿を営んだ西園寺(さいおんじ)家の盛衰を,義満の栄華と重ね合わせながら描く,といったものです.発掘調査報告書が出たら,小説のネタ求めて読んでみましょうか.

2005年12月 1日

「絵図の世界:出雲国・隠岐国・桑原文庫の絵図」に行く[2]

昨日の報告とは異なる視点から見た展示会の感想を,別のメイリング・リストに投稿しました.文面の一部を改変して下記に掲載します)

私が島根大学に在籍していたのは2003年9月まででしたが,当時は附属図書館の所蔵資料を展示公開する機会というものはなかったはずです.最近は,研究プロジェクトの進展や,昨年の歴史地理学会松江大会,大学法人化に伴う新たな取り組みの要請……など,さまざまな背景があるのでしょうが,こうして所蔵資料が一般市民の目にも触れる形で活用される機会が増えたことは好ましい傾向であると思います.

学生による展示説明会が行われたのも結構なことです.私の在籍時には,教員と学生が共同で一般向けの行事に参画することがありませんでした.そういう機会があれば学生にとってもよい勉強になるだろうとは考えていたのですが,具体的な構想を持つには至りませんでした.

図録とともに講演会の記録も出版されるのもうれしいです.所用で聴講できなかったため,誰か活字化して世に出してくれないものかと思っていた折節の朗報.“個人的事情”はさておいても,記録を残し公開することも大事ですよね.

貴重資料をディジタル・コンテンツ化して公開するという流れについては,'90年代後半のインターネットやPC,ディジタル・カメラの急速な普及を目の当たりにしつつ,先生方や学生と話題にしたものでした.ようやくここ数年,日本の歴史学界でも多くの成果物が現れてきたように見受けられます,前者の「貴重図書デジタルアーカイブス」は,スライダーの所在が,スペースの細長さや周囲の色との近似のため気づきにくかったものの,全体として操作がシンプルで覚えやすかったです.1年前,島根県立美術館のコレクション展で,IAMASが開発した「洛中洛外図屏風」の精細画像によるディジタル・コンテンツを見た際にも感じたのですが,実物の資料ではむやみに顔を近づけて見るわけにはいかなくとも,ディジタル化したものはそのあたりの気兼ねが少ない点ひとつとっても便利です.

2005年11月29日

「絵図の世界:出雲国・隠岐国・桑原文庫の絵図」に行く[1]

(展示会の紹介と感想を,あるメイリング・リストに投稿しました.文面の一部を改変して下記に掲載します)

会期が残り少なくなってしまいましたが,先日「光の道」上映会の前に,島根大学附属図書館の所蔵資料による「絵図の世界」展(タヌキにゅーす)を見てきましたから御紹介します.

絵図というのは,平たく言えば古地図のことです.作成年代や用途によって,作図の表現や記載される情報はさまざま.また,出展資料の多くは松江はじめ出雲国内を扱ったものですから,当地の地形や街並み,人々の暮らしの変遷を知るという意味でも,見どころはたくさんあるのではないでしょうか.昨年春,県立博物館,県立図書館,松江郷土館で開催された「絵図でたどる島根の歴史」展の展示品も多数含まれています.

私が普段お世話になっている方のうちに,松江に在住/お勤めの方が多いですが,そうしたみなさんに鑑賞のポイントをおすすめをするならば,やはり城下町松江の絵図かと思います.城下町全体を取り上げた「松江城下町絵図」は,堀尾氏が治めていた17世紀前半のものと,松平氏が治めていた19世紀前半のものの2点.いずれも武家や寺社の名称が1軒1軒書き込まれ.さながらゼンリンの地図のようです.中でも堀尾期の絵図に関しては,原図では毛筆で記入された文字情報を活字に起こしたトレイスの図面もあわせて展示されていますから,「昔の人が書いた字なんて読めないよ~」という方には鑑賞の助けとなるでしょう.

そのほか,「松江雑賀町絵図」(1824年以前),「松江末次本町絵図」(元禄年間[1688-1704]に作成された絵図を1856年に書き写したもの)といった町ごとの絵図,松江大橋以東の水路や開発された新田を描いた「川下辺絵図」(1786?)も展示されています.

今日県庁所在地となっている江戸時代の城下町の中には,災害や空襲,再開発などを期に大幅な都市改造の手が加えられた都市も少なくないのですが,その点松江は江戸時代以来の道路や水路が比較的多く残っています.しかし一方で武士の時代が終わった明治期以降,土地の用途は大幅に変わりましたし,拡幅された道路,埋め立てにより失われた水路,用いられなくなった通りの名前もあります.現在の松江と変わらない点,変わった点,それぞれに多くの発見ができることと思います.

ところで,大学図書館主催の展示会だけに,精細画像化した絵図を活用したデジタル・コンテンツという気合いの入った成果物もいくつか公開されています.パネル・タッチ式の大型ディスプレイに絵図を映し,画面を手で触れることで見たい絵図の選択から細部の拡大までできる,といったものなどです.

今年の春のお披露目以来,松江市内のあちこちに出没している「松江歴史マップ(マルチメディアテーブル)」も,ヴァージョン・アップして登場.堀尾期,松平期,明治期,現代の4枚を同時に見ることができたり,松平期の絵図から「白潟天神町絵図」(1841)にジャンプして,その細部をトレイスと対照させながら見ることができるのは,新しいコンテンツではなかったかと思います(「白潟天神町絵図」は,家ごとに所有者や借家人,間口に奥行,さらには土蔵やかまどの所在まで記された,大変詳細なものです).

展示会場の様子(島根大学附属図書館).

2005年11月26日

「絵図の世界」展の図録に講演記録が

「光の道」島根上映会の前に,島根大学附属図書館の「絵図の世界」展(タヌキにゅーす)に行きました.詳しい報告は日を改めて書きますが,どうしてもひと言だけ.

上映会の時間帯に,展示会関聯行事として大学で講演会があるということで,さきのタヌキにゅーすに,

あ,できれば図書館か研究室か『歴史学通信』で,講演会を活字化してくれたらニャ~なんて(ボソッ).いやあの,こりゃ半ば本気で思うナノダ.のちのちのための記録も大事だからニャ.

と書きましたら,図書館のカウンターに置いてあった展示会のチラシに,

絵図展の図録および講演会の記録を合わせた本を来春出版する予定です。

の1行を発見.

いや~,思いが通じたのか,考えていることが一緒だったのか,ただの偶然なのか(笑)知れませんが,ともかくうれしいです.このテーマではこれ以上ないと思われる講師陣が勢ぞろいしていますから,大いに期待しましょう.

2005年11月19日

塩冶判官

外出の支度をしながら見ていた,ETV『日本の伝統芸能 文楽入門』再放送で,赤穂事件を扱った名作『假名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』を取り上げていました.歌舞伎の演目としても名高い『假名手本忠臣蔵』ですが,もとは人形浄瑠璃(文楽)のために書かれた作品です.

徳川幕府の治世にあっては,この事件を実在の人名を用いて劇化することがはばかられたため,例えば大石内蔵助は大星由良助(おおぼし・ゆらのすけ),萱野三平は早野勘平といった具合に,役名が置き換えられ,時代設定も元禄年間から南北朝時代に移されています.

さて,赤穂事件の発端となった,いわゆる松の廊下の刃傷事件の当事者である吉良上野介と浅野内匠頭.『假名手本忠臣蔵』ではそれぞれ高師直(こうのもろなお)と塩冶判官高貞(えんや・はんがん・たかさだ)の名で登場します.師直も判官も実在した人物で,師直は足利幕府初期の執事,塩冶判官は婆娑羅大名として知られる佐々木道誉と同族にして,出雲国の守護です.

『假名手本忠臣蔵』は刃傷事件の原因を,師直が判官の妻・顔世御前に横恋慕したことに求めていますが,この設定は,鎌倉時代末期から南北朝時代の動乱を描いた軍記物『太平記』から借用されたものです.『太平記』には,塩冶判官の妻は絶世の美女であると聞かされた師直が,判官の妻に横恋慕したことで判官との関係がこじれ,ついには判官に謀叛の罪を着せて自害に追い込む……というエピソードが盛られています.

その塩冶判官と塩冶一族のものとされる墓が,私が住む島根県出雲市の,その名もズバリ塩冶町にある古刹・神門寺(かんどじ)に現存しています.実は私の家が神門寺の檀家で,『假名手本忠臣蔵』も『太平記』も知らなかった幼少のころ,親に連れられ墓参りに行くと,明らかに昨今のものとは異なる様式の墓石を見ながら,「昔は塩冶って苗字があったノダニャ」などとつぶやいたものでした.

あいにく私は見る機会を逃してしまいましたが,先日,神門寺にほど近い塩冶コミュニティセンター(公民館)で,出雲市出身の漫画家・平野勲さんの筆になる,塩冶判官の生涯を描いた絵巻『出雲塩冶太平記』の披露と一般公開があったそうです(山陰中央新報).塩冶判官は著名な古典文学・藝能の登場人物としては名高い一方,実像が今ひとつよくわからない人物であり,ゆかりの地である塩冶地区でもその名をあまり知られていないのではないかと思います.そのような中で塩冶判官が,ほのぼのとした筆致で賑やかな祭の絵を多く手がける平野さんの手で,どのように描かれているものなのか興味あるところです.

かく言う私も,中学時代に在籍した美術部での最終作として,出雲市内に来演した松竹の歌舞伎が上演した『假名手本忠臣蔵』「判官切腹」の段までを,登場人物に南北朝時代の装束を着せて描いたことを,このにゅーすを書くうち思い出しました.今となってみなくても正視に堪えない仕上がりのため,世間さまには決してお目にかけられたものではありません(笑).当時の私を知る人ならば,私が今デザイナーとして振る舞っているなどと,にわかには信じられないはず.自身でさえ,こうなるとは予想もしなかったのですよ…….

2005年11月18日

絵図の世界:出雲国・隠岐国・桑原文庫の絵図

今でこそタヌキぼーやはデザイナーだけど,実は島根大学法文学部/人文社会科学研究科(修士課程)の歴史学の出でござい.

その島根大学で,附属図書館所蔵の絵図の展示があるってんで,紹介しとくノダ.日韓間で領有権問題がある竹島の記載があるってゆー,19世紀半ばに英国海軍が作成した地図が出展されるとかで,地元じゃあちこちで報道されてる(山陰中央新報),あの展示会でござい..

絵図ってのは,平たく言やぁ古地図のことナノダ.今の測量技術でできるよーな,地形を寸分狂わず表した地図を期待しちゃいかんノダけど,地図の性格によって作図の表現はさまざまあるし,記載される情報もいろいろ.ナニより,その土地土地の時代ごとの様子を知る手がかりにもなるノダ.

島根県内や城下町松江の絵図も出るだろーから,なじみある土地の昔の姿を思い浮かべながら見るのも,愉しみ方のひとつじゃなかろか.

江戸時代以前の絵図が多いはずなんで,字ィ読めへんガナってこともあるかも知れんけど,わかりやすい解説が用意してありゃエエですニャ.

会期中の26日(土)にゃ,学生が展示解説してくれるそーな.絵図見物初心者は,このときに行くのも手でしょな.それにしても,学外の人を受け容れる行事で学生が前面に出て働く.エエこっちゃ,エエこっちゃ.ワテはよーせんノダけど(自滅).

その日の午後にゃ講演会も.うわー,行きたいわあ~.でも「光の道」の上映会と重なってるノダ.どないしよ~?? おとといのチラシ配りにゃ,歴史の学生部屋にも顔出したけど,こりゃ学生諸君にゃ「上映会いらっしゃ~い」なんてよー言えませんわ(笑).

歴史部屋の掲示板に「光の道」のチラシ貼ってくれた なおねーさん,ありがとさんナノダ(また私信始まったぞよ).でも,時間帯が完全に重なっちゃったんで,学生諸君にゃ,展示会と講演会をしっかりお手伝いして,お話を聴いて,質問もするよーにススメてやっておくんなせぇ.あ,できれば図書館か研究室か『歴史学通信』で,講演会を活字化してくれたらニャ~なんて(ボソッ).いやあの,こりゃ半ば本気で思うナノダ.のちのちのための記録も大事だからニャ.

ま,少なくとも展示会だけは見に行かにゃいけまへんな.

主催
島根大学附属図書館
後援
島根地理学会
島根史学会
入場料
無料

展示会

期間
11月21日(月)―12月2日(金) 9:00-17:00
会場
島根大学附属図書館本館(松江市西川津町)

学生による展示説明会

日時
11月26日(土) 10:00-11:00

講演会

日時
11月26日(土) 13:30-16:30
会場
島根大学教養講義棟 1号館 302号室
講師・演題
松尾寿(島根大学名誉教授)「堀尾期の松江城下町」
林正久(島根大学教育学部教授)「松江平野の地形とその形成過程」
池橋達雄(島根史学会会長)「出雲の近代絵図について」
藤原茂(島根地理学会会員)「絵図にみる近世の隠岐」
舩杉力修(島根大学法文学部助教授)「絵図のデジタルコンテンツ化の取組み」
司会
竹永三男(島根大学法文学部教授)
詳細
http://lisa.shimane-u.ac.jp/new/new.asp?disp=2&id=62