2008年8月13日

夢幻語り:夢、異界、そして猫(08/15-16) 公演目前

出演者のおひとり,安田登さんの著書『日本語を生かすメリハリ読み!』附属のCDに,今回の顔ぶれにウードが加わった漱石『吾輩は猫である』の「餅の段」(「猫がお雑煮を食べて踊を踊っている」あれです)が収録されています.聴いてみたら立派な狂言でした(笑).動物が食べ物の誘惑と葛藤するのは『釣狐』という狂言を連想させるところもあり(『釣狐(つりぎつね)』にただよう悲愴感はまるでありませんが),猫が雑煮に食いついてからの笛は狂言のアシラヒ笛ですし.去る〔7月〕12日(土)島根県民会館の能楽基礎講座での槻宅さんのお話によると,その前日が東京で今回とほぼ同じ内容の公演だったとのことで,「餅の段」を上演したところ,舞台上の安田さんもお客さんと一緒になって笑い出してしまったそうです.

夢幻語り:夢、異界、そして猫(08/15-16)(タヌキにゅーす)......以下同じ

安田さんのブログにも,7月の公演の報告が出ていました.「一瞬中断というハプニング」だったとか.どの場面だったのでしょうね.

『日本語を生かすメリハリ読み!』は私も持っていまして,CDはiPodでよく聴くのですが,たかが餅を食べたいだけのことにもっともらしい理窟をこねる猫の姿を,安田さんの,ワキ方らしく決して狂言的ではない語りで描き出しているという,ハマってるんだかミスマッチなんだかわからない組み合わせが何ともおかしいですし,「猫がお雑煮を食べて踊を踊っている」猫を発見した子どもたちやおさんを受け持つ水野ゆふさんの声の変幻自在ぶりがたまらない.おさんの「あらま」は生でも聴いてみたいです.

2006年の「松江・能を知る集い」が,まさに今回の出演者勢ぞろいでの実演と体験の場であり,島根県内各地でのワークショップでも上演されてきましたから,半ばこの土地でも育ってきた演目であり,上演形態であると言えます.ワークショップから切り離して独立した公演としては,松江では初めての登場です.小泉八雲の作品は私もまだ聴いていませんので,どのように料理されて出てくるか楽しみにしています.

中でも,夏目漱石『夢十夜』の「第一夜」と,小泉八雲「破約」には共通点があります.いずれも,死の床についた妻が,夫に遺言をする場面から物語が始まるのです.しかし,約束を守れたかどうかが運命の分かれ道,「第一夜」の夫は約束を遂げて妻との「再会」を果たし,「破約」の夫には悲劇が忍び寄る.......一対の作品として見る楽しみがあるふたつの作品.しかも,ともに能に共通する物語の構造を持つ点が,とりわけ面白いと思います.

「百年、私の墓の傍(そば)に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」と言い遺して死んだ「第一夜」の妻.彼女の墓の上に百合の花が咲いたとき,男は妻が遺言通り,自分に逢いに来てくれたのだと悟るのです.それは複式夢幻能といって,生身の人間の姿を借りて登場した何者かが,正体をワキにほのめかして去り,やがて本来の姿で再び出現する形式に重ね合わせることができる物語の展開です.......これはほとんど,安田さん,槻宅さんのお話のウケウリですが(笑).

男の妻として人間の姿で現れていたあの人は,百合の精であったのか......? 「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」......だから「百」に「合」という名を持つ花が咲いたのか? そんなことを想像させる,不思議な物語です.

ちなみに『夢十夜』を書いたころ,漱石は能のワキの謡,安田さんと同じ下掛宝生流の謡を習い始めていたそうです.

一方,「破約」の夫は,いまわの際の妻に,再婚はしないと誓いながら,周囲の勧めを断りきれずに後妻を迎えてしまいます.すると,夫の知らないところで後妻は,先妻の亡霊に悩まされ,ついには凄惨な結末に至る.......

怖い話には違いないとは言え,先妻の亡霊は,夫に約束を破られたという悲しみを背負っています.亡霊の側にも,誰かに耳を傾けてもらいたい思いがあるのです.能で言えば,嫉妬に苦しむ「鉄輪(かなわ)」の妻や「葵上(あおいのうえ)」の六條御息所,あるいは一夜の宿を貸した客に約束を破られた「黒塚(安達原)(くろづか,あだちがはら)」の女......そういった人々に重ね合わせることができる存在.それが「破約」の先妻ではないかと,私は思っています.

奥の深い選曲がなされた「夢幻語り」です.特に15日(金)は夜の公演ですから,終演後は宍道湖北岸からの夜景がおみやげになるかも知れません.

日本語を生かすメリハリ読み!―漱石で学ぶ「和」の朗読法
安田 登
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2008年7月17日

夢幻語り:夢、異界、そして猫(08/15-16)

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これまたタヌキにゅーすではおなじみの槻宅聡さん(能楽森田流笛方)出演,能の技法を採り入れた,小泉八雲と夏目漱石のテクストによる朗読劇のチラシをデザインしました.御紹介しましょう.

出演者のおひとり,安田登さんの著書『日本語を生かすメリハリ読み!』附属のCDに,今回の顔ぶれにウードが加わった漱石『吾輩は猫である』の「餅の段」(「猫がお雑煮を食べて踊を踊っている」あれです)が収録されています.聴いてみたら立派な狂言でした(笑).動物が食べ物の誘惑と葛藤するのは『釣狐』という狂言を連想させるところもあり(『釣狐』にただよう悲愴感はまるでありませんが),猫が雑煮に食いついてからの笛は狂言のアシラヒ笛ですし.去る12日(土)島根県民会館の能楽基礎講座での槻宅さんのお話によると,その前日が東京で今回とほぼ同じ内容の公演だったとのことで,「餅の段」を上演したところ,舞台上の安田さんもお客さんと一緒になって笑い出してしまったそうです.

2006年の「松江・能を知る集い」が,まさに今回の出演者勢ぞろいでの実演と体験の場であり,島根県内各地でのワークショップでも上演されてきましたから,半ばこの土地でも育ってきた演目であり,上演形態であると言えます.ワークショップから切り離して独立した公演としては,松江では初めての登場です.小泉八雲の作品は私もまだ聴いていませんので,どのように料理されて出てくるか楽しみにしています.

チラシに登場する百合の花は,漱石『夢十夜』の「第一夜」にちなんで.

日時
2008(平成20)年08月15日(金)19:00
2008(平成20)年08月16日(土)15:00
会場
松江イングリッシュガーデン(島根県松江市西浜佐陀町330-1)
出演
安田登(ワキ方下掛宝生流)
水野ゆふ(舞台俳優)
槻宅聡(笛方森田流/島根県安来市出身)
演目
小泉八雲『日本の面影』より「盆踊り」
小泉八雲『影』より「死骸にまたがる男」
小泉八雲『日本雑録』より「破約」
夏目漱石『吾輩は猫である』より「餅の段」
夏目漱石『夢十夜』より「第一夜」
夏目漱石『夢十夜』より「第三夜」
定員
各回先着300名
料金(全席自由)
一般:2,000円
小中学生:1,000円
未就学児:無料
チケット購入方法
8月10日(日)までに電話で予約。予約番号に基づき、当日チケットを販売。
チケット予約申込先
松江イングリッシュガーデン(担当:原、小村)
電話:0852-36-3030
主催
松江イングリッシュガーデン
後援
八雲会
詳細情報
http://www.plusvalue.co.jp/mugenkatari/

2008年5月 3日

大型連休中,出雲大社の神楽奉納は毎年恒例らしい

それで行ってみたら,たまたま神楽の奉納に出会ったノダけど,大型連休ってことで毎日やってるんだってね.しかも,毎年恒例らしいノダ.うーん,知らんかったノダ〜.ハタチ前にもなるっちゅーのにィ(ん? 今なんか変なこと言うたぞよ.誰がハタチ前やねん??).

暖かな日和の中、大勢の参拝者で賑わうゴールデンウィークには、毎年恒例の神楽奉納が行われます。繰り広げられる神楽に訪れる参拝者は暫し足を止め、"神々の国・出雲"に伝えられる神話の世界に心を深めます。

神楽日程及び奉納社中(奉納時間は9:00〜16:00を予定)

  • 4/26(土) 千原神楽団(邑智郡美郷町)
  • 4/27(日) 大土地神楽保存会(出雲市大社町)
  • 4/28(月) 万九千社・立虫神社神代神楽保存会(簸川郡斐川町)
  • 4/29(火) 出雲大社教神代神楽本部(雲南市市大東町)
  • 4/30(水) 見々久神楽保持者会(出雲市見々久町)
  • 5/1 (木) 出雲大社教神代神楽小河内支部(雲南市大東町)
  • 5/2 (金) 丸茂神楽社中(美濃郡美都町)
  • 5/3 (土) 出雲國大原神主神楽保存会(雲南市大東町)
  • 5/4 (日) 出雲大社教神代神楽日登支部(雲南市大東町)
  • 5/5 (月) 出雲大社教神代神楽波積支部(江津市波積町)
  • 5/6 (火) 出雲大社神代神楽佐世支部(雲南市大東町)
〈夜神楽〉
  • 5/4 (日)午後5時頃より 赤塚佐儀利保存会(出雲市大社町)

期間も奉納時間も長いし,タヌキ小屋から大社までは徒歩+電車でも自転車でも30分かかるんで,毎日見に行くってワケにゃいかんノダけど,交通の便はいいトコだから,来年からはお目当ての神楽の日は予定空けるよーにしなくちゃニャ.このところ地元の神楽にキョーミ持ち出したとは言っても,実はあんまり見たことないんでね.

ふーむ,見々久神楽は30日だったノダニャ.「節分詣り」もやったんかニャ? 「サンペイやサンペイ,サンペイはおらんかいのぉ〜」

2008年5月 1日

2008年 能楽基礎講座:能楽の楽しみ方と学び方(5/31, 6/14, 7/12. 9/6)

オモテ面の画像

山陰の能・狂言を見に行く会のサイトでも紹介しましたように,島根県民会館の「能楽基礎講座」が昨年に引き続き開催されます.

昨年,すべての回を通して出席して興味深かったのが,まだ能を見たことがないという受講者が多かったこと.東京や関西のようにいつでもどこかで能が見られるわけではない土地柄にもよるのだと思いますが,能に対して何らかの興味・関心を持っている人は,決して少なくはないと実感しました.今回も,そうしたこれから能を初めて見る人たちに向けての話題の提供が,多くあろうかと思います.

また,謡曲を声に出して読む機会は,昨年も少しありましたが,今回はより拡充されています.謡曲は,必ずしも謡の技術を持たなければ楽しめないようなものではなく,素読や黙読するだけでも,あるいは耳で聴くだけでも味わいがありますから,個人的にはいずれ「能楽基礎講座」か「松江・能を知る集い」でやって欲しいと希望していたところです.こちらも楽しみにするとしましょう.

なお,広告デザインも昨年と同様,ワタクシ石川陽春が担当しました.どーぞよろしく(ナニを?).デザインワークスのサイトには,これから載せます(汗).ちょとお待ちを.

日時
2008(平成20)年05月31日(土),06月14日(土),07月12日(土),09月06日(土)15:00-17:00(全4回)
会場
島根県民会館(島根県松江市殿町158)
講師
槻宅聡(笛方森田流/島根県安来市出身)
安田登(ワキ方下掛宝生流) ※第4回のみ
内容
第1回:05月31日(土)
楽しみ方:むずかしいと思わずにまずは観に行こう!
第2回:06月14日(土)
学び方(1)実技編:楽しいと思ったらやってみよう!
第3回:07月12日(土)
学び方(2)文献編:台本(謡本・狂言台本)を読んでみよう!
第4回:09月06日(土)
学び方(3)体験編:ことばと声=謡曲のたのしさ
参加料
一般:全4回通し3,500円,第4回のみ1,000円
学生:全4回通し2,000円,第4回のみ600円
※全4回通し受講者には07月18日(金)「野村万作・萬斎 狂言公演」の入場券割引特典あり。
参加申込先
島根県民会館 能楽基礎講座係
電話:0852-22-5502
ファックス:0852-24-0109
電子メール:info@cul-shimane.jp
※氏名,年齢,電話番号,住所を明記すること.
詳細情報
http://www.civichall.pref.shimane.jp/hall/event/?20080531
http://sanin-noh-kyogen.info/schedule/20080531.html

2008年2月19日

2008年 松江・能を知る集い:能楽囃子の楽しみ 笛と小鼓(03/02)

チラシの画像

タヌキにゅーすでのお知らせが遅くなりましたが,今年も「松江・能を知る集い」のチラシのデザインを担当しました.イラストレイションは,前回に引き続き小西優子さんにお願いしました.

体を動かすことで能の魅力を味わう「松江・能を知る集い」は今年で5年目.今回は,笛と小鼓を通して、能の囃子をじっくり掘り下げる1日です.聴いているだけでは気づかないこと,笛や小鼓の稽古を体験したり実際に道具(楽器)に触れたりして初めて発見できること,きっとあると思います.講師は毎年おなじみの槻宅聡さん(笛方)と,「松江・能を知る集い」初登場の鳥山直也さん(小鼓).

参加応募期限が迫っていますが,まだ定員に余裕があるようですから,今からでも3月最初の日曜日の予定に御検討下さい.ちなみにワタクシ,実行委員のハシクレでございます,ハイ.

日時
2008(平成20)年03月02日(日)10:30-15:30(10:00受付開始)
会場
松江市総合文化センター 小ホール(島根県松江市西津田6丁目5-44)
講師
鳥山直也(能楽観世流小鼓方/島根大学卒業)
槻宅聡(能楽森田流笛方/しまねアーティストバンク登録講師/島根県安来市出身)
定員
60名
参加料
一般:2,000円
高校生以下:800円
参加申込期限
2008(平成20)年02月22日(金)
参加申込・問い合わせ先
「松江・能を知る集い」実行委員会
電話:090-7122-2940(生和)
詳細情報
http://sanin-noh-kyogen.info/tsudoi/

2008年2月 3日

見々久神楽の「節分詣り」

見々久(みみく)の長者「今日は節分さんだけん,杵築(きづき)の大社さんへ節分詣りをさんといけん……なんだいかんだい面倒くさいかもしぇんが,支度してごせぇや.

(今日は節分だから,出雲大社へ節分のお詣りをしなければいけない……なんだかんだと面倒くさいかも知れないが,支度をしておくれ)

島根県立古代出雲歴史博物館のサイトにある「動画の泉」で公開されている,「見々久神楽」(出雲市見々久町)の映像から,「節分詣り」という狂言風の演目の冒頭です.

見々久の長者に呼び出されたサンペイという名の従者が「はてさてお呼びでございますやら.いかなる御用にて御座候」と畏まった言葉で用件を訊ねると,長者は「ずーずー弁でいいけん」と,以下出雲弁でのやりとり.出雲大社へ節分のお詣りに行くから供をせよと言いつけて,主従そろって出かけています.大社に到着して,「鬼は外,福は内」と豆をまく長者.サンペイも長者にならって豆をまきますが,言葉を取り違えて「鬼は内,福は外」と言ってしまったもんですから,さあ大変.

能楽の狂言の影響が随所に見てとれる,「出雲弁狂言」と呼んでよさそうな演目です.

出雲地方で勢力を誇った神社のひとつである佐太(さだ)神社(松江市鹿島町)に伝わる「佐陀神能」という神楽が,能楽の様式を採り入れて現在の姿を整えたとされ,出雲地方の各地に佐陀神能の流れを汲むと思われる神楽が伝わっています.この見々久神楽の映像でも,今日の能楽で「翁(おきな)」と呼ばれる,千歳(せんざい),翁,三番叟(さんばそう)による神聖な舞の様子が紹介されていますが,「節分詣り」のような狂言風の演目があるのもまた,能楽の影響によるものかも知れません.

ちなみに,節分に出雲大社へ参詣に行くという筋立ての演目は,能楽の狂言にもあります.「福の神」では,節分と称して出雲大社に年籠もりに行った参詣人一行が,豆をまきつつ祈りを捧げているところに福の神が出現します.あるいはその名もズバリ「節分」という演目では,夫が出雲大社への年籠もりに出かけた留守番の妻の前に,鬼が現れて言い寄ってきます.これらと比較して見々久神楽の「節分詣り」を見るのも面白いかも知れませんが,出雲の住人として何より興味深いことは,節分に出雲大社で豆をまいている点ですね.今の出雲大社で,そんなことやってましたっけ?

2種類ある動画のうち,短編と公開編それぞれにこの演目が収録されていますが,公開編では16分02秒ごろから「節分詣り」が始まります.おうちでの豆まきのあとのお楽しみにどーぞ.

2007年12月28日

「仮名手本忠臣蔵」でGoogle検索すると最初に出てくるサイト

赤穂浪士または塩冶判官旧臣たちは,本懐を遂げて今ごろは大名家にお預けの身となっていると思いますが,このところ『仮名手本忠臣蔵』ネタが続いたんで,仕上げに「仮名手本忠臣蔵」でGoogle検索して,最初にどんな検索結果が出るか,試してみました.

Wikipediaでも出てくるかと思ったら,(C)2004 Japan Arts Council, All Rights Reserved?

国立劇場や国立文楽劇場などを運営している日本芸術文化振興会という独立行政法人のサイトの「文化デジタルライブラリー」にある教材コンテンツでした.Flashたっぷり使って,演目の一場面を描いた浮世絵を交えた詳しいあらすじの紹介や,作品の背景となった出来事,5門正解するとナンかプレゼントがもらえるクイズまであるという(ワタクシもナンぞもらってみました),なかなかにぎやかな内容になっているようです.ガッコの先生だけでなく,初めて文楽や歌舞伎を見る人や,これからもっと楽しみたい人が遊ぶのにもよさそうです.

「文化デジタルライブラリー」のリンクをたどっていくと,『義経千本桜』や『菅原伝授手習鑑』といったほかの文楽や歌舞伎の人気演目でも,同様のコンテンツを作っていますね.

2007年12月23日

『仮名手本忠臣蔵』の討ち入り

↑の中で,

『仮名手本忠臣蔵』では討ち入りがどう描かれているか……といいますと,えー,そんな場面ありません(爆).

と書いたわけですが,ちょいと補足を.

討ち入り場面のテクスト自体は,あるにはあるのです.新潮日本古典集成の『浄瑠璃集』(土田衛校注,1985)によると,しっかりチャンバラもやってますし,師直(吉良上野介)邸の隣家に,由良助(大石内蔵助)が塀越しにことわりを入れる場面もある(時代劇でも,土屋主税邸に浪士がひと声かけると,土屋邸から何本もの提灯が吉良邸に向けて立てられる場面がありますが,それに相当するものでしょう).最後は塩冶判官(浅野内匠頭)遺臣らの前に引き出された師直,「覚悟はかねて サア首を取れ」と神妙に討たれます.遺臣たちは「をどり上がり飛び上がり」「よろこび勇んで舞ふ者もあり」,果ては「首をたたいつ食ひつきつ」本懐遂げた喜びをあらわすのです.いくらなんでも,師直の首たたいたり食いついたりまでしますか(ヲイ)って感じですが.

ただ,今日の文楽で上演したという話は聞かなくて(文楽関係の本でもそんな紹介を読んだ覚えが).文楽の技芸員のサイトで公開されている『仮名手本忠臣蔵』の床本(太夫自ら書き写した台本)でも,討ち入りのくだりを見かけたことはありません(ワタクシ文楽が好きとはいえ,詳しいというほどでもなければ研究者でもないため,精査したわけではないのですが).

「天河屋の段」で討ち入りの際の合言葉を「天」と「河」に決めたあとは「花水橋引揚の段」.「 柔能く剛を制し弱よく強を制するとは、張良に石公が伝へし秘法なり。塩治判官高定の家臣大星由良之助これを守って」までは,新潮版と同じ.ところが,技芸員のサイトの床本ではこのあと「……艱難辛苦の一年も、首尾よく本望成就に今ぞ晴れゆく富士の嶺」と,すでに師直を討ち取ったことが語られるに対し,新潮版では「すでに一味の勇士四十余騎 猟船に取り乗つて。苫ふかぶかと稲村が崎の油断を頼みにて」と,まさに海路より師直邸に向かうところ(『仮名手本忠臣蔵』では,舞台地が江戸から鎌倉に置き換えられています.さながら鎌倉幕府の執権・北条氏を討たんとする新田義貞勢のようです).

『仮名手本忠臣蔵』でもちゃんと書かれていながら,討ち入りの場面が上演されなくなったのは,この作品が現代に至るまで忠臣蔵ものの芝居に影響を及ぼしていることから思えば,意外ではありますね.もっとも,以前の記事で書いたように,討ち入りそのものよりも,そこに至る数々のエピソードをじっくり描き出すところが,人形浄瑠璃のための作品らしいところでもあるのですが,『仮名手本忠臣蔵』における討ち入り場面の自然淘汰と,後世の忠臣蔵ものにおける討ち入り場面の「復活」の過程というのは,どんなものだか興味ひかれるところです.

2007年12月16日

『風林火山』終了

大河ドラマウォッチャー歴,実に20年のタヌキぼーやでござい(初めて見たのが1987年のあの『独眼竜政宗』).

『風林火山』,本日ついに最終回だったニャ.

主演級から脇役まで老若男女,TVドラマじゃなじみの薄い役者がワンサカ出てきては(この作品で初めて見た人けっこー多かったノダ),それぞれちゃんと劇中で役目をつとめて去っていく.大河ドラマじゃめずらしく,一部の主要登場人物がいつの間にかいなくなった,なんてことがなくて,数ヶ月ぶりに,忘れたころにまた出てきたよーな人物でも,何か印象に残る見せ場,去り際が用意されてたノダ.

2004年の『新選組!』にも通じるトコがあるけど,役者の使い方の丁寧さ,脚本の伏線の張り方では,大河ドラマ史上,類を見ない作品じゃなかったかニャ,そんな気がするノダ.最終回の最後の場面でも,見事やってくれたニャ.序盤のストーリーがここにきて生きてくるかと(今日見逃した人もいろだろから,具体的にゃよー書かんけど).

2007年12月14日

BShiで通し狂言『仮名手本忠臣蔵』

全国数千人中47名の赤穂浪士のみなさん,あるいは塩冶判官遺臣のみなさん,今宵はお勤めごくろーさんです.

なんてのを書いてたら,明日は朝からNHKのBSハイビジョンで,『仮名手本忠臣蔵』の通し狂言(長〜い演目を全篇を通して上演すること)を10時間かけて放送するそーじゃござんせんか.

2004年の国立文楽劇場20周年記念公演だとか.九段目は地上波の放送で見ましたが,大星由良助(大石内蔵助)が雪玉コロコロしながら山科の閑居に帰る「雪転(こか)しの段」の風情が何とも言えずよかったです.

BSハイビジョンの受信環境が整っている人は,楽しんで下さいまし(うらやまし).

2007年12月12日

このごろよく聴く『仮名手本忠臣蔵』

もーすぐ12月14日,赤穂浪士討ち入りの日が近いせいか,ラジオで義太夫の『仮名手本忠臣蔵』を相次いで聴きます.今日もNHK-FM『邦楽のひととき』で,大序「鶴が岡兜改めの段」「恋歌の段」を放送していました.

『仮名手本忠臣蔵』はもともと人形浄瑠璃(文楽)のために書かれた作品で,初演は寛延元(1748)年の大坂・竹本座.赤穂事件を題材とした戯曲はそれまでにも数多く世に出ていたそうですが,四十七士討ち入りから47年後にして現れた大ヒット作が『仮名手本忠臣蔵』です.のちに歌舞伎に移植されたり,現代でもTVや映画の忠臣蔵ものに大きな影響を与え続けたり.ついには赤穂事件そのものまで「忠臣蔵」と呼ぶのが定着しちゃったという勢い.

もっともこの作品には,大石内蔵助も吉良上野介も浅野内匠頭も,実名では登場しません.江戸時代は幕府がうるさくて事件そのまんまを脚色して上演できなかったため,大石内蔵助は大星由良之助(おおぼしゆらのすけ),吉良上野介は高師直(こうのもろのお),浅野内匠頭は塩冶判官(えんやはんがん)と名を変え,時代設定は南北朝時代.塩冶判官が師直に斬りかかるのも,江戸城ではなくて鎌倉.そこで今日のラジオでも,鶴岡八幡宮で足利直義臨席のもと,討ち取った敵将・新田義貞の兜改めの場面が語られたわけです.兜の目利き役として召し出された塩冶の妻・顔世御前に,足利家を取り仕切る師直が横恋慕……すべての事件の発端です.

「塩冶」といえば,ワタクシが卒業した小学校は出雲市立塩冶小学校.しかも歩いてすぐの神門寺(かんどじ)には,塩冶判官高貞の墓なるものがあります.塩冶高貞(?-1341)は,鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての出雲国守護で,足利幕府から謀叛の嫌疑で追討を受け自害したという人物.この時代を取り上げた軍記物『太平記』では,高貞追討の原因を,幕府執事の高師直が,高貞の妻に横恋慕したことに求めています.その設定を『仮名手本忠臣蔵』は借りたのです.

さて,討ち入りの日は間近.TVの連続時代劇では終盤のクライマックスとなる討ち入りの場面をぶつけることが珍しくありませんが,『仮名手本忠臣蔵』では討ち入りがどう描かれているか……といいますと,えー,そんな場面ありません(爆)(討ち入り場面のテクストはあるのですが,文楽で上演したという話は聞かないです.もし例がありましたら教えて下さい.歌舞伎ではまた事情が違うかも知れませんが).師直邸に向かったかと思ったら,次の段ではすでに本懐遂げて,師直の首級を槍に掲げて引き上げちゃいます.しかしそこが人間の情を丹念に紡ぎ出すという人形浄瑠璃らしいところで,討ち入りに至る数々のドラマで,観客をさんざん泣かせるわけです.しかも全11段,まともに通して上演したら半日はかかる(汗)という一大長篇で(そのため文楽や歌舞伎では,一部の段を取り出して上演することが一般的です).

2007年11月25日

東京みやげは演劇チラシ山盛り

演劇の広告山盛りの写真

東京のザ・スズナリという劇場で坂手洋二作・演出の舞台「ワールド・トレード・センター」を天覧あそばされた 女王陛下(誰?)から,会場で入手したという首都圏の演劇チラシを,たくさん拝領つかまつりましてございます.劇団、本谷有希子から大駱駝艦まで,幅広い品ぞろえ.

こーゆー具合に,出雲市近辺じゃ手に入らない広告のおみやげは,ワタクシのよーな仕事をしてるモンにとっちゃ,デザインのおべんきょになりますんで,大歓迎なんでございます.それにおみやげ下さる方もカネがかかんなくて,お互いいいことづくめ.

ハイ,これであなたも明日から,旅行先でタヌキぼーやへのおみやげに困るこたぁなくなりますよっ(ナンの催促だか??).

2007年11月24日

積立金私的流用で文楽大夫が契約解除

益田シリーズの途中ですが,文楽ファンのハシクレとしては残念な話題を.

この件で豊竹十九大夫(とよたけ・とくたゆう)さん,文楽協会から契約を解除され,今月の国立文楽劇場の公演も,明日25日の千穐楽を残して途中降板とのこと.

私がFMやTVから録音してiTunesに保存している義太夫の中に,十九大夫さんのものがいくつか含まれているだけに,何ともやりきれない話です.

2007年10月16日

映画『太陽』

先日,『太陽』という映画(アレクサンドル・ソクーロフ監督,2005)を見ました.ロシア,イタリア,フランス,スイスの合作ということになっていますが,一人芝居で知られるイッセー尾形が,終戦前後の昭和天皇を演じて話題になった作品です.

昭和天皇を通して,終戦の過程だの占領下の日本だのを描くというのではなく,「現人神ということになっているオッサンの悲哀」を浮かび上がらせた点で,おそらく今までにない映像作品だと思いました.

1945年も夏になったはずなのに,御前会議のあとは研究所に籠もり,昼寝し,皇太子に手紙を書くという,侍従長が読み上げた予定を淡々とこなす天皇(ただひとつ,家族が疎開して身近にいないことだけが,平時とは決定的に異なるわけですが).8月15日すら明確には描かれることなく,いつの間にかマッカーサーとの会見の日…….戦争物や歴史ドキュメンタリーの枠組で天皇を扱う限り,絶対にできないであろう描写ですね.

ところで,マッカーサーから贈られた大量のチョコレート,私にも1枚分けて欲しかったです.侍従長(佐野史郎)が毒味をしてくれましたので,安心して食べられます.

この映画の話のつづきも,気が向いたときにチョコチョコ書いてみましょう(いや別にダジャレってワケじゃ).

2006年1月 7日

初代中村鷹之資襲名披露

ETV日本の伝統芸能 観世清和・山本東次郎の能・狂言入門』再放送に続いて,たまたま見た『芸能花舞台』.昨年11月の歌舞伎座公演千穐楽から,「鞍馬山誉鷹(くらまやまほまれのわかたか)」だったノダ.中村富十郎さんトコの坊っちゃんの,初代中村鷹之資(たかのすけ)襲名披露狂言ナノダ.

鷹之資さんの牛若丸に,富十郎さんの鷹匠という,狂言といい配役といい粋な組み合わせ.6歳の鷹之資さんが堂々たる演技でさ,口上でもしっかり挨拶してるし.それでいてヘンに大人びた感じもなくて.見てて気持ちよかったノダ.

ちなみに共演が,中村雀右衛門,中村吉右衛門,片岡仁左衛門,中村梅玉…….実にゼエタクな門出のお祝いでんな~.

2006年1月 5日

土方の最期,古畑の完結

この3夜は,三谷幸喜脚本のTVドラマが4本も放送されたニャ.

NHK新選組!!:土方歳三最期の一日』(3日)は,近藤勇の最期で終わった大河ドラマ『新選組!』(2004年1月-12月)の続篇.フジテレビ『古畑任三郎FINAL』(3,4,5日)は,約12年続いた刑事ドラマ・シリーズの完結篇って位置づけ.どっちも見続けてきたから,とーとーこの日が来たニャって,なんかカンガイ深かったノダ.それぞれまだまだ後日談や新しいエピソードが出てきそーな気がせんでもないノダけど,とりあえず,最後の最後までたのしませてもろたって具合ナノダ.

三谷ドラマのナニが面白いかって,ナンたって舞台演劇のエッセンスが持ち込まれてるトコかニャ.例えば『古畑』のシリーズじゃ,舞台が原則として殺人事件の現場に絞られたり,主人公による視聴者に向けての独白が毎回必ずあったり,同じ俳優が劇団員のよーに,別の回に別の役で登場したり,といったあたり.『新選組!』だと,近藤勇と新選組のある1日を中心に1話が組み立てられてた点.んでもって,随所に出てくるユーモアとウィットに富んだ笑い.そこらのTVドラマにゃない独特の味わいがあるノダ.

3夜4本の感想は改めて書くつもり.だいいち,『古畑FINAL』第1夜の放送時間の半分が,『土方』と重なってて(爆)前半観てないし,それぞれ触れたいことがいっぱいあって,筆が追いつかんノダ.今月は仕事がエリャア忙しいことになりそーなんで,ちょこちょこ小出しにでもしていきますわいな.

2005年12月11日

ラジオとwebで義太夫

昨日NHK-FMの『邦楽百番』(土曜日11:00-11:50,再放送:日曜日5:00-5:50)で放送していた義太夫「假名手本忠臣蔵 早野勘平腹切の段」(太夫:竹本住大夫,三味線:野澤錦糸)を,MP3に録音し,今日にかけて繰り返し再生しました.

「早野勘平腹切の段」は,舅殺しの嫌疑がかかった勘平が腹に刀を突き通した直後,勘平の無実が証明され,臨終の際に主君仇討の連判状への血判がかなう,という「假名手本忠臣蔵」中の名場面のひとつ.中学時代に授業の一環で初めて見た文楽(人形浄瑠璃)の演目が,舅の死を扱った「二つ玉の段」であり,大学時代には文楽の松江公演で,住大夫さんと錦糸さんによる「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」の切場を見たこともあって,くしき縁を思い出しつつ耳を傾けていたところです.

この3月,大社の地方公演で6年ぶりに生の文楽を見て,人形,太夫,三味線が織りなす人形芝居の妙を改めて認識しました.以来,ラジオで義太夫の放送をチェックしながら,次なる観劇の機会を待っています.

江戸時代の大坂弁を基調に,喜怒哀楽の感情をたっぷり込め,役柄に応じて声色を使い分けつつ,人間のあらゆる葛藤を語る太夫.三味線の中でも最も低い音域を奏でる太棹の,腹の底にズシリと響く音.そうした音楽的な面だけを取り出しても,義太夫は充分な魅力をたたえています.

ただ,文楽という芝居を念頭に義太夫を聴く私としては,生きた人形が目の前にない以上,語られている言葉もひとつひとつ味わいたいものです.しかしながら,私の耳は太夫独特の節回しがスンナリ入ってくるほどには肥えていない.そこで,床本(ゆかほん)と呼ばれる義太夫の台本がweb上で手に入る作品に関しては,モニター上の床本に目を通しながらラジオを聴いています.

床本というのは,本来は太夫が舞台で使用する肉筆の本を指すようですが,文楽公演で配られるパンフレットにも「床本」と題して,上演する狂言(演目)の台本を全文掲げていますから,とりあえず床本と称しておきましょう.最近は,床本に限らず日本の古典文学のテクストを,web上で多く目にするようになり,便利になりました.今回聴いた「早野勘平腹切の段」は,豊竹咲甫大夫さんのサイトを参照しています.

それはとは、それはとは、エヽわごりよはなう。隠しても隠されぬ、天道様が明らかな。親仁殿を殺して取つたその金や、誰に遣る金ぢや。聞こえた。身貧な舅、娘を売つたその金を、中で半分くすねておいて、皆遣るまいかと思ふてコリヤ、殺して取つたのぢやなア。今といふ今迄、律儀な人ぢやと思うて、騙されたが腹が立つわい。エヽこゝな人でなし、あんまり呆れて涙さへ出ぬわいやい。なう愛しや与市兵衛殿、畜生の様な婿とは知らず、どうぞ元の侍にしてやりたいと、年寄つて夜も寝ずに、京三界を駆け歩き、珍財を投げうつて世話さしやつたも、かへつてこなたの身の仇となつたるか。飼ひ飼ふ犬に手を喰はるゝと、ようもようもこの様に、惨たらしう殺された事ぢやまで。コリヤこゝな鬼よ蛇よ、父様を返せ、親仁殿を生けて戻せやい。

勘平に夫を殺されたと信じて疑わない姑の嘆きが上の引用ですが,現代人の我々の心を直接にえぐるような言葉を連ねているわけです.今日,文楽が世界無形遺産に選ばれるまでに世界的な評価を得たのには,言葉の壁を打ち破って世界中の人々に感動をもたらす何ものかがあるからだとは思いますが,せっかく日本語を使って日々暮らしているのですから,その“特権”を生かして,言葉の面からも文楽を愉しみたい.もっとも,生の舞台を前にしながら床本に目を落とすというのは,もったいないことこの上なし.これはあくまでも,ラジオならではの義太夫鑑賞法です.

なお,文楽はすべての演目が義太夫によって進行しますが,歌舞伎にも義太夫(歌舞伎では「竹本」と言います)を伴う「義太夫狂言」と総称される演目がありますし,ほとんどの場合が人形や役者を入れない素浄瑠璃(すじょうるり)と呼ばれる形態で演じられる女義太夫も,根強い人気を誇っています.しかし私のように人形芝居の戯曲として義太夫を味わおうとする者にとっては,人形がいきいきと動くさまが目に浮かぶという点で,女義太夫よりは男の太夫による語りの方がしっくり来ますし,情景描写からすべての登場人物のセリフの語り分けまでひとりでこなす語りの迫力という点で,歌舞伎の竹本よりは文楽の義太夫に魅力を感じます.そのようなわけで,私がラジオで聴くのは主に文楽の演者による義太夫です.

2005年11月30日

四代目坂田藤十郎襲名披露

ついにこの日が来たんかっちゅーか.

京都南座で,中村鴈治郎改め四代目坂田藤十郎,襲名披露の顔見世でんがな(asahi.com).

何しろ上方歌舞伎の大名跡,231年ぶりの復活ナノダ.しかも初代藤十郎と言やぁ,初代市川團十郎と並んで,高校の日本史の教科書にも出てくる名前だから,今回の襲名は文字通り,教科書からピョコッと飛び出してきたよーな感じがするノダ.

團十郎は代を重ねて十二代目.今は療養中の当代も,江戸歌舞伎の荒事の薫りを感じさせる舞台を見せてくれてるニャ.

一方藤十郎は四代目で絶えて久しいし,大きな名前だから,今日の上方歌舞伎の顔と言うべき三代目鴈治郎をもってしても,そー簡単にゃ復活せんじゃろと見てたノダ.それだけにね,エリャアことが実現したモンだニャ,松竹の永山会長よく許したニャ(笑)って,しみじみ思うノダ.

今回の襲名で.江戸の團十郎に匹敵する,上方歌舞伎の大きな看板が立ったよーな気がするニャ.歌舞伎の舞台ってもう何年もナマで見てないけど,それでもこーゆーめでたい話題にゃ,相変わらずワクワクするノダ.

2005年11月19日

塩冶判官

外出の支度をしながら見ていた,ETV『日本の伝統芸能 文楽入門』再放送で,赤穂事件を扱った名作『假名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』を取り上げていました.歌舞伎の演目としても名高い『假名手本忠臣蔵』ですが,もとは人形浄瑠璃(文楽)のために書かれた作品です.

徳川幕府の治世にあっては,この事件を実在の人名を用いて劇化することがはばかられたため,例えば大石内蔵助は大星由良助(おおぼし・ゆらのすけ),萱野三平は早野勘平といった具合に,役名が置き換えられ,時代設定も元禄年間から南北朝時代に移されています.

さて,赤穂事件の発端となった,いわゆる松の廊下の刃傷事件の当事者である吉良上野介と浅野内匠頭.『假名手本忠臣蔵』ではそれぞれ高師直(こうのもろなお)と塩冶判官高貞(えんや・はんがん・たかさだ)の名で登場します.師直も判官も実在した人物で,師直は足利幕府初期の執事,塩冶判官は婆娑羅大名として知られる佐々木道誉と同族にして,出雲国の守護です.

『假名手本忠臣蔵』は刃傷事件の原因を,師直が判官の妻・顔世御前に横恋慕したことに求めていますが,この設定は,鎌倉時代末期から南北朝時代の動乱を描いた軍記物『太平記』から借用されたものです.『太平記』には,塩冶判官の妻は絶世の美女であると聞かされた師直が,判官の妻に横恋慕したことで判官との関係がこじれ,ついには判官に謀叛の罪を着せて自害に追い込む……というエピソードが盛られています.

その塩冶判官と塩冶一族のものとされる墓が,私が住む島根県出雲市の,その名もズバリ塩冶町にある古刹・神門寺(かんどじ)に現存しています.実は私の家が神門寺の檀家で,『假名手本忠臣蔵』も『太平記』も知らなかった幼少のころ,親に連れられ墓参りに行くと,明らかに昨今のものとは異なる様式の墓石を見ながら,「昔は塩冶って苗字があったノダニャ」などとつぶやいたものでした.

あいにく私は見る機会を逃してしまいましたが,先日,神門寺にほど近い塩冶コミュニティセンター(公民館)で,出雲市出身の漫画家・平野勲さんの筆になる,塩冶判官の生涯を描いた絵巻『出雲塩冶太平記』の披露と一般公開があったそうです(山陰中央新報).塩冶判官は著名な古典文学・藝能の登場人物としては名高い一方,実像が今ひとつよくわからない人物であり,ゆかりの地である塩冶地区でもその名をあまり知られていないのではないかと思います.そのような中で塩冶判官が,ほのぼのとした筆致で賑やかな祭の絵を多く手がける平野さんの手で,どのように描かれているものなのか興味あるところです.

かく言う私も,中学時代に在籍した美術部での最終作として,出雲市内に来演した松竹の歌舞伎が上演した『假名手本忠臣蔵』「判官切腹」の段までを,登場人物に南北朝時代の装束を着せて描いたことを,このにゅーすを書くうち思い出しました.今となってみなくても正視に堪えない仕上がりのため,世間さまには決してお目にかけられたものではありません(笑).当時の私を知る人ならば,私が今デザイナーとして振る舞っているなどと,にわかには信じられないはず.自身でさえ,こうなるとは予想もしなかったのですよ…….

2005年10月24日

しまね大田楽・真伎楽

パンフレットの写真

昨年に引き続き,島根県民会館で「しまね大田楽」の上演がありました.私は今年初めて見に行きました.

昨年6月に亡くなった和泉流狂言方の五世野村万之丞さん(八世野村万蔵を追贈)は,もうひとつの顔である「総合芸術家」としての活動の大きな柱として,廃絶した日本の藝能の復元に取り組んでいました.中でも,田植の際に催された舞や囃子に由来し,平安・鎌倉時代に大流行した田楽(でんがく)を再興した「大田楽」は,万之丞さんの代表的な仕事です.

今年の「しまね大田楽」は,飛鳥・奈良時代にかけて仏教寺院の法会などで上演された伎楽(ぎがく)を,これも万之丞さんによる復元作業を経た「真伎楽」と併せて上演されました.いずれも一般公募した多数の地元市民が,キャストやスタッフとして参加したそうです.

「真伎楽」の印象をひと言で記せば「シルクロードの終着駅」.奈良の正倉院と取り違えたわけではありません(笑).中国,朝鮮からインド,東南アジアまで,アジア各地の藝能が,次々に繰り広げられたかのようでした.仏教伝来から,遣隋使・遣唐使,東大寺大仏の開眼供養に至る,国際色豊かな古代日本を想像させるのに,充分なものがありました.

中学校に上がる前だったのか後だったのかは忘れましたが,1980年に催された東大寺大仏殿のいわゆる「昭和の大修理」の落慶法要の様子を,TVでほんの一部だけ見たことがあります.あまたの僧侶が唱える読経(と呼んぶのが正しいかどうかはわかりませんが)のメロディーや,ユーモラスな表情をたたえる伎楽面に頭をスッポリと覆った人々が登場する場面を,「真伎楽」を見ながら久々に思い出しました.

「大田楽」と言えば,私はNHK大河ドラマ『太平記』(1991)を思い出さずにはいられません.足利尊氏の生涯を描いた『太平記』は,万之丞さんが本名の野村耕介を名乗っていた時期に藝能考証を手がけた作品です.第1回最初のシーンは,有力御家人・安達泰盛の館での田楽の上演.高々と建てられた竿によじのぼって軽業を披露する田楽法師が,館に押し寄せる軍勢を目撃する…….泰盛が北条得宗の内管領・平頼綱に討たれる霜月騒動が,そのように描かれました.その後,ストーリーでは白拍子の一座が重要な役どころとして活躍,やがて藝態を変えて今日の能に近いものを生みだし,終盤には一座を率いる夫妻の息子として若き日の観阿弥も登場しました.最終回は,尊氏が妻と佐々木道誉とともに「三番叟」(舞ったのは万之丞さん本人)を観ながら生涯を回想する場面で終わるという具合に,1年を通じてドラマの進行とともに中世藝能史絵巻を見せていました.中でもドラマの前半は,田楽狂いとして知られる鎌倉幕府の執権・北条高時の時代ということで,随所に田楽の場面が盛り込まれました.『太平記』を通じて観た演技,耳になじんだ囃子の音を,10数年の歳月を初めて直に接することとなり,大変懐かしい思いをしました.

さて,2003年に万之丞さんの演出で観た「復元出雲阿国歌舞伎」に続き,今回「大田楽」「真伎楽」を通じて改めて気づいたのは,復元した藝能を一般市民の観賞に供する際の万之丞さんのスタンスです.400年前,出雲の阿国が四条河原で上演したとされる「かぶき踊り」を始めとする初期の歌舞伎を甦らせた「復元出雲阿国歌舞伎」では,池乃めだかさんが定番のギャグを披露しました.「真伎楽」では日本を含むアジア各地の獅子舞の共演が盛り込まれました.「大田楽」に至っては,一輪車も登場しての中国雑伎まで観ることとなりました.かぶき踊り,伎楽,田楽を,史料に基づいて厳密かつ忠実に再現しようとすれば,眼中に入りそうにない要素を敢えて取り入れている.この点に,単なる(と言っても困難を極める作業と思われますが)復元にとどまらない,現代のエンターテインメントとしての藝能を万之丞さんは見せようとしたのではないか,と私は思うのです.サドルの位置高い一輪車に乗りながら,足だけを使っていくつもの椀を頭の上に乗せていく藝での,舞台・客席一体となった盛り上がりには,現代のエンターテインメントとしての「大田楽」の成果を感じました.あれはTVの生放送で一度見たことがありましたが,ナマの臨場感と昂揚感は格別でした.

2年続いての「しまね大田楽」となったわけですが,今後どのような方向に進むのか,興味あるところです.来年以降も有料公演として続けるのであれば,毎年同じ内容では観客もキャストもさすがに飽きてしまうでしょう.今年は「真伎楽」を併せて上演し,1週間前には兄弟プログラムのような位置づけで,朝鮮の「鳳山仮面劇(ボンサンタルチュム)」の公演もあり,一定の工夫のあとがうかがえました.さて,次はどんな手を打ってくることでしょうか.

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2005年10月10日

ク・ナウカの「王女メデイア」

ク・ナウカといえば,去年の秋に東京国立博物館本館前で上演した「アンティゴネ」が,今年1月にETVで放送されたのをたまたま見て,様式美と緊張感たっぷりの舞台にぶったまげたノダ.以来,いつかナマのク・ナウカ見なくちゃって思ってるとこへ,この夏これも東博本館の展示室で再演された「王女メデイア」が,昨日ETVで放送してたノダ.

「王女メデイア」は,エウリピデス作のギリシア悲劇ナノダ.故国コルキスを捨てて敵国ギリシアのイオルコスの人・イアソンと結婚したメデイアが,夫に裏切られた上に,夫の新しい岳父になるイオルコスの国王から追放まで命じられるノダ.メデイアは国を追われるまでに残された時間で,夫の新しい花嫁とその父親,さらには自分と夫との間に儲けた息子まで殺して,夫の子孫を根絶やしすることで夫への復讐を遂げるノダ.……あ~こわ.

ク・ナウカ版では,これを明治日本の高官らしきオッサンたちの宴会の座興として演じられる劇中劇にしてたノダ.これがまたよく考えられた装置になってて.

ク・ナウカではおなじみらしいけど,動く人(mover)と語る人(speaker)を分けて2人で一役を演じるっていう,人形浄瑠璃ならぬ「人間浄瑠璃」の手法(「アンティゴネ」はこの方式を採らなかったんで,あたしゃ今回初めて拝んだノダ).「メデイア」では,男たちが役柄を分担して戯曲を読み,それに合わせて(料亭の?)女中たちには演技をさせるって具合になってて,手法そのものがストーリーの大きな枠組みを作ってるノダ.しかも,男性中心の国家体制を作り上げた明治憲法下の日本に時代と場所をとることで,原典にあらわれた男性による女性支配の構図もクッキリと浮かび上がるノダ.

それから,メデイア役の女中に着せられたチマ・チョゴリと,舞台上の大きな日の丸.「文明の地」ギリシアと「未開の辺境」コルキスの図式が,欧米列強に肩を並べようとする明治日本と,その日本の殖民地にされつつある朝鮮になぞらえられてたノダ.

よーするに,古代ギリシアや明治日本の人々を支配した「常識」を形にしたのが「メデイア」の演出上の枠組みに見えたワケだけど,その「常識」は疑われてしかるべきシロモノになっちゃった21世紀初頭の日本で上演してる以上は,幕が降りるまでに枠組みのどっかがグラついてくるんだろニャ.さーて,どんな形で見せてくるんだろ.なんて思って見てたら,文字通り音を立ててコナゴナに崩壊しちゃいました(汗).

メデイアが息子を殺害する場面を最後に,女中たちは舞台に出てこなくなっちゃうのに対して,オッサンたちは,息子や花嫁らを失ったイアソンが怒りと怨念に震える場面を,いっそう熱を帯びて語るノダ.夫の問いかけに対するメデイアの答えをきっかけに,書棚に収まってたたくさんの本(一緒に放送された演出・宮城聰さんのインタヴューによると,あれは法律書だって)がバサバサッと床に落ちて,それを合図に今度は女中たちによるオッサンたちへの復讐劇が始まり,劇中劇は中断させられちゃう……(メデイアが龍の背に乗ってて飛び去るラスト・シーンは描かれないノダ).別の言い方をすると,劇中劇が現実となってオッサンたちに襲いかかってきたワケナノダ.

女中たちは最後の最後までセリフらしいセリフを口にしないし,息子殺害まで人形のよーに振る舞ってたから,「反乱」の挙に出る確かな動機はわかんなかったノダ.だから最初見たときにゃ,トートツな「反乱」だニャって思ったけど,女中たちを,恐るべき復讐計画を温めてたメデイアに重ね合わせて考えると,観客もまた,復讐される男たち(メデイアの夫を含む)とモロトモ,あざむかれる立場に置かれてたのかニャって,そんな気がするノダ.

タヌキにゅーすじゃ,劇中劇の「装置」に的しぼって書いたけど,「アンティゴネ」に続いて,エリャアモノ見せられたわいな.見に行くこづかいためなくちゃ.

ところで,ク・ナウカ版「メデイア」が最後おっかないことになっちゃっても,こーゆー「人間浄瑠璃」ゴッコはタヌぼーもやってみたいノダ(笑).素浄瑠璃だけでもオモロそうだニャ.誰か相手してちょ(ダメ?).