夢幻語り:夢、異界、そして猫(08/15-16) 公演目前
出演者のおひとり,安田登さんの著書『日本語を生かすメリハリ読み!』附属のCDに,今回の顔ぶれにウードが加わった漱石『吾輩は猫である』の「餅の段」(「猫がお雑煮を食べて踊を踊っている」あれです)が収録されています.聴いてみたら立派な狂言でした(笑).動物が食べ物の誘惑と葛藤するのは『釣狐』という狂言を連想させるところもあり(『釣狐(つりぎつね)』にただよう悲愴感はまるでありませんが),猫が雑煮に食いついてからの笛は狂言のアシラヒ笛ですし.去る〔7月〕12日(土)島根県民会館の能楽基礎講座での槻宅さんのお話によると,その前日が東京で今回とほぼ同じ内容の公演だったとのことで,「餅の段」を上演したところ,舞台上の安田さんもお客さんと一緒になって笑い出してしまったそうです.
夢幻語り:夢、異界、そして猫(08/15-16)(タヌキにゅーす)......以下同じ
安田さんのブログにも,7月の公演の報告が出ていました.「一瞬中断というハプニング」だったとか.どの場面だったのでしょうね.
『日本語を生かすメリハリ読み!』は私も持っていまして,CDはiPodでよく聴くのですが,たかが餅を食べたいだけのことにもっともらしい理窟をこねる猫の姿を,安田さんの,ワキ方らしく決して狂言的ではない語りで描き出しているという,ハマってるんだかミスマッチなんだかわからない組み合わせが何ともおかしいですし,「猫がお雑煮を食べて踊を踊っている」猫を発見した子どもたちやおさんを受け持つ水野ゆふさんの声の変幻自在ぶりがたまらない.おさんの「あらま」は生でも聴いてみたいです.
2006年の「松江・能を知る集い」が,まさに今回の出演者勢ぞろいでの実演と体験の場であり,島根県内各地でのワークショップでも上演されてきましたから,半ばこの土地でも育ってきた演目であり,上演形態であると言えます.ワークショップから切り離して独立した公演としては,松江では初めての登場です.小泉八雲の作品は私もまだ聴いていませんので,どのように料理されて出てくるか楽しみにしています.
中でも,夏目漱石『夢十夜』の「第一夜」と,小泉八雲「破約」には共通点があります.いずれも,死の床についた妻が,夫に遺言をする場面から物語が始まるのです.しかし,約束を守れたかどうかが運命の分かれ道,「第一夜」の夫は約束を遂げて妻との「再会」を果たし,「破約」の夫には悲劇が忍び寄る.......一対の作品として見る楽しみがあるふたつの作品.しかも,ともに能に共通する物語の構造を持つ点が,とりわけ面白いと思います.
「百年、私の墓の傍(そば)に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」と言い遺して死んだ「第一夜」の妻.彼女の墓の上に百合の花が咲いたとき,男は妻が遺言通り,自分に逢いに来てくれたのだと悟るのです.それは複式夢幻能といって,生身の人間の姿を借りて登場した何者かが,正体をワキにほのめかして去り,やがて本来の姿で再び出現する形式に重ね合わせることができる物語の展開です.......これはほとんど,安田さん,槻宅さんのお話のウケウリですが(笑).
男の妻として人間の姿で現れていたあの人は,百合の精であったのか......? 「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」......だから「百」に「合」という名を持つ花が咲いたのか? そんなことを想像させる,不思議な物語です.
ちなみに『夢十夜』を書いたころ,漱石は能のワキの謡,安田さんと同じ下掛宝生流の謡を習い始めていたそうです.
一方,「破約」の夫は,いまわの際の妻に,再婚はしないと誓いながら,周囲の勧めを断りきれずに後妻を迎えてしまいます.すると,夫の知らないところで後妻は,先妻の亡霊に悩まされ,ついには凄惨な結末に至る.......
怖い話には違いないとは言え,先妻の亡霊は,夫に約束を破られたという悲しみを背負っています.亡霊の側にも,誰かに耳を傾けてもらいたい思いがあるのです.能で言えば,嫉妬に苦しむ「鉄輪(かなわ)」の妻や「葵上(あおいのうえ)」の六條御息所,あるいは一夜の宿を貸した客に約束を破られた「黒塚(安達原)(くろづか,あだちがはら)」の女......そういった人々に重ね合わせることができる存在.それが「破約」の先妻ではないかと,私は思っています.
奥の深い選曲がなされた「夢幻語り」です.特に15日(金)は夜の公演ですから,終演後は宍道湖北岸からの夜景がおみやげになるかも知れません.
春秋社
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