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2005年10月10日

ク・ナウカの「王女メデイア」

ク・ナウカといえば,去年の秋に東京国立博物館本館前で上演した「アンティゴネ」が,今年1月にETVで放送されたのをたまたま見て,様式美と緊張感たっぷりの舞台にぶったまげたノダ.以来,いつかナマのク・ナウカ見なくちゃって思ってるとこへ,この夏これも東博本館の展示室で再演された「王女メデイア」が,昨日ETVで放送してたノダ.

「王女メデイア」は,エウリピデス作のギリシア悲劇ナノダ.故国コルキスを捨てて敵国ギリシアのイオルコスの人・イアソンと結婚したメデイアが,夫に裏切られた上に,夫の新しい岳父になるイオルコスの国王から追放まで命じられるノダ.メデイアは国を追われるまでに残された時間で,夫の新しい花嫁とその父親,さらには自分と夫との間に儲けた息子まで殺して,夫の子孫を根絶やしすることで夫への復讐を遂げるノダ.……あ~こわ.

ク・ナウカ版では,これを明治日本の高官らしきオッサンたちの宴会の座興として演じられる劇中劇にしてたノダ.これがまたよく考えられた装置になってて.

ク・ナウカではおなじみらしいけど,動く人(mover)と語る人(speaker)を分けて2人で一役を演じるっていう,人形浄瑠璃ならぬ「人間浄瑠璃」の手法(「アンティゴネ」はこの方式を採らなかったんで,あたしゃ今回初めて拝んだノダ).「メデイア」では,男たちが役柄を分担して戯曲を読み,それに合わせて(料亭の?)女中たちには演技をさせるって具合になってて,手法そのものがストーリーの大きな枠組みを作ってるノダ.しかも,男性中心の国家体制を作り上げた明治憲法下の日本に時代と場所をとることで,原典にあらわれた男性による女性支配の構図もクッキリと浮かび上がるノダ.

それから,メデイア役の女中に着せられたチマ・チョゴリと,舞台上の大きな日の丸.「文明の地」ギリシアと「未開の辺境」コルキスの図式が,欧米列強に肩を並べようとする明治日本と,その日本の殖民地にされつつある朝鮮になぞらえられてたノダ.

よーするに,古代ギリシアや明治日本の人々を支配した「常識」を形にしたのが「メデイア」の演出上の枠組みに見えたワケだけど,その「常識」は疑われてしかるべきシロモノになっちゃった21世紀初頭の日本で上演してる以上は,幕が降りるまでに枠組みのどっかがグラついてくるんだろニャ.さーて,どんな形で見せてくるんだろ.なんて思って見てたら,文字通り音を立ててコナゴナに崩壊しちゃいました(汗).

メデイアが息子を殺害する場面を最後に,女中たちは舞台に出てこなくなっちゃうのに対して,オッサンたちは,息子や花嫁らを失ったイアソンが怒りと怨念に震える場面を,いっそう熱を帯びて語るノダ.夫の問いかけに対するメデイアの答えをきっかけに,書棚に収まってたたくさんの本(一緒に放送された演出・宮城聰さんのインタヴューによると,あれは法律書だって)がバサバサッと床に落ちて,それを合図に今度は女中たちによるオッサンたちへの復讐劇が始まり,劇中劇は中断させられちゃう……(メデイアが龍の背に乗ってて飛び去るラスト・シーンは描かれないノダ).別の言い方をすると,劇中劇が現実となってオッサンたちに襲いかかってきたワケナノダ.

女中たちは最後の最後までセリフらしいセリフを口にしないし,息子殺害まで人形のよーに振る舞ってたから,「反乱」の挙に出る確かな動機はわかんなかったノダ.だから最初見たときにゃ,トートツな「反乱」だニャって思ったけど,女中たちを,恐るべき復讐計画を温めてたメデイアに重ね合わせて考えると,観客もまた,復讐される男たち(メデイアの夫を含む)とモロトモ,あざむかれる立場に置かれてたのかニャって,そんな気がするノダ.

タヌキにゅーすじゃ,劇中劇の「装置」に的しぼって書いたけど,「アンティゴネ」に続いて,エリャアモノ見せられたわいな.見に行くこづかいためなくちゃ.

ところで,ク・ナウカ版「メデイア」が最後おっかないことになっちゃっても,こーゆー「人間浄瑠璃」ゴッコはタヌぼーもやってみたいノダ(笑).素浄瑠璃だけでもオモロそうだニャ.誰か相手してちょ(ダメ?).

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