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2005年12月26日

西浦白源『帝都帰遺』

『帝都帰遺』本文の写真

昨日はこれから読むモノ紹介したんで,今日は今読んでるモノを取り上げましょ.

西浦白源『帝都帰遺(ていとみやげ)』(1812).

江戸時代の紀行文だけど,活字化されてなくて,著者の自稿本を覆製した覆刻版(編・解説:松尾寿,報光社,1977,非売品).これ読んだことある人の大半は,松尾寿先生の日本史講読を受講した人じゃなかろか.かく言うタヌキぼーや,島根大学で受講した最後の学生の1匹でござんした.

さてこの本.江戸時代後期,摂津国(現・大阪府)の上層農民の家に生まれた西浦白源(1786-1867)という人が,文化9年(1812)夏に京都見物の旅をしたときの記録ナノダ.

一行の5人は,大坂(現・大阪市)から伏見(現・京都市)まで淀川を船で上って京都入り.7日間かけて,祇園祭の宵山と山鉾巡行を見物したほか,洛中洛外の名所旧蹟を訪ねて廻ったことが記されてるノダ.銀閣や西本願寺の飛雲閣を拝観したとか,狩野元信の襖絵を見たとか,今とほとんど変わらないよーな観光旅行の様子が伝わってくるノダ.

白源自作の挿絵,漢詩(狂詩が多いけど)や狂歌が随所に出てきたり,自註として旧蹟の来歴や古い和歌がたくさん添えられてたりしてて,著者の教養の高さも伝わってくるノダ.文化9年と言やぁ,白源は満26歳……タヌぼーの実年齢より若いぞよ(汗).大学で江戸時代の古文書見てきてよーくわかったノダけど,この時代は地方の都市や農村にも,学問や藝術に通じた人が少なからず出てきて,地方の文化の発展に寄与してるノダ.昨日のにゅーすで出した『北越雪譜』の著者・鈴木牧之もそーゆー人ナノダ.

そのほかオモロいのは,漢語に和語の振り仮名をつけたり,ひとつの漢語に音読みと訓読み,2通りの振り仮名をつけたりした箇所がたくさんあるノダ.「鉄面」は「つらあつくも」,「陸産海生」は「りくさん かいせい」「ヲカノモノ ウミノモノ」……ってな具合に.たぶん漢語に明るくない読者への配慮でしょーな.ときにゃユーモラスでもあるわいな.こーゆー振り仮名のつけ方って,明治期の新聞にも引き継がれてるから,初めてこの本読んだときにゃ,それを思い出したノダ.

書中,読み残す日付はあと2日.年内にゃ夏の京都から冬の越後に行けそうですわ.

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