《TIME'S》 第2回
《TIME'S》を設計した安藤忠雄という建築家の名は,1995年の春,東京都現代美術館で開かれたアンソニー・カロの彫刻展の会場構成と,阪神・淡路大震災の被災地に植樹するプロジェクト「ひょうごグリーンネットワーク」を通じて覚えたばかりだった.私が大学に入って間もないころのことである.
その年の夏の終わり,大学図書館で見つけた雑誌『太陽』1995年10月号の特輯は,「安藤忠雄:闘う建築のロマン」と題していた.安藤の代表作を建築家自身の解説とおびただしい点数の写真で紹介していたほか,安藤の半世紀,クライアントのインタヴュー,梅原猛や植田実らの寄稿などが掲載され,当時の安藤忠雄を知るには質量ともに充実した企画であった.
部屋の往き来には必ず中庭を通らなければならない《住吉の長屋:東邸》(1976),コンクリート壁に光の十字架を穿った《光の教会》(1989),蓮池を本堂の上にいただく《真言宗本福寺水御堂》(1991)など,意表をつくと同時に明快なコンセプトを持ち,土地や用途への深い理解を感じさせる作品が,ペイジを繰るたびに現れる.
中でも《TIME'S》に対して特別な印象を持ったのは,記事の見開き全面に広がる,高瀬川の水面に向けて開かれた広場の写真ゆえであった.そこに見えたのは,一般の市民と水辺との間に障壁として立ち塞がるという,それまでしばしば見聞してきた建築の姿とは全く逆の,一般の市民を水辺に引き寄せるための装置である,《TIME'S》においては,高瀬川の都市河川としては群を抜いて清らかに見える流れと,わずか10cm程度の水深を味方につけて,水面から10数cmの高さに広場を設けてあり,人と水との距離は限りなく近い(安藤によると,その実現までには行政と随分スッタモンダがあったらしい).雑誌には,川に入って遊ぶ子どもたちの写真も載っている.
特輯全体を通読した結果,「現代建築なんて無愛想なコンリートの箱ばかりじゃないか」という,当時私が持ち合わせていた認識は,いとも簡単に崩壊していった.そのなれの果てが,歴史学の研究室にいながら,モダニズム建築をテーマに卒業論文と修士論文を書いた我が身なのだが,とりわけ《TIME'S》については,当時の京橋川における水辺の景観の状況という比較の材料があったために,「現代建築再発見」の記念碑として,一段と印象深い存在となっている,
私が《TIME'S》を訪れたのは,1998年と翌99年の夏.ともに史料蒐集のため京都大学の建築系図書室に通う日々のことである.
写真:三条小橋から見た《TIME'S》(撮影:石川陽春,1999)
(まだつづく)