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2005年9月 5日

「丹下健三DNA」@『Casa BRUTUS』

そろそろ10月号発売って時期だけど,『Casa BRUTUS』9月号が,タヌぼーの修士論文のネタのひとつになった丹下健三大特輯の特別号だったんで,今さらながら触れときますノダ.

とりあえずざっと第一印象.

  • 《国立屋内総合競技場(現・国立代々木競技場)》(1964)のまわりで牛の放牧かい(笑).やってくれるニャ,GROOVISIONS.でもナンデ牛??
  • インタヴューの顔ぶれと頭数……じゃなかった,人数多っ.藤森照信,森泉,槇文彦,谷口吉生,丹下憲孝,Giovanna G. Ferragamo,酒井順子,大谷幸夫,加賀まりこ,川添登……全部で25人前後出てるぞよ.でも,一番読みたかった磯崎新が出てへんの(シクシク).5月号の追悼記事読めってかい?
  • 跡継いだ丹下ジュニアがあちこち出没.特輯タイトルの「丹下健三DNA」ってそーゆーことでもあるワケかいな.「丹下建築100選」のうち“新生・丹下事務所”作品が15ってのは,いくらナンでも多いよーな.
  • その昔,《東京都庁舎(新宿)》(1991)か鈴木都知事(当時)がらみで週刊誌の新聞広告に出てた写真が,戦前の大礼服みたいなの着て文化勲章佩用してる姿だったんで,「ナンジャこの明治政府みたいなカッコしたジイサン???」って思ってたけど,今回の掲載写真のキャプションで10数年ぶりに疑問がとけたノダ.Academie de Beaux-Arts会員の正装だったのね.帯用の剣について,ええ話が載ってるノダ.
  • “ゴジラが壊した”なんて角度で,まともに丹下建築取り上げる雑誌なんて,めったにないだろニャ(笑).
  • 六角形+「丹」+日の丸の特輯ロゴがカワエエ.

タヌぼーが修士論文で取り上げた丹下作品は,日本建築の伝統を溶け込ませた1940-50年代の建築だったノダ.'50年代の建築界で起きた伝統論争が,当事者のひとりであーる川添登のインタヴュー(pp. 182-183)中心に取り上げられてるけど,丹下と日本建築の伝統との取っ組み合いって,モダニズム建築家たちが「建築における日本的なもの」論を打ち出した1930年代からボチボチ始まって,戦時中の《忠霊神域計画》(1942),《日泰(タイ)文化会館》競技設計1等当選案(1943)から戦後の《広島ピースセンター(現・広島平和記念資料館)/広島平和記念公園》(1955),《香川県庁舎(旧館)》(1958)へつながっていくノダ.だから,戦争をはさんだ時期にさかのぼった「丹下と伝統」の総括を読みたかったし,紹介してほしかったニャ.「衛生陶器」発言とか,「丹下健三伝説」(pp. 90-91)のネタにも事欠かないしね(ケッキョクそれかい?!).

それはそれとして,'50年代までばかり見てきたタヌぼーにとっちゃ,'60年代以降の作品,特に海外の都市計画の話ってのは,知らんことだけでオモロいノダ.この人《忠霊神域計画》や《広島ピースセンター》といった最初期から都市計画やってるノダ.日本初の本格的な“建築家兼都市計画家”として世に出てるノダ.

そーいや『Casa』が日英のbilingual issueになる9月号,ここ4年は毎年買ってるノダ.'02年と'03年は,そもそもタヌぼーが現代建築にキョーミ持つキッカケを作った安藤忠雄.'04年は修士論文のネタにした作品が満載のDOCOMOMO 100選ナノダから,手もとに置きたくなりますワナ.

Casa BRUTUS (カーサ・ブルータス) 09月号 [雑誌]

マガジンハウス (2005/08/10)
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