大社宮島鉄道(一畑電鉄立久恵線)写真パネル展
木曜日の午前中,出雲市内の外出先で山陰中央新報をめくっていたところ,一畑百貨店出雲店(ツインリーブスホテル2階)で,一畑電鉄立久恵(たちくえ)線【Wikipedia】に関する,山陰の鉄道研究家による写真パネル展がある記事を見つけ,早速帰りに立ち寄ってみました.
一畑電鉄立久恵線というのは,今からおよそ40年前まで,出雲市駅-出雲須佐駅(現在の出雲市佐田町須佐)間を結んでいた鉄道路線です.出雲市駅を西へ発ち,1km足らずを山陰本線,大社線(1990年廃止)と併走した後,南へ折れて神戸(かんど)川沿いを走り,立久恵峡を経て須佐へ到着する,といったルートをとっていました.
前身は大社宮島鉄道.出雲大社と宮島の厳島神社,言い換えると山陰と山陽を鉄道で結ぼうという壮大な構想のもと誕生した私鉄です.その第1期開通区間として1932(昭和7)年に運行を始めました.出雲須佐以南への路線延伸は実現せず,出雲鉄道への社名改称,戦後の一畑電鉄による買収を経て,1964(昭和39)年の水害により運行休止,そのまま翌年廃止となりました.路線跡の多くは,現在の国道184号線に転用されているそうです.
個人的な話になりますが,塩冶地区内の路線跡,つまり国道184号線の「医大通り」と呼ばれる区間は,生活上なじみ深い道路です.そこを自転車ではなく鉄道で通るということ,途中には駅まであるというさまを思い浮かべると,日ごろ見なれた景色の中に,いつもとは異なる表情を発見できるような気がします.
展示パネルの中には,大社宮島鉄道時代と一畑電鉄立久恵線時代,それぞれの鉄道会社が発行した立久恵峡の観光パンフレットがありました.文体や誌面のレイアウトなどに時代ごとの特色が現れていて興味深かったのとともに,今ではバスか自家用車でなければ行けない地元の景勝地に,鉄道で降り立つ気分はどんなものだろう,と想像して楽しみました.
お客さんの中には,旧沿線住民と思しきオバチャンたちもいて,昔話に花を咲かせていました.私も中学時代にJR大社線の廃止を経験しましたから,いつかこのオバチャンたちのような想い出話をすることがあるかも知れません.
一畑電鉄の現行路線を数年前まで走っていたクリーム色に塗装された電車の鉄道写真や,昔なつかし硬券の切符,記念乗車券も展示されています(実は展示の約4割を占めているのですが).近年の新型車輌導入や駅舎の建替・改築で大きく様変わりする間際の,ついひと昔前までの一畑電鉄の風景を思い起こさせてくれます.
9月から10月にかけて,松江と米子を巡回して展示するそうです.