《TIME'S》 第1回
建築家・芦原義信は,著書『続・街並みの美学』(1983)で,日本の都市空間のおいて水辺の景観の特徴を次のように述べている.
……「内から眺める景観」の原理が,「外から眺める景観」の原理より有利に働き,西欧の諸都市に見られるような水辺の美しいプロムナードで,景観を外から眺めて楽しむというようなことはあまりなかったのである.京都の鴨川べりを四条大橋から眺めてみると,料亭や食堂が水辺に密集して,外から眺めれば建物の汚ない裏側を眺めるような景観であり,とうてい,西欧の川岸の景観とは異なって見劣りがする.この料亭から鴨川ごしに「内から眺める景観」として鑑賞するならば,おそらくそれぞれ素晴らしい景観であることは疑いない.
私はこの言葉に符合する水辺の景観を,くしくも「水の都」と称せられる松江で見ることとなった.1995年に松江の大学に入学し,近世の城下町を自転車で行く日々を得て気づいたことのひとつが,堀に背を向けて建つ家屋や商店の多さである.今でこそ,観光遊覧船が就航してその乗り場や親水公園のような場が設けられ,市民や観光客が水際まで近づくことができるようになったカラコロ広場周辺の京橋川南岸も,10年前は川に向かって排水口を垂れる建物が並ぶ一帯であった.
もっとも「水の都」と呼ばれる以上,城下町であった往時をしのばせる水辺の景観は,そのような絶望的な眺めに独占されていたわけではない.城山を囲む堀と,石垣や緑樹との美しい対照や,湖面を赤く染める宍道湖の夕景の前では,京橋川の当時のありさまなど小事に過ぎないようにさえ思える.しかしながら,個人の所有に帰するばかりで一般の市民からは遠ざけられた水辺の景観が,これらの佳景に隣り合うように存在することは,「水の都」という名にとって決して望ましいことではないと思った(近年,宍道湖沿岸に高層マンションの建設計画が相次ぎ,景観論争の火種となっていることに触れても,同様の感を新たにする).
京都の高瀬川沿いに建つ《TIME'S》(第1期:1984,第2期:1991)という商業ビルの存在を知ったのは,このようなことをおぼろげながら考え始めていた矢先のことである.
(つづく)