自転車借りて石見銀山(拾遺)
昨日の銀山旅の話をちょこっと.
世界遺産登録で,エラい人出じゃないかって話も聞くノダけど,昨日は平日だったせいか,たいしたこたぁない気がしたノダ(地元の人やたびたび行く人にゃ,どーだかわかんないけど).ちょーど全国から学生が銀山のおべんきょで合宿する初日と重なってて,朝日庵でそば食べてるうちにそれらしい御一行様がやってきたくらいだったかニャ?
去年3月に行ったときと違ってたのは,仁万駅前から大森へ行く路線バスに,タヌぼー以外の乗客がいたこと(笑).行きも帰りも10人くらい乗ってたニャ.マイクロバスをひと周り大きくしたよーな車輌だったから,乗車率はワリと高かったノダ.
バスと言やあ,大森代官所跡と龍源寺間歩の間のバスは,マイクロバスでもないのにワンサカ混んでたニャ.立ってる人でいっぱいな便も見かけたし.その点こっちは自転車借りてスイスイだったノダ.でも暑かったノダ(汗).
前に書いたみたいに,一畑電鉄と自転車を組み合わせた旅のプランの元ネタを出したことがあったけど,石見銀山自転車の旅のプランも,どっかで作ってみよっかニャ.あたしゃヒラメねーや(誰?)とチャリンコきょーだいなんで(ナンジャソリャ?),いつか行きましょや,ねーさま(私信).先月松江から出雲市までやってきた自転車氏なんぞは,自前の自転車折りたたんで,ふらっと出かけそーな気がするニャ.
今回のお目当ては「輝きふたたび 石見銀山展」.島根県立古代出雲歴史博物館と石見銀山資料館の2会場に分かれてて,古代出雲歴博(長いけどいちおーこれが略称)が,戦国時代から江戸時代初期にかけての日本の銀,石見の銀を,世界史や日本史の中に位置づける内容で,石見銀山資料館が,石見銀山の経営や人々の暮らしぶりを紹介する内容だったワケナノダ.それぞれ独立した展覧会として見るこたぁできるけど,「ナンでまた石見銀山を世界遺産にって話になったのか」を知るにゃ,どっちも行って初めてよーわかるようになってたニャ.そりゃま,そーだわニャ.古代出雲歴博だけだと石見銀山そのものの姿があんま見えんし,石見銀山資料館だけだと世界史的な視点が伝わらないし.
あとは携帯電話で撮った↓未公開写真でも.
街並みから外れて,明治期に作られた清水谷精錬所跡.外から見ると城跡の石垣みたいナノダ.このへんにゃほかに誰もいまへんでしたノダ.
このへんまで行くと,道路の脇にゃ間歩(坑道)の跡がゴロゴロしてるノダ.
今のところ一般公開してる唯一の坑道跡,龍源寺間歩......の切符売り場の手前(笑).見学するほど時間はなかったんで,今回はここで折り返しでござい.
だんだん集落に戻っていくと,ところどころにいろんなオブジェ.こーゆーの探し回るだけでも楽しいぞよ.
今の大森のシンボルのよーなお店になった群言堂/ブラハウス.松本樸さんの作品発見.ある日/(大)森のなか/(木の)くまさんに/出会った......ほんまでっせ.
大森在住者から選ばれる地役人の家だった熊谷家住宅......も今回は見学できず.一般公開してる建物っていくつかあるけど,そーゆーのって,ナゼかほとんど見てないノダ.次の銀山旅のテーマは,建もの探訪といきやしょ.おはよーございます,タヌキぼーやです.今朝は島根県大田市大森町の熊谷さんのお宅におじゃ(以下略).
自動車に長時間乗りたかぁないんで,大森行きのバスの乗り降りは仁万駅前じゃなくて,駅から歩いて5分くらいの仁摩支所前.仁摩支所前は大田市立仁摩図書館ななめ前でもござんす.えー,寺本建築・都市研究所のみなさん,お元気でしょーか(また私信).
仁万駅で帰りの列車をちょこっと待ったノダ.16:45発なんで,島根県立邇摩高等学校生徒諸君もわんさかいましたわいな.